掴んだ未来。桜の下での再会。 ①

 視点:ルナ

 ‐スミレと、「恋人」であり、「家族」としても歩んできた、幾年で、すっかり自然に操れるようになった、日本語で。

 あたしは、今宵の為に来てくれた、ホールにいる、日本のお客さん達を相手に歌い上げた。

 

 眠る白狼の子供達を、優しく見守る、夜空の星々を。

 鏡のように美しい湖を背に、野花が咲き乱れる畔を歩く、白狼の恋物語を。

 そして‐、今の季節に相応しい、春の訪れを喜ぶ、白狼の子供達の舞い遊ぶ様を歌った、あの歌を。

 あたしの隣では、スミレが安定して、透明感の中にも仄かな色香を漂わせる歌声を響かせている。

 

 春の訪れを喜ぶ歌を歌う、彼女の瞳は、本当に微かにだが、潤んでいた。

 『エルマ…。ちゃんと、約束は、果たしてるからな…。どうか、あたし達の歌声が、エルマの元にも届いていますように』

 

 遠い世界にいるエルマに、この歌声を届けたいと願って、歌を歌う。

 スミレもまた、エルマと、そして…、この国で死別した妹、ヤエの事を思っているのに違いない。

 彼女は『歌う時は、必ず、ヤエに向けても、届けたいと思って歌っている』と、常々、言っていたから。

 

 客席に目を向ける。

 チハヤの姿。

 それに、今日の日本公演の為に、訪日してくれたマリコさんの姿も見える。

 今、ここであたしとスミレの二人で、歌を歌える事。 

 それは、あの二人の力がなければ成し得なかった。

 

 ‐マリコさんは、日系人コミュニティ向けのラジオで、歌を流す番組があり、そこで、あたしとスミレに、白狼族の歌を歌ってみてはどうか、と提案をくれた。

 ラジオという、時代の最先端の技術を用いた、この宣伝は上手くいったと言える。

 この街の、日本人街の一角の店だけで歌っていた、あたしとスミレは、ラジオで、日本語に訳された、白狼族の民謡を流した。

 そのことで次第に、その歌声を好きだと言ってくれる人も、増え始めた。

 やがて、あたし達は、各地の街の日系人コミュニティが主催する、音楽の催しにもちらほらと招待を受け始めた。

 二人の活動が、軌道に乗り始めたのが分かった。

 あたし達はこの国のあちこちの都市を周り、公演が好評で終わる度に、それを喜び合った。

 そして、公演が終わった後はいつも、スミレと二人で、エルマの犬歯が収められた木箱に向かい、それを報告した。

 

 小さな木箱を掌の上に乗せ、あたしは、そこにエルマがいると思って、語りかける。

 「エルマ、今度の公演も、お客さん達に喜んでもらえたよ…。そっちの世界で、エルマも聞いてくれてたかな?これからも、エルマがそっちで寂しくないよう、歌声を届け続けるから。あたしの、新しい家族になった、スミレと一緒に」


 チハヤという、昔、スミレの妹-ヤエを愛していたという女性は、あたし達を積極的に支援してくれるようになった。

 彼女は、スミレが、本気で歌を歌っていく意思を信じてくれた。

 「ヤエも、スミレが歌を捨てずに、新しい国で、その歌を響かせてるのを、きっと、喜んでると思うわ。かつて、ヤエを愛してた者として、スミレと、ルナが、歌の世界に飛び立つ、その手伝いをさせて」

 彼女は、レコード会社の社員となった。

 彼女の仕事ぶりは、アジア系移民への蔑視が根強かった西洋人の社員達も認めざるを得ないもので、歌手のプロデュースの仕事までも、任せられるようになっていた。

 チハヤのプロデュースのおかげで、あたしとスミレは「日系人と白狼族出身の、風変わりなデュオ」という色物のような扱いではあったが、この国の、レコードの世界でデビューを果たす事が出来た。


 チハヤは、あたしとスミレの二人に、彼女が抱いている夢を話してくれた。

 それは、いつか、チハヤとスミレの故郷である日本で、公演を行い、日本でもあたし達が二人で歌う、白狼族の歌の魅力を多くの人に知らしめる事だった。

 「日本でも、この国からの輸入もののレコードの中で、貴女達二人の歌は評価が上がってきているみたいなの。日本から取り寄せた、この新聞を見て」

 それに目を通したスミレは、驚きの声を上げた。

 「見て、ルナ…!」

 この頃には、あたしは、難しい単語が出てきた時は、まだスミレやマリコさんに尋ねるけれど、日本語の文章も殆ど自力で読めるくらいに、スミレの故郷の言葉に慣れていた。

 チハヤが持ってきた日本の新聞の切り抜きには、次のような評論が書かれていた。


 『異国の地で、先住民族『白狼族』出身の女性とデュオを組んだ、日系人一世の美月菫女史。かの先住民の歌を、日本語に訳して、歌唱するという、異色の活動で、昨今、我が国でも耳目を集めている。遠い国の先住民の歌でありながら、日本語に訳されたそれは、彼女と、もう一人の『白狼族』の声によって、日本人の胸も打つ曲に生まれ変わった。舶来の流行に敏感なモボ・モガ、また、多感な学生らを中心に、二人のレコードを手にする若者が増えてきている。我が国の帝都東京で、二人の公演をしてほしいという手紙も、レコード会社に届き始めている』

 

 そんな内容の解説だった。

 「今、勤めているレコード会社の、日本支社が東京にあるの。そちらも、二人の日本公演に前向きな姿勢でいるらしいわ。二人の日本公演の実現の為にも、頑張って、向こうに掛け合ってみる」

 チハヤは、あたし達にそう言ってくれた。


 スミレの故郷である日本で、日本語に訳された、あたし達の歌う、白狼族の歌は、確実に、遠く離れた日本の地で、人々の心を捉え始めているらしい。

 「私ね、スミレ、それにルナさんの活動を支える者として働くようになってから…、ようやく、前を向けるようになった気がするの。昔、故郷の、日本の村を離れ、この国に移住してきた後も…、私は、ヤエとのお別れの前に、秘めた気持ちを伝えられなかった後悔も、スミレへの理不尽な怒りも、全て引きずったままだった。挙句に、ヤエの事を思いながらも、懸命に未来に向かって歩いている、スミレに向かって、あの時は、八つ当たりみたいな事まで言って。海を越えて、故郷を離れても、私の心はずっとあの村に囚われていたんだわ」

 この国に移住して、スミレと再会した時を振り返りながら、彼女は言った。

 「でも、スミレと向き合って、気持ちをちゃんと聞けて、ルナさんや、マリコさんとの出会いがスミレを変えた事。ルナさんと二人で、これからは手を取り合って、本気で、歌の世界で生きていくつもりなんだって事が、私にも伝わったから。自分を顧みた時、思ったの。私だけ取り残されていたら、いけないよね…と。こんな姿の私を、ヤエに見せられないって」

 チハヤは、スミレ、それからあたしを順番に見て、話す。

 それは、彼女がこれから、どう生きていくつもりであるかを告げる、決意表明の言葉であるように思われた。

 「スミレは、歌う時はいつも、ヤエにも歌声を届けるつもりで歌っているって、教えてくれた。私は、きっと、二人の歌声は、ヤエにも、それに、ルナさんの妹さん…エルマさんにも、届いてるって信じている。二人の妹は、スミレとルナさんの、二人の事を、きっと誇りに思ってくれている筈よ。そんな二人を見ているうちに、私もね。親友という意味であっても、私の事を好きだと言ってくれたヤエに、恥ずかしくない生き方をしようって思うようになった。ヤエの元に私が逝く時が来ても、胸を張ってあの子の前に立てるように生きて。そして、その時は、生前遂に叶わなかった告白を、あの子にするわ。今は、それが、私の人生の目標よ」


 チハヤが、スミレの亡き妹-ヤエに、今もずっと恋心を抱いている事は、もうだいぶ前にあたしも、本人から聞いていた。

 

 彼女の言う、愛の形は、この国でも未だ、聞く人によっては冷ややかな目で見られ、時には、はっきりと態度で、言葉で、蔑まれるものだ。

 話した相手は、ここにいるあたし、スミレ、マリコさんの3人だけとはいえ、その事実をこの国で口に出す事に、チハヤは、どれ程勇気を要しただろう。


 ‐そして、あの、冬の最後の雪が舞う夜に結んだ、あたしとスミレの関係もまた、そうした苦境と無縁のものではなかった。

 「私の話は、この辺りにしよう。それで、スミレとルナは、臆病さ故に、最期までヤエへの気持ちを閉じ込めるしかなかった私と、同じ轍を踏まなくて、本当に良かったって思ってるわ。ただ、『本当の家族』として、生きていくという事は、二人の場合には…、きっと、かつての私とヤエの間以上の、大きな壁がある。それは、知ってるよね」

 チハヤが言わんとする事は、あたしも、スミレも、勿論知っていた。

 「ええ…、あの法律の事でしょう。マリコさんからも、聞いたわ」

 スミレも、その事実を突き付けられると、表情を少しだけ曇らせる。

 

 『人間と白狼族の、異種族間婚姻、その他、養子縁組なども含み、家族関係を持つ事は、これを厳しく禁じる。白狼族は、同一種族内でしか家族関係を結んではならない』


 スミレとあたしが同性である事以上に、巨大な壁となっているのが、この国で、あたし達白狼族が、入植してきた西洋人に発見されて以来、ずっと続けられてきた、この法律だ。

『異種族間で万一にも交配が行われた場合、生物学的に、非常に危険と見なされる。白狼族という貴重な種族を保護する観点からも、禁止すべきである』

 それが、白狼族を人間とは違う、「異種族」であると断定した、西洋の生物学者達の総意であり、この法律の正当性の根拠となっていた。


 「この国で、大っぴらに自分達は家族です、なんて言った日には、国はあの法律で、二人を強制的に引き剥がすでしょうね。もしも関係がバレたら、生涯、保護局の監視下に置かれて、接触も禁止されると聞いたわ。それが、二人で家族になるという言葉が、この国で持つ意味よ。スミレも、ルナも、二人にその覚悟はあるの?」

 あたし達の先行きを案じて、法制度などを、チハヤは相当、調べてきてくれたのだろう。

 この話題になった時、スミレは、表情を曇らせる。

 こんなにも、スミレはあたしに、それに、あたしもスミレに、家族としてこれからもずっと隣にいてほしいと、ただそう願っているだけなのに。

 万一にも、あたしとスミレの結んだ関係が当局にばれたら、生涯、法律上は犯罪者として二人共扱われ、会う事も許されなくなる。

 それに理不尽さを感じつつも、自分と「家族」という関係でいる事実が、あたしを脅かす事になるではないか…という、一抹の不安が、スミレにあのような顔をさせているのだろう。

 あんな法律で、お互いにまだこうして生きているのに、生涯引き離されるなどごめんだ。

 従いたくもない。

 だけど、どんな悪法であっても、抗う力をあたし達は持たない。

 本当の関係を隠しながら生きる事は、癪だけど…、二人の未来を守る為に、あたしはこう答えるしかなかった。

「本当は…、あたしは、あんな法律なんて従いたくもないよ。でも、無理に抗ったら、国は、細やかな幸せすらも容赦なく奪っていく。やっと、スミレという家族が増えたのに、奪われてたまるもんか…。絶対、当局に尻尾を掴まれないようにして、何としても、二人で生きていくよ」

 あたしの言葉を聞いて、スミレも頷く。

 そして、こう言ってくれた。

 「…私も同じよ。法律を恐れながら生きなければならないのは苦しいけど、ルナを引き離されるのは、それよりもずっと苦しいから。たとえ『家族』と、口にする事は出来なくても、国も法律も認めなくても、私達は離れない」


 「二人の気持ちは分かったわ…。例え、国も法律も許さない関係であっても、スミレも、ルナさんも、二人は絶対にもう離れはしないって事ね。それだけの気持ちがあるのなら…、きっと、二人は誰にも引き裂けないし、きっと未来にも活路を見出せると思う」

 あたし達が単なる感傷や、一時の気の迷いで、言っている訳ではない事は、チハヤにも十分伝わったようだ。

 マリコさんの店からの帰り際、チハヤはこう言ってくれた。

 「二人で一つの、決して切り離せない存在となった、貴女達をこれからも、私は支えていくわ。ヤエに恥じない私になる為にも。それに、そのヤエが、この世で誰よりも慕っていた姉であるスミレと、そのスミレの大切な家族になった、ルナさん。その二人が幸せになる事を、きっと、ヤエも何より喜ぶ筈だから。その為の手伝いなら、喜んで、これからもしていくつもり。これからは、二人の日本公演実現の為に、頑張らないと」

 「ありがとう、チハヤちゃん…。チハヤちゃんのその思いも、きっと、ヤエの元にまで、届いてると思うわ」

 スミレはそう言って、チハヤに手を差し出した。それを、チハヤも、素直に受け取り、悪手を交わした。

 「ルナさんの妹-、エルマさんも見たがっていたという、桜の咲く季節。日本に、二人を招けるように頑張るわ。どうか、エルマさんとヤエ。もういない、二人の為にも、スミレ、それにルナさんは幸せになって」

 そう言い残して、チハヤは帰っていった。

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