それでも、光を目指して ①

 視点:スミレ

 布団から出る気力すら、私の体の何処を探しても、見つかりそうになかった。

 こんな日が、もう、幾日と続いている。

 ヤエが死んだ、5年前のあの日々に、逆戻りしてしまったようだった。

 

  私とルナの歌を聞きながら、エルマは、遠い世界へと旅立っていった。

 ‐その死の直前、私達を、白の花びらが降りしきる、不思議な世界へといざなったのちに。

 ルナも全く同じ光景を見ていた。

 そして、エルマから、私が聞いたものと全く同じ言葉を、聞かされたらしい。

 

 私達に、歌を歌い続けてほしいと。

 そして、私とルナの二人に、エルマの事でいつまでも悲しむのではなく、これからは、二人で笑って、本当の家族のように生きてほしいと。

 

 ‐無理だよ、私もルナも、エルマちゃんがもういない世界でも、笑って生きていくなんて。

 布団の中で何度も、寝返りを打って、私は、心の中でそう呟いた。

 あれ以来、体を引きずるようにして、マリコさんのお店に仕事に行っても、ルナが、私の前に姿を見せる事はなかった。

 

 ルナについて尋ねたら、マリコさんは、深い溜息の後に、こう教えてくれた。

 『まるで、心だけが何処かに飛ばされてしまったみたいよ、ルナちゃんは…。あの日からもう、ずっとね…。瞳からも、光が消えてしまったようで。歌についても、情熱を無くしてしまったみたいで、最近は、エルマちゃんがいた、2階の和室に籠り切り…』

 

 心の片隅で信じてきたもの。

 奇跡が起きて、エルマの容態が回復するのではないか、という、私とルナが、最後まで縋っていた、儚い願いは、永遠に潰えた。

 心が何処かに飛ばされたよう、というマリコさんの表現は、私にも当てはまっていた。

 机の上には、投げ出されたままの、白狼語の辞典と民謡集。

 開きっ放しの、一冊のノート。

 歌える歌の数をより多くする為に、和訳している途中だった白狼族の民謡も、手つかずで止まっていた。

 結局、私は、ヤエの出来事から5年が経って尚、無力な存在のままだった。

 ルナとエルマの、二人の姉妹を救うなどというのは、思い上がった考えだった。

 ルナに、私と同じ悲しみを味わわせまいと、希望を信じて、やってきた事も、全て無に帰した。

 そういう虚無感、無力感が、私の胸の中を満たして、責め立て、苛んでいた。

 

 最期の時に、エルマが託してくれた言葉を、何も私は守れていない。

 歌もあれから歌っていないし、ルナとも会えていない。

 エルマの記憶の、残滓に縋りながら、店の2階の部屋で、魂の抜け殻のようになっているルナと、どう向き合えばいいのか。

 その術も、彼女にかけるべき言葉も、今の私には、何も浮かんでこない。

 ‐今の自分を支配している、この虚無感から、どうやったら抜け出せるのかも、私には、分からないのに。

 

 「ごめん、エルマちゃん…。私は、エルマちゃんが思っていたような、強い人間じゃないよ…。ルナの事をお願いされたのに、私は、今、ルナにかけるべき言葉の一つさえ、見つからないんだよ…?」

 何度目か分からない、エルマへの謝罪の言葉を、独り言として口にする。

 エルマが託した言葉を、何処かで重荷のようにも感じている、自分の事がたまらなく嫌だった。


 私が仕事に出られなくなってからは、マリコさんの方から、心配して、様子を度々見に来てくれていた。

 しかし、今回ばかりは、私ももう、話す気力も起きなかった。

 呼び鈴を鳴らされても、私は出ず、マリコさんが残していく書置きを読むばかりだった。


 かつてヤエを救えず、そして、今度は、ルナとエルマ、二人の姉妹を救えず…、『私は、何の役にも立てない』という気持ちが、私の中を満たしていき、私から、正常な判断をする余裕を奪っていった。

 

 死のう、という気持ちが私の中に湧き始めていた。

 ヤエが待つ世界に行こう。

 もう、このような苦痛を、永遠に味わわなくて済む、向こうの世界で暮らしていたい。

 2月の末のある日、私は、家の外へとふらふら、何かに引っ張られるように出て行った。

 宛もないまま、日本人街の区画を抜けて、街の方へと歩いていく。

 恐らくは、この冬最後となるであろう、雪が舞い散る中、死の暗い誘惑が、私を誘っていた。

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