二人の選んだ未来 ②


 視点:スミレ

 『エルマちゃんは、全部、見抜いてたんだ…、必死に、ルナも私も、あの子の前で、つき続けてた、嘘を…』

 

 ルナに、看病の番の、交代を告げに来た私は、襖の向こうから聞こえる、二人の話し声を聞いてしまった。

 エルマの目は誤魔化せなかった。

 

 そして、花の下で舞い遊ぶ、白狼の子供達の歌。

 あの歌の子供達は、冬の間に命を散らした子供の魂が、花の妖精となって帰ってきたものだった。

 その伝承は、私は今まで知らなかった。

 エルマは、自分の命がきっと、この冬を越せないだろうと悟って、そんな自分を、歌の中の、花の妖精となった白狼の子供達に重ね合わせていた。


 私は、茫然と、廊下で立ち尽くすしかなかった。

 とても、この部屋に入っていく勇気がなかった。

 全てを悟ったエルマの前で、私は何を語れるのか。

 それに、ルナにもどう、声をかければ良いのかも…。

 何も、言葉が浮かんでこない。


 そんな時、私の前の襖が急に開けられて、顔色を悪くしたルナが廊下に飛び出してきた。

 私は、咄嗟の事に反応出来ず、ルナとぶつかって、廊下に倒れ込む。

 「もしかして、あたしとエルマの話、聞いてた…?」

 そう、私に尋ねてきたルナの瞳は、激しく揺れている。

 エルマと、あのようなやり取りがあった後では、当然だった。

 私が、二人の話を聞いてしまった事を認めると、ルナは頭を抱え込んで、呻く。

「スミレ…、あたしは、これから、どうすれば…」


 店の一階。

 店員用の休憩室で、ルナは、ずっと、銀髪をぐしゃぐしゃと、搔きむしるようにして、テーブルに向かい、俯いていた。

 扉が開いて、マリコさんが入ってきた。

 私は、エルマの事を尋ねる。

 「マリコさん…、エルマちゃんの様子は今、どうですか?」

 マリコさんも、今回ばかりは表情が硬い。

 エルマが、自分の病が治らない事に、もう気付いてしまっていたとあれば、無理もない話だった。

 「ええ…、今は、ルナちゃんと色々お話して疲れたみたいで、また眠っているわ。容態の方は、大丈夫」

 

 心の何処かで、まだ私は、エルマの病に、奇跡が起きるのを諦めきれないままでいた。

 エルマ自身が、病は治ると信じ続けてくれていたら、もしかしたら…と。

 しかし、彼女は自分の病が治り得ない事を悟って、受け入れてしまっていた。

 白狼の子供達が、死後に身をやつすという、花の妖精に自らを重ね合わせて。


 とても、歌の練習など、出来る空気ではなかった。

 「気持ちが落ち着くように、何か飲み物を入れてくるわ」

 そう言って、マリコさんはまた、席を外した。


 「エルマは、あたしが、病気について本当の事を、話してないのを、とっくに見抜いてたんだ。自分がもう、長くない事も察していた。でも、気付いてないふりをしてた。エルマも、自分が前向きでいないと、あたしを不安にさせてしまうと思ったから、何も気づいてないふりをしてたんだよ、きっと…。あの子は、あたしが思ってるよりも、ずっと強い子だった」

 そう、俯いたまま、呻くように話す彼女の様子を見ているだけでも、私は苦しくて堪らない。

 ルナとエルマ。

 二人の姉妹を助けて、幸福にしたい。

 私がヤエと死別した時のような、悲しみを味わってほしくない‐。

 私が胸に抱き続けてきた願いが、潰えようとしている。

 私は結局、エルマを救えず、エルマの為に苦悩しているルナにも、何も力にはなれないのか。

 今、何を言っても、言葉は、ルナにとって、安い慰めにしかならないように思えた。

 私が口にしようとした言葉達は、浮かんでは弾ける泡のように、次々に消えていく。

 

 でも、届けなければ、その言葉が、ルナの心に、どう沁み込むかも分からない。


 私は立ち上がり、テーブルの向こうで項垂れているルナに歩み寄る。

 そして、椅子の後ろから、ルナの肩に手を回して、抱きしめる。

 看病による心労からか、すっかり痩せて、彼女の元々細かった肩が、更に細くなっているのが分かった。

 

 ルナは、顔を上げて、私を見る。

 「スミレ、あたしはどうしたらいいのかな…。今だって、あの子とどう向き合ったらいいか分からないんだ。挙句に、エルマの元から、逃げるような事までして、姉として失格だ…、あたしは」

 私が回した手に、そっと自分の手を重ねながら、ルナはそう言った。

 ルナの手が小さく震えているのが伝わってくる。

 ルナの口から、少しでも自分を責める言葉は聞きたくなかった。

 彼女がそんな言葉を口にしているのを、見れば見る程、私も苦しくなってしまうから。

 少しでも、ルナが救われるような言葉を届けなければ。

 ヤエに何もしてあげられず、一人、自分を責め続けていた、昔の私を思い出す。

 あの時の私は、結局、ヤエが意識を失うまで、病気について、真実は言えなかった。

 最後まで、彼女に誤魔化しの言葉しか言えなかった。

 彼女の前では、辛い気持ちも表に出す事なく、全て蓋をしていた。

 ヤエと本音で話せなかった後悔は、胸の中、くすぶり続けている。

 でも、ルナとエルマの二人は、あの時の私とヤエとは、違う。

 二人は、形はどうあれ、自分の本当の気持ちを伝える事が出来ている。

 「私は、エルマちゃんとルナが、お互いの気持ちを通じ合えたのなら、それは、良かったんじゃないかって思う。私は、あの子に…ヤエに、最期の時まで、病気について本当の事も言えなくて、辛い気持ちも隠していたから。ヤエと最期まで、本当の気持ちで話せなかった事、今も後悔してるわ。だけど、ルナとエルマは、どんな形ででも、お互いの気持ちを分かり合えたから」

 懸命に、言葉を紡いでいく。

 「この先、エルマちゃんとルナがどうなっていくとしても、ルナが後悔を残す事だけは、私は嫌。私と歩んだのと同じ道を、ルナに歩いてほしくない。だから…、ルナ。エルマちゃんと、この先、どうなっても悔いがないくらい、向き合ってあげて。それが私からの願いよ」

 

 『どうなっても悔いがないように』なんて、本当は不可能な事くらい分かっている。全く悔いを残さないような別れなどない。

 けれども、少しでもルナが、この先に訪れる、エルマとの別れで背負う後悔。

 その重荷を、私の手によって、軽くする事が出来るなら…。

 そう思って、私は語りかける。

 

 「エルマ…、まだ、あたしと向き合ってくれるかな。病気の事で嘘ついて、誤魔化してばかりいた、あたしの事を、まだ信じてくれるかな」

 私の手に重ねられた、ルナの手にぎゅっと、力が籠る。

 私の手を握りしめながら、彼女はそう言った。

 私は、手の向きを変えて、ルナの手を強く握り返す。

 「それは、きっと大丈夫だよ…。エルマちゃんと、ルナ。二人共、お互いを大事に思ってる事は、私にも分かるもの。お互いを不安にさせたくないっていう思いから、今までは、本当の気持ちをしていたんだから。だから、どうか、エルマちゃんの元に行ってあげて」

 私の言葉は、全て、自分の願望を並べたものに過ぎない。

 それでも、その中のほんの一部でもいい。

 それが、ルナの心の中に沁み込んでいくのならば。

 私の言葉を、自分の中に落とし込み、反芻しているように、しばらくルナは黙っていた。

 そして、顔をこちらに少し横向けた時、ルナの表情は、少しだけ、和らいでいた。

 「スミレの温かさを感じて、スミレの声を聞いているとさ…、あたしは、ある時は気持ちが安らいだり、またある時は、勇気や力を貰えたりするんだ。それはもう、不思議なくらいに。エルマの事で、何があろうと、後悔を残さないように、あたし、また向き合ってみるよ。前に、スミレに、『人の気持ちを、勝手に決めつけないでよ』って言ったのはあたしなのに、あたしも、エルマにもう、姉として信じてもらえていないって、決めつけてたよ…」

 私達を取り巻く、現実の厳しさは変わらない。

 それでも、ルナが少しでも微笑んでくれるなら、私は、再び希望を信じられる。

 ルナとエルマ。

 二人の姉妹が、どのような形であっても、救われる希望を。


 マリコさんが入れてきてくれた、はちみつを入れてとびきり甘くした、温かいレモネードを、ルナと二人で口にした。

 「このレモネード、辛い事があった時は、スミレちゃんも昔からよく飲んでいたのよ。まだ、スミレちゃんがこの街に来たばかりで、ヤエちゃんの記憶に苦しんでいた頃にね。今日みたいに寒い日にはぴったりね」

 マリコさんが、ルナにそう話す。

 私にとっては、このとびきりの甘さ、レモンの爽やかな酸っぱさに、この国に来たばかりの頃の、涙のしょっぱさの思い出がいつも加わる飲み物だ。

 ルナも、それを口にして、「美味しい」と表情を緩くした。

 そして、ティーカップを両手で包み込んで、私と、マリコさんに向けて話した。

 「あたし、また、エルマと向き合ってみます。エルマとも、偽りない本音で、話してみます」

 

 そうして、私が、胸を撫で下ろしたのも、束の間の事だった。


 それから、数日と経たずして、私達を‐特に、エルマを取り巻く状況は様変わりする事となった。

 エルマが痙攣の発作を起こしたのちに、意識を失った。

 往診の医者の先生が駆け付け、痙攣を止める鎮静の薬を打った。

 しかし、薬で痙攣は治まっても、エルマの意識は、それ以降朦朧とした状態が続き、夢とうつつを彷徨うようになった。

 ルナ、私、マリコさんの三人に向かって、容態を観察していた医者の先生は、こう告知した。

 「一時、小康状態にありましたが、恐らく、組織の壊死が神経にも進んで、痙攣や、意識障害を起こしていると思われます。現状、これの進行を阻止や、治療する薬剤などはありません。とても、辛い告知とはなりますが、あと、もって2、3日が山だと思ってください」

 死神の鎌は、私達が懸命に守り抜こうとしていた、残された小さな希望の芽も、その刃で刈り取ったのだった。

 私もルナも、医者の先生が帰った後、椅子から立ち上がる気力も湧かなかった。

 身を寄せて、さめざめと泣く事しか出来なかった。

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