チハヤとの和解 ②

 視点:スミレ

 チハヤはヤエを愛していた。

 親友という意味ではなく、恋心という意味で。


 チハヤから、その告白を受けた時、私は、不思議と驚きは少なかった。

 あの頃の、ヤエの傍にいるチハヤの様子を見れば、ヤエへの恋心故の行動だったのだと、思わされる仕草が、幾つもあったからだ。

 

 二人のあの頃のやり取りを、思い返してみる。


‐記憶の海を辿っていけば、その波間に、白の花冠が浮かんでくる。


 故郷の村にいた頃、チハヤが、こっそり花冠を作って、それをヤエに渡してくれた事があった。

 白い花弁で編まれた花冠を手に取って、無邪気に喜ぶヤエに、「早く被って」と、チハヤは促した。

 その時のチハヤは、随分、顔を赤くして、ヤエが花冠を頭に乗せるのを見ていた。

 「よく似合ってるよ…。花の妖精みたい」

 チハヤはそんな事を、ヤエに向かって言ったのを思い出す。

 花冠を被るヤエの姿に、熱いものの籠った視線を向けながら。

 

 ‐そうだ。「花の妖精」という言葉で、思い出した。

 確か、チハヤと私達姉妹が、初めて会った、あの桜並木の下でも、チハヤは、ヤエの事をそんな風に称していた。

 先程、疲れたルナに、花の木の下で踊る子供達の歌を歌いながら、寝かしつけていた時。

 うとうとしかけた私の脳裏をよぎった、ひどく懐かしい、桜の下の光景。

 あの時、私が「貴女も一緒に歌わない?」と声をかけた少女はチハヤだった。

 そして、初めて私達に出会ったあの時も、チハヤは、桜の花びらを髪につけて、舞い遊んでいたヤエに「花の妖精みたい」と言っていた。

 

 チハヤにとって、その言い回しは、愛する少女へと、その姿を讃える、最高級の褒め言葉だったのだろう。

「ヤエの事…。よく、チハヤちゃんは、こう呼んでいたわね。『花の妖精みたい』だって。ヤエは、歌だけでなく、花も好きな子だったから。初めて会った、桜の木の下でも。ヤエに、花冠を渡してくれた時も」

 私が思い出した事を口にすると、チハヤは、顔を赤くした。

 私とあんな別れ方をしてしまう以前のチハヤは、こんな子だったのだ。

 彼女の容姿は、一見したら、感情をあまり表に出さない印象を与える。

 しかし、その実は、存外、純情な子であり、特に、ヤエに関する事だと、すぐに恥じらったり、頬が薄桃に色付いたりする。

 チハヤは、おずおずとした様子で、私に尋ねる。

 「スミレは、驚かないの…?私が、女が好きだって事も、しかも、その相手が、ヤエだった事も」

 その声音には、自分の本当の気持ちを知られた事への不安が感じ取れた。

 ヤエの問いに、私は答える。

 彼女の不安を、取り除けるように。

 「うん。だって、思い返してみれば、あの頃のチハヤちゃんは、ヤエに、『ありがとう』とか『嬉しい』とか、そう言う事を言われる度に、『ああ、あれは、好きな子にそう言われたから、照れていたんだ』って思えば、合点がいく事ばかりだもの。よく、ヤエの前では顔、赤くしてたし、チハヤちゃんがあんな顔見せるの、ヤエの前だけだったから」

 「私って、そんなに分かりやすかったのね…」

 私の指摘を聞いて、チハヤは、項垂れる。


 「ここで、チハヤちゃんの本心が聞けたのは嬉しかった。ヤエに、本当は直接、その気持ちを伝える機会を作ってあげられたら、良かったのに…」

 私の中で、その思いは消えない後悔として残る。

 5年の時を経て、チハヤからヤエに向けた、秘めた恋心を明かされた今となっては、より強く、悔やまれる。

 どれだけ、ヤエが遠い世界に旅立つ前に、チハヤは、自分の本心を伝えたかっただろう…。

 そう思うと、私の中で、ヤエへの罪悪感が痛みとなって、また疼く。

 口を閉ざした私を見て、チハヤは、首を横に振る。

 「スミレはもう、私の事で、気に病まないで。私の告白を聞いたら、ヤエは、どんな返事をくれただろうっていう思いは、今もずっとあるけど、もう、それをいくら考えたって、どうしようもない事だから…。これからも私は、ヤエの事を思いながら生きていくわ。過去に囚われて、思いを伝えられなかった事を後悔し続けるんじゃなく、きっと、私の思いは、遠い世界のヤエの元にも、届いているって信じて…」

 チハヤが、私との対話を通じて、ほんの少しでも前を向けるようになったのなら。

 それは、私にとっても本当に嬉しい。

 ヤエは向こうの世界でも、きっと受け取ってくれている筈だ。

 今の私の歌声も、そして、チハヤの恋心も。

 「昔みたいな関係に戻ろう、チハヤちゃん。一度は途切れてしまったけど、あんな別れ方で、チハヤちゃんとの関係を、終わりにしたくない」

私はその言葉を切り出す。私が、チハヤに最も望む事は、これに尽きる。

 「チハヤちゃんにとっては恋心を抱いていた人。私にとっては、ただ一人の大切な妹。お互いにとっての『ヤエ』の立ち位置は違うけれど…、ヤエがここにいない悲しみも痛みも、一緒に背負いながら、前に進んでいける。チハヤちゃんとはそんな関係に、これからはなりたい。私の妹を好いてくれた人っていうだけじゃなく、チハヤちゃんは、私にとっても大事な友達なんだから」

 チハヤは、目を見開いて、私を見つめていた。

 その瞳の色に、私の提案を拒む意思はなさそうに、私には思われた。

 「スミレ、本当に、前向きになったのね…。5年前の時は、ヤエが亡くなった絶望で打ちひしがれてるようだったのに。今だってエルマという子の病気で、苦しい筈なのに、今のスミレの目は、希望を捨てていない。そればかりか、私の事も、こうやって手を引こうとしてくれてる。何が、スミレにそれだけの力をくれたの…?」

 チハヤは、不思議そうに、私に聞いてくる。

 私に力をくれる存在…。それは、一人しかいない。


 私は、その存在である少女に、視線を送る。

 ずっと、私への心配と、チハヤに対する警戒心が入り混じった眼差しで、こちらを見ていたルナに、「もう大丈夫だから」という意味を込めて、笑いかける。

 私とチハヤはずっと日本語で話していたから、ルナには話の内容は詳細には分からなかっただろう。

 しかし、私の表情を見て、話は良い方向にまとまってくれたのは、ルナにも伝わったようだ。

 彼女もまた、張り詰めていた表情を崩した。


 その、言葉を介さずに行われた、私とルナのやり取りを見て、頭の回転が速い子であるチハヤは、「ああ…、そういう事ね」と呟いた。

 「スミレ、話の最初に言っていたものね。ルナの歌声を聞いて、この国で、また歌いたいと思うようになったって。ルナと、本当の家族になりたいって思うくらい、大事に思ってるんだものね」

 チハヤの言葉に、今度は私が頬を熱くする番だった。

 思えば、チハヤに自分の、今の心境を伝えようと必死に話すあまり、随分と大胆な言葉を口にしたものだ。

 ルナと家族になりたい、などという言葉は、殆ど、私からルナへの告白に等しい言葉なのに。

 

 去り際、マリコさんとルナに、チハヤは、以前の自分の言動を、しっかりと詫びてくれた。

 私とチハヤの間で、交わされた話の内容も、チハヤは二人に伝えてくれた。

 別れ際、チハヤはルナに、こう言った。

 「ルナさん…。どうか、スミレの事を大事にしてあげて。ルナさんがいてくれる事が、今のスミレにとって、大きな支えになっている。きっと、ルナさんに会えていなかったら、スミレは新たな一歩を、この国で踏み出せてなかった。スミレの手を引いてくれて、ありがとう」

 そして、チハヤは私に、自分の住所を書いた紙をくれた。

 「これから、私も、ヤエに遺された者として、スミレや、ルナさん、エルマちゃん、マリコさん。皆の為に何が出来るか、考えてみるわ。ここに、何かあったら、便りを頂戴」

 そう、言い残して、彼女は自分の街へと帰っていった。

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