チハヤとの和解 ①
視点:チハヤ
先日、ナイトコンサートで訪ねた、スミレのいる酒場を、私は再び訪ねていた。
最初、スミレの家の方を尋ねたが、留守だった。
仕方なく私は、通りかかった、近所の日本人街の住人の女に、スミレが何処に行ったか知らないか尋ねた。
「あら、美月さんちのスミレちゃんなら、きっと、マリコさんのお店の方にもう行ってるわよ」
「マリコさんのお店って、この前、ナイトコンサートがあった、あの酒場ですか?」
「ええ…、ここ最近は、あっちのお店の方にかかりきりで、家にいる時間の方が少ないって、お父さんが言っていらしたわ。貴女は、この辺では見ない顔ね。スミレちゃんの知り合い?」
「えっと…まぁ、そんなところです。でも、昼間からあのお店にかかり切りって、スミレは今、何をしてるんですか?」
「それがね…、貴女、あのお店の方に、マリコさんが、白狼族の姉妹を間借りさせてる事は知ってる?」
白狼族の姉妹というのは、きっと、ルナとエルマという、あの二人の白狼族の事だろう。
ナイトコンサートの日に、私があの店で見た二人に違いなかった。
「あの白狼族の二人に、何かあったんですか?」
私が更に尋ねると、その女は、憐れむような表情を浮かべて、言った。
「それがね…、マリコさんの方から聞いたんだけど、その白狼族の姉妹の、妹の子の方が、重い病気になってしまったらしいの…。それで、スミレちゃんはその姉妹の、姉の方とすごく仲が良いから、心配して、妹の子の看病にずっとついてるみたいよ。妹の子、まだ、あんなに幼いのに、気の毒だわ…」
「病気…ですか?」
まさか、あの白狼族の姉妹が、そんな事態になっているとは…。
ナイトコンサートの日、去り際に、私は、店の前で、白狼族の姉妹の妹-エルマが、倒れる場面を見ていた。
あの後から、エルマという白狼の少女は、病に臥せているらしい。
‐あの時、私が覚えた胸騒ぎは、的中してしまったようだ。
その話は、エルマの容姿が、生前のヤエの姿と酷似しているという事実も合わせて、ヤエが病に倒れた時を、私に強く思い出させた。
「そう。この前、久しぶりに、お店の買い出しか何かで、出かけてるスミレちゃんを見た時は、すっかりやつれていてびっくりしたわ…。看病であまり眠れてもいないみたい。貴女も知り合いなら、スミレちゃんを元気づけてあげてね」
そう言って、女は立ち去って行った。
『スミレ…、貴女は、まだ、あの姉妹に尽くすのが、罪滅ぼしになると思っているの?そんな…、自分の身を削ってまで』
私は、あの酒場に向かい、歩きながら、考えていた。
『スミレは、あのルナという白狼族の女と一緒に、ヤエの事なんてすっかり忘れて、幸せになる気でいるんだと、私は思ってた…。だけど、今のスミレは、そこまで、エルマの為に尽くして、自分から苦しい思いをしに行ってるようにしか見えない…。スミレだって、辛い筈なのに、あの姉妹にそこまで入れ込むのはどうして?』
打算とか、そういうものだけで動いているとは、どうしても考えられない行動だ。
だから、スミレの考えを確かめに、私はあの店に再び、足を運んだ。
スミレの事を、まだ、心の何処かでは、許したいと思っている自分がいる事。
それなのに、スミレに対して、理不尽に、怒りをぶつける事しか出来ない自分が嫌で仕方ない事…。
それらを、スミレに、今日は素直に話せるだろうか。
ナイトコンサートの時以来、顔を合わせる、スミレの顔は、びっくりする程、やつれていた。話に聞いた通りだった。
「またスミレを傷つけるような事を言ったら、あたしが許さないから」
確かルナだったか。
彼女は、狼の耳を立てて、睨みながら、私にそう言ってきた。それをスミレが制する。
そして、私にこう言った。
「今日こそは、ちゃんと話をしましょう、チハヤちゃん」
「エルマっていう…、あの、ヤエにそっくりな子が病気に倒れたって、ここに来る途中で聞いた。スミレと…、あそこで私を睨んでる、ルナって子がずっと最近は看病してるって。そのやつれ方を見たら、本当みたいね」
そう、私は話を切り出した。
スミレは頷く。
話を聞けば、睡眠もろくに取らず、食事する時間も惜しんで、容態を見ているらしい。
「ええ。でも、お医者様も、エルマちゃんの体は頑張って病気が進むのを食い止めてるって、褒めてくださってたわ。『歌を聞かせたり、好きな絵を描いたりしている事が、彼女の体の壊死を食い止める、良い方向に働いているのかもしれない』って。」
彼女は努めて明るい話題を持ち出しているように見える。
「エルマの病気が治るような、奇跡が起きるって、信じているの?スミレは」
「そう信じてるわ…。絶対、あの姉妹には、私と同じ思いをしてほしくはないから」
片耳病という、白狼族だけに見られる病の事は初めて聞いたが、かなり予後の悪い病気らしいのは明らかだった。
奇跡などという、あやふやで覚束ない藁に縋ったところで、それは、気休めにしかならないのではないか?
「あの子‐エルマが、ヤエにそっくりだからというだけ…?あの姉妹の為に、そこまで、スミレが身を削る理由は」
「…勿論、エルマの姿を見た時は私も本当に驚いた。あの子が、向こうの世界から私の前に帰ってきてくれたのかとさえ、思ったわ。今だって、エルマの姿、或いは仕草。その色々なところに、ヤエの面影を見てしまう」
やはり、スミレにとって、あの姉妹と繋がる理由は、エルマにヤエの面影を見出して、それに縋っているのに過ぎないように、私には聞こえた。
しかし、スミレは「だけどね、今はもう、それだけが理由じゃないの」と言って、こう続けた。
「ルナの歌声に心惹かれて…、白狼族の歌にも興味を持つようになって。この国で、また歌いたいと思うようになった。ルナと一緒に。そして、ルナとエルマがこのお店で暮らし始めて、私とルナの二人で歌の練習をするようになってからは、エルマは、私達の歌を聞いてくれる、たった一人の観客として、いつも最高の褒め言葉をくれた。ルナと歌う時間も、そのあとに、私達二人の歌をエルマが喜んでくれる時間も、私にとって、宝物になったわ。それはまるで、新しく、家族が出来たみたいに思った。」
スミレは真っ直ぐに、私の目を見て、そう言った。
それが、誤魔化しや言い逃れではなく、本心からの言葉である事は、私にもよく伝わった。
「今は、ルナとエルマ。あの二人と、私は本当の家族として、歌を歌って、幸せになりたいと、本気で願ってるわ。もう二度と、家族を失いたくないし、家族を悲しませたくない。ヤエが亡くなった時みたいに」
スミレは、この国に来て、ルナとエルマ、二人の白狼族に出会い、過ごしてきた中で、いつしか本当の家族のようになりたいと、願うようになったという事らしい。
今度は、異国の地で、白狼族の少女であるルナと共に、彼女の愛する、歌を歌いながら。
彼女は、話し続ける。
「ヤエの事はもう忘れてしまうのか…。私の話を聞いたら、チハヤちゃんはきっと、そう思ってるよね…。でも、私は、この先、どんなに新しい幸せを手にしても、ヤエの事を忘れる事はないし、歌う時だっていつも、ヤエの元にまで、この歌声が届いてほしいって思いながら歌ってる。それに、ヤエの死を、もう昔の出来事だからと忘れてしまうなんて、あの子が向こうの世界で悲しむような事、出来る筈がないでしょう?」
スミレの言葉を、私は黙って聞いていた。
彼女が話す、今の生き方。
それを、私自身の、今の生き方と照らし合わせながら。
スミレは過去を水に流して、自分だけ幸せになろうとしているのではない。
いつも彼女の瞳は、今の幸せな時間だけでなく、遠い世界に行ってしまった、ヤエの事も、ちゃんと映していた。
一方の私はどうだろう。
ヤエの死に囚われるあまり、前に進む事を拒んでいた。
前に進む事を選べば、ヤエのいた時間。その記憶が、遠ざかって行ってしまう事が怖くて。
あんなに愛した人との別れさえも、私の人生の中の、「もう終わった昔の出来事」の一つになってしまう事を恐れて。
「この前、スミレが、ルナと一緒に歌っているところを見た時は、私、本当に、スミレの上辺の部分しか、見えていなかった。でも…、スミレの瞳には、ちゃんと、ヤエの姿も映っていたんだね。その事に、気付けなくてごめん」
私は、テーブルの向こうにいるスミレに頭を下げて、自分の非礼を詫びた。
「チハヤちゃんと、こうやって、本心で話せたのは、いつぶりかな…」
「私こそ、5年前、ヤエの葬式の日には、あんな事、言ってしまってごめんなさい。私、あの時は、自分の辛さの事しか考えられてなかった。妹を亡くして、私以上に悲しい思いをしてた筈の、あの時のスミレに『大嘘つき』だなんて…。私はなんて酷い事を…」
あの時の話に移ると、スミレも、その顔に、痛みを感じているような表情を浮かべた。
ヤエが死ぬ間際の、私とのやり取りについて、彼女なりに思うところがあるのだろう。
「私こそ、チハヤちゃんに、もっと早く謝れたら良かったって思ってるわ。ヤエの容態を、毎日、心配して聞きにきてくれてたのに、本当の事、教えてあげられなくてごめんね。本当の事を知ったら、チハヤちゃんがどうなってしまうか、それが怖くて、一度、『良くなってる』って、嘘を言ったら…、もう、何処で、本当の事を打ち明ければいいのか、分からなくなってしまった」
それを聞いて、スミレらしい考え方だと思った。
ヤエと親しくなってから、ずっと、私に対しても、本当の姉のように接してくれたスミレ。
彼女は、私がヤエの病状が悪くなっている事を知ったら、どれだけ動揺し、嘆き悲しむかを案じたのだ。
だから、本当の事を言い出せなかったのだろう。
嘘に嘘を重ねる事になっても、私の事も悲しませない為に…。
「うん…、スミレは私に対しても、本物の優しいお姉ちゃんのようだったから、本当の事、言えなかったんだよね。それでも…、一度でもいいから、ヤエに、会わせてほしかった。叶わない思いと分かっていても、伝えたい事があったから」
「伝えたい事…?」
スミレは、聞き返してくる。
美月家によく、ヤエを訪ねていたあの頃から、それは、ずっと秘密にしていた思い。
故郷の村でも、それに、日本から海を遠く離れた、この国であっても、口にするのは、憚られる愛の形。
でも、今ならば、きっと言える。
相手は、私の愛した人が、誰よりも慕っていた、自分の姉なのだから。
テーブルの下、私は、膝に乗せた手を握りしめ、腹を括る。
そして、もう現世にはいない人に向けて、告白する。
「…あの頃、スミレが、気付いていたかどうかは、分からないけど、私は、ヤエの事を本気で、愛してた…。親友として好きとか、そういう意味ではなく、恋心という意味で。それは、ヤエが、満開の桜の下で、スミレの歌に合わせて、舞い遊ぶ姿を見た日から…。」
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