エルマとの最期の日々 ①
視点:ルナ
昨日のコンサートの後、エルマが倒れてから、今まで、あたしは、エルマから片時も目を離せずにいた。一睡もしないまま、夜を明かした。
うたた寝している間に、エルマに何かあったらどうしよう…、その恐怖が、私を支配していて、瞼を閉じるのも怖かったからだ。
時刻は分からないが、きっと昼はとっくに過ぎているだろう。
氷を下からもらってきては、氷嚢の中身を入れ替えて、エルマの額に当てる。
あたしに出来る事と言えば、それだけだ。
熱には波があり、昼過ぎからはまた高くなってきたようだった。
部屋着として着せてもらっている、あたしのユカタの裾を、エルマが掴む。
「ルナ…お姉ちゃん…。私…、治るんだよね…。これは、ただの風邪なんだよね…」
額に前髪が汗で貼りつき、右耳しかない、狼の耳は、力なく項垂れている。
「…ああ、これは、ただの風邪だよ、エルマ。温かくして、ゆっくり休めばすぐに治る。だから、お姉ちゃんに任せておいて」
あたしは、元気な声を作って、演技する。
本当の事など、言える筈もなかった。
これから、体のあちこちが壊死していき、斑点だらけになって…最期は斑点だらけになって死んでしまう事など。
こうして、エルマが息を引き取るまで、あたしは何度、彼女に、気休めの嘘を言わねばならないのか。
その場凌ぎのそんな誤魔化しを、エルマに、平気な顔をして、言い続けられる程、あたしは強くはない‐。
また、すやすや、寝息を立て始めたエルマの顔を見ながら、暗澹とした気持ちが、あたしの胸の中を占めていた。
‐スミレが隠していた過去の話。
ヤエという、亡き妹についての話を知った、今となっては、昔のスミレが、どういった思いで、死に行く妹と、最期の日々を向き合っていたのか。
この状況に置かれたら、痛いほどに伝わってくる。
その時だった。廊下を小走りに、誰かが駆けてくる足音がしたのは。その足音は、私とエルマのいる和室の前で止まった。
「ルナ!エルマちゃん…!」
襖を開けるや否や、部屋へと駆け込んできたのは、スミレだった。
「スミレ…」
彼女の姿を見た瞬間、込み上げてきた気持ちを何と表現したら良いだろう。
あたしは立ち上がり、スミレの細い両肩を掴んでいた。
「スミレのバカ…!どうして、昨日は、あたしの気持ちも聞かずに、飛び出していってんだよ…!もうあのままずっと、あたしとエルマのところには、戻ってこないのかって思った…!」
思わず、口調にも感情が籠る。
あたしの頬に残る涙の痕も、これだけ顔を近づければ、はっきりと見えるだろう。しかし、そんな事を気にしている余裕はなかった。
「昨日は、ごめんね、ルナ…。私の過去や、本当の気持ちを知った今となっては、ルナもきっと、私みたいな人に、傍にいてほしくはないだろうって思ってしまって…」
スミレの言葉に、あたしは強く、首を横に振る。そして、彼女の暗く淀んだ瞳を、真っ直ぐ見据えながら、自分の気持ちを伝える。
「そんな事、ある訳ない…!勿論、スミレにも、亡くなった妹がいたっていう話を、聞いた時は驚いたし、罪滅ぼしの為に、あたしとエルマを利用しようと思ってた事は、正直、もやもやした気持ちはあった…。エルマは、スミレの亡くなった妹、ヤエの、代わりじゃないんだから」
そして、スミレの両肩を掴む手に、力を込める。一息吸い込み、気持ちを込める。
「それでも…、あたしはスミレにいなくなってほしいなんて、思ってない。あたしの気持ちを。あたしがどう思うかを、スミレが勝手に決めないでよ!」
あたしが、懸命に捻りだした、その言葉にスミレの瞳が揺れる。
「あたしは、今も、スミレには、隣にいてほしいって思っている。歌の時だけじゃない。この先で、スミレにとって、どんな、苦しい時や嬉しい時があっても、あたしの隣が、スミレの居場所になれたらいいって、本気で思ってるよ。スミレは、あたしに居場所をくれて、歌える場所をくれた。だから、今度はあたしの方が、スミレに、安らげる場所をあげたいんだ。スミレにただ、貰ってばかりじゃ、申し訳ないから…」
「私は、まだ、二人の傍にいていいの…?もう一度、受け入れてくれる」
「いていい、じゃなくて、あたしは、スミレに絶対にいてほしいんだよ、こんな時だからこそ、私の隣に…。だから、スミレ。これからは、もう何があっても、あたしの気持ちを、勝手に決めつけて…、昨日みたいに、あたしから離れようとしないで」
そして、昨日のスミレの言葉を思い返して、こう付け加えた。
「それから、もう一つ。昨日みたいに、もう二度と、自分は幸せを望んだらいけなかったとか、自分みたいな人間が幸せを願ったから、罰が下ったなんて、あんな悲しい言葉、口にしないでよ…。スミレは、幸せになるべき人間なんだ」
あたしは、そう言って、スミレのか細く、力を込めたら折れてしまいそうな両肩を包むようにして、スミレを抱きしめていた。
そして、あたしは、布団に眠る彼女の方に振り返り、一瞥を送る。
「きっと、あの子も…スミレが傍についていてくれるのを、望んでいる」
あたしがそう言うと、スミレは、あたしの肩越しに、布団で横たわる、エルマへと目を向けた。
かつて、彼女も、自分の妹に、病で先立たれた身だ。エルマの姿を見て、彼女の顔には、苦し気な色が走った。
二人で、横たわるエルマを見ていると、あたしとスミレの、会話の声に、目が覚めたのか、彼女の瞼が薄く開いた。
彼女は、ぼんやりとした表情でこちらを見た末に、あたしの前に立つ、スミレの存在に気が付いたようだ。ぱあっと、熱で赤くなったその顔にも、笑顔が咲く。
「スミレ…お姉ちゃん…。また来てくれたんだ…!良かった」
そう言ってエルマは、弱々しくも、笑った。
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