私は誰も救えない ①

 視点:チハヤ

 舞台に立ち、見知らぬ白狼族の女と、幸せそうに、夢を見ているかのような表情で歌っている、スミレの顔を見たあの時。

 

 私の中に、微かにあった、「スミレに、昔、ぶつけた言葉を謝ろう」という感情は、私の心の、また別の部分を水源とした、黒い感情の濁流で押し流されてしまった。

 

 『あんな幸せそうな顔して、歌う事を楽しんで…。やっぱりあんたはヤエを忘れて、自分だけ幸せになる気なんじゃない…!私は、ヤエの死を今も、『過去の事』に出来てはいないのに…!』

 名前も知らない、白狼族の女と仲良く歌っているスミレの表情を、私は凝視していた。

 スポットライトの眩い灯りに照らされて、歌うスミレの瞳には、輝かしい未来しか映っていないように見えた。

 

 私の瞳が、『ヤエがいた過去』を映したままなのとは正反対に。

 それでもスミレが、客席の私に気付いて、追いかけてきた時、私は、淡い期待を抱いた。

 ヤエの事で、私に嘘をついて騙していた事を謝って、償いの意思を見せるなら、許そうかとも思っていた。

 私の方も、彼女に、感情任せにぶつけてしまった、昔の言葉を謝る気持ちもあった。

 

 しかし、私の事を思い出しても尚、スミレは開口一番に、「今日は私達の歌を聴きにきてくれたのね?」などと尋ねてきた。

 その言動が、私にはあまりに能天気に思われ…、私は落胆した。

 私の感情は荒波を立てて、「スミレを許そう」という気持ちも、押し流されてしまったのだ。

 落胆は、怒りへと変わり、彼女に、私は感情のままに、再び、スミレを責める言葉をぶつけてしまった。

 5年前の自分と同じように。


 ‐こんな風に、ヤエとの過去に触れる度、感情の渦に飲み込まれてしまう自分が、本当に嫌になる。

 結局、スミレに謝るどころか、5年前よりも酷い言葉を、一方的に彼女に浴びせて、傷つけてしまった。

 自分が、スミレに理不尽な恨みをぶつけて、困らせているだけの事くらい、理屈では分かっている。

 きっと、スミレも、何故、ここまで私から恨みをぶつけられるのか、理解してはいないだろう。


 だって、私もまた、ヤエとの間にあった全てを、スミレに話してはいないから。


 生前のヤエを、私が、「親友」という枠に留まらない意味で、愛していた事も。

 ヤエと一度だけ、それは児戯のように拙いものであっても、口づけを交わした事も。

 だからこそ、愛するヤエが、疫病でどんな姿に変わり果てていようとも、死に目に、一目で良いから、遭わせてほしかった。

 彼女が息絶える前に、もう一度だけ、愛していると伝えたかった。

 

 それが出来なかった事を、私はいつまでも引きずっているのだ。

 その悔いを自分の中に留められる強さもない私は、スミレに、理不尽な怒りまでぶつけてしまった。

 

 スミレと言い争いになってしまった最中、歌っていた少女とは別の、もう一人の白狼族の幼い少女が現れた時、私は、息を呑んだ。

 一瞬、自分の目がおかしくなったのかと疑ったが、何度瞬目しても、間違いなく、死んだヤエに瓜二つの顔の少女がいた。

 スミレと共に歌っていた白狼族の少女-確かルナと言ったか‐は、「あの子はあたしの大切な家族で、妹だ」と確か言っていた。

 あの酒場にいた、白狼族の二人の少女は姉妹だった。

 

 ヤエに瓜二つの、白狼族の幼い少女を妹に持つ、白狼族の女-。

 その姉妹に、感情移入して、拘っている様子のスミレ。

 その光景を見て、私は、スミレが何をやろうとしているのか、察する事が出来た。


 あの姉妹をスミレは、昔の自分とヤエの、二人に重ね合わせている。

 かつて救えなかった自分とヤエの代わりとして、あの二人を救う事によって、スミレは、自分の過去への、罪の意識を和らげようとしているのだろう。

 

 「過去への後悔から救われたい」と望んで、今を生きているのは、スミレも私も同じだった。

 それなのに、私は、そんな自分は棚に上げて、スミレに「ヤエを忘れて、歌を歌って、自分だけ幸せになるつもりか」と一方的に責めてしまった。

 ヤエと、納得のいく別れが出来なかった後悔。

 その痛みから逃れたいだけの、自分勝手な私。

 こんな私に本当は、スミレを一方的に責める資格はないのに…。


 金髪に碧眼、それでいながら、赤の着物を着こなす女…。

 どうやら、この街の、日本人街に移住してきてからのスミレの事を、よく知っているらしい酒場の女主人は、私にこう言い放った。

 「スミレちゃんは、過去を全部水に流して、決してお気楽に生きてきた訳じゃない…!ヤエちゃんの事で苦しんでるのは自分だけ、だなんて思わないで」

 どうやら、この、西洋人と日本人の、ハーフらしい容貌をした、酒場の店主と思しきこの女は、スミレとヤエの過去の事も知っているらしい。

 私は、彼女の言葉に、心底、自分の振る舞いを恥じた。

 一方的にスミレを責めてしまった事を。

 彼女が、ヤエを綺麗に忘れるなど、ある訳がない事くらい、本当は分かっていたから。

 居た堪れなくなって、私は、店を後にするしかなかった。


 酒場を去って、電柱につけられた街灯が照らす夜道を、歩き出したところだった。   後ろで、何か大きな音がして、それから、悲鳴のような声が鳴り響いた。


 「エルマちゃん、しっかりして!エルマちゃん!」

 スミレの声が、遠く、私の耳にも届いた。

 ただならぬ様子の、その声に、足を止めて私は思わず振り返る。

 あの、ヤエに酷似した白狼族の少女は確か、エルマという名前だった筈だ。

 「何があったの…?」

 無作法は承知の上で、私は、歩を、先程の酒場の方に戻して、電柱の影に隠れて事態を見守った。

 

 そこには、スミレ、半獣のルナ、赤い着物の金髪女の3人が、倒れているエルマを揺さぶり、必死で声をかけている光景があった。

 やがて、赤い着物の金髪女が、スミレ、ルナの二人に何か言い、ルナの腕に抱きかかえられてエルマは、店の中へと運ばれていった。

 「あれは確か、エルマとかいう、ヤエにそっくりな子…。一体、あの子に何が?」

 ルナとスミレの、必死に、エルマの名前を呼ぶ、その声色から、不吉な予感が私の胸を過ぎった。

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