二つの凶兆 ①
視点:ルナ
スミレと二人で舞台に立って歌う、最初の日が近づいて、最近は特に練習と、店の手伝いの仕事に明け暮れる日が続いていた。
それでも、あたしは、白狼族の集落の隅で生活していた時と同じように、エルマが体調を崩していないか‐それも、熱を出していないかは注意をして、毎日、彼女の額に、自分の額を当てていた。
‐「片耳病」を持って生まれた白狼族にとって、熱を出した時というのは、死の兆候に等しい。それも、エルマのように年が幼い、「片耳病」の白狼で、熱を出した者は、そのまま、病状が悪化して、死に至る可能性が高い。体の一部…それこそ、あたし達を白狼たらしめている、この狼の耳も、犬歯も腐り落ちるなど、その最期の姿は悲惨なものになる‐。
それが、白狼族の中で、この病について言われてきた伝承だった。
勿論、「片耳病」の白狼全てが早死にする訳ではない。運が良い者は、この先天性の病を持って生まれても、他の白狼と同じく、大人まで生きる事は出来る。どうやら、「片耳病」にも、発熱を機に、急速に容態が悪くなる者と、そうならない者と両方がいる事から、いくつかの種類があるらしい事は、種族の中でも知られていた。
‐もしも、「片耳病」を持って生まれた白狼が、幼いうちに発熱したら‐、その時は、病の先行きが極めて悲惨な物となる事を、覚悟せねばならない‐。そう、語り継がれてきた。
だから、エルマの額に自分の額を当てて、熱がない事を確かめるのは、あたしにとって絶対に欠かせない、毎日の日課だった。
エルマに、「死神」が迫ってきていない事を確かめると、あたしはいつも胸を撫で下ろした。大丈夫。きっとエルマも、あたしと同じで、軽い型の「片耳病」なのに違いない。この子は、病が悪化などしないと。
しかし、その安堵に、暗雲が立ち込めるような出来事が起こった。
今日、エルマの額に触れた時…、彼女の額は、僅かにだが、普段よりも熱かったのだ。
『い、いや…、今日はきっと偶々だ…。あたしが神経質になりすぎてるだけだ。エルマはあんなに元気だ。ここから病状が悪くなるなんて、ある訳がない…』
繰り返し、自分を安心させる為に、そう言い聞かせる。
集落にいた時にぶつけられた、とある罵声が、記憶の中で再生される。
『お前なんか、耳が腐り落ちて、死ねばいいんだ!』
病に臥せたエルマの姿を、あたしは想像してしまった。
彼女の、右耳しかない狼の耳が、根元から腐って落ちる様まで、脳内に浮かんできた。
あたしは、全身がぐらぐらと揺れていると錯覚する程の、酷いめまいに襲われた。
そんな凄惨な未来図を、あたしは頭から叩き出す。
『エルマが死ぬ訳ない…!集落の連中に吐かれた罵声なんか思い出すな!あたしとエルマは、『姉妹』として、これからは幸せになるんだ!スミレ、マリコさんと一緒に』
今は、この杞憂に胸を掻き乱され、上の空になっている場合ではない。
あたしは歌を共に歌う、デュオの相手であるスミレに、ちらっと、横目で視線を送る。
ここで、あたしの心の動揺のせいで、もしも、彼女にとっても初舞台である、この酒場での小コンサートが失敗に終わる事にでもなれば…。あたしはスミレに合わせる顔がない。
それだけは避けねばならなかった。
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