ルナとスミレの再会 ①


 視点:ルナ

 あたしは昼下がり、街の中心部。西洋式の子洒落たビルディングが立ち並ぶ大通りを、ふらふらと彷徨い歩いていた。

 「ねえ、見て、あのみずぼらしい恰好の白狼族の小娘…。しかも、片耳しかない…。よくあんな恰好で、恥ずかし気もなく俺たち人間の街に出て来られるな」

 「物乞いでもしに来たんじゃないの?あの汚れぶりじゃあ、白狼というより、野良犬とでも呼んだ方がお似合いね」

 そんな言葉の矢が、通りを歩く西洋人から次々と飛んできては、あたしの体に突き刺さっていく。ここの人間達も、保護区内の、あたしとエルマが暮らす、あの集落の連中と大差なかった。奴らの目は、薄汚ない野良犬を見つけたのと同じ、忌まわしいものを見る目だった。

 

 食い扶持を探すあたしを、行く先々で出迎えたのは、西洋人達からの門前払いだった。

 「薄汚い半獣の、白狼族なんかと、俺たち人間が一緒に働けるか!帰れ‼」

 「獣臭い人外!さっさと私達の前から消えて!」

 と、西洋人の店主から口汚く罵られ、怒声を浴びせられ、あたしを視界から一刻も早く消し去りたいというばかりに、ピシャリと扉が閉められる。そんな事が幾度もあった。

 歌や舞踊、楽器の演奏など芸に秀でており、興行団に入れるような者を除いては、白狼族はこの国では、市民の中でも底辺の扱いだった。人間側は、何の芸も持たない白狼族を「野蛮な先住民」だとか、「半獣」と呼んで蔑み、関わりを拒み、視界に入れる事さえも疎んだ。

 この、西洋人移民が作った街の中を歩くあたしは完全に、人間社会から浮き上がった異物だった。

 

 『やはり、この街で、白狼のあたしが仕事を見つけるのはもう、無理なのか…』

 求人の張り紙を出している店やら工場やらに、断られ続け、途中から、もう数えるのもやめていた。行く先々で、「半獣」「野良犬」と罵られる事に、もう心も麻痺して、痛みを覚える事もなくなっていた。

 しかし…、諦めそうになる度に、あたしは瞼を閉じて、保護区の、集落の片隅の崩れそうな掘っ立て小屋で、今もお腹を空かせて待っているエルマの事を思うのだった。

 「片耳病」は前世の悪行の為に下された天罰であり、業病…。その教えに囚われた白狼族の中で、仕事を探すのはほぼ不可能だった。

興行団だけではない。集落にある、白狼族の伝統工芸品を作る店の戸も叩き、頭を地面に擦り付けて、召使いでもいいから雇ってくれと、あたしは頼み込んだ。

 しかし、「業病人のお前なんかと一緒に仕事が出来るか」と相手にもされなかった。他の、集落内のどの仕事場も同じ扱いだった。

 この市場に辿り着く途中でも、道端で、瘦せ細って、美しい銀髪も汚れ切った白狼が、御座を敷いて、器を置いて、金をせがんでいる姿を見かけた。雄か雌かも分からない程、顔も汚れて、髪も伸びきっていた。服ももう、元の色をとどめない程に色あせていた。あたしと一瞬目が合ったが、その瞳は羞恥の色で覆われ、あたしから目を逸らす。それは、あの白狼にとって、同族のあたしに対する、最後の尊厳を守ろうとする反応だったのだろう。

 部族から締め出され、人間側にも拒まれ、行き場のなくなった白狼の末路だった。


 金を稼いで、エルマを食べさせる手段が思いつかない。危険な日雇い労働の求人も最近は、人手が足りてきたのか、今日は、街中の掲示板の広告を探し回っても見つからなかった。

 あたしも、あの白狼のように、物乞いにでもなる他はないのかもしれない…。絶望的な気分になりながら、本気で、その道を考えた。

 

 あの子の為ならば、あたしは、物乞いに成り果ててでも…。

『お姉ちゃん、優しいね…。歌を歌ってもらって、久しぶりに、安心して眠れたよ。ありがとう。私、お姉ちゃんの歌声、好き。もっと、聞かせて』

 土砂降りの中を一人、歩いていたあの子を、あたしの家に連れ帰って、体を拭いて、暖めて、寝かせてあげた、次の朝。エルマがそう言ってくれた、何気ない言葉が、あたしの希望になった。片耳病の為に部族から爪弾きにされ、白狼のアイデンティティでもある歌も否定されて、自身の境遇を呪うしかなかった、昔のあたし。

 自暴自棄に陥ろうとしていたあたしを、エルマの言葉が繋ぎとめてくれたのだ。

 エルマは、片耳病であるが故に捨て子になった自分を助けた、あたしの事を、命の恩人のように思ってくれているようだが、実際には、あたしこそ、エルマが来た事で助けられていたのだ。

 だから、エルマを絶対に守る。

 

 そして、あたしの歌を褒めてくれて、もっと聞かせてほしい、と言ってくれた、もう一人の事を思い出す…。あの、ニッポン人の少女、スミレの事だ。

 彼女に『ルナの歌声、好きよ』と言われた時、私は、約一年前、エルマと出会った時の事を思い出していた。それは、エルマに言われたのと同じ言葉だったから。

 誰も認めてくれない世界の中で、認めてくれる人に出会えた…。エルマと出会った時に感じたのと同じ温もりが、凍てつきそうなあたしの心に、今日も、沁み込み続けていた。

 「スミレ…。あいつは、今頃何してるのかな…」

 そんな事を思いながら、通りを歩いていた、その時だった。

 

 ‐人間よりも、遥かに良く聞く、白狼族のあたしの鼻が、一瞬、とある匂いを捉えていた。

 それに気付いた瞬間、あたしは体が固まった。それは、人間だらけのこの街の中に、ある筈のない匂いだったから。

 「え…?この匂いは…?う、嘘、どうして…?」

 あたしは、恥も外聞もかなぐり捨て、地面に鼻先を近づける。あたし達の祖先が、狩りで獲物を追いかける時にそうしていたように。そして、その匂いが、気のせいではなかった事を確かめる。‐エルマの匂いだった。あたしが、彼女の匂いを間違う筈がない。

 それは、何人かの、人間のものらしい匂いに囲まれて、何処かに向かって移動していた。

 あたしは体に震えが走り出しそうだった。エルマがどうしてこんなところに。家で、留守番をしているよう、言ったのに。

 更に、匂いを嗅ぎ分けていくと、あたしは、とある香りに気付く。もう一つ、覚えのある香りがその中にあったから。その香りに気付いた時、あたしの意識は、星々が瞬いていた、夜の公園に戻されていた。あたしの歌声を、隣のベンチで聞いてくれていた…。

 

 まさか、スミレとエルマが、一緒にいる…?

 あたしは、鼻を頼りに、足に力を込めて、道行く人々の合間を縫うように、走り抜ける。

 「どういう事なんだ…⁉スミレとエルマがなんで一緒に…?」

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