第7話
彼女はエレベーターの中で僕に部屋の鍵を渡した。僕はエレベーターから降りると少し歩いて部屋の鍵を開けた。その途中、耳を澄ますと微かな嬌声が聞こえた。顔も体も分からない人の声だが、なぜだか興奮する。僕はホテルのドア越しに聞こえる声を聞くことに興奮を覚えていた。
部屋に入ると、いそいそと靴を脱ぎ部屋に入った。彼女はソファに足を組んで座ると座るとスマホを取り出した。僕は一寸の間、部屋の中でただ立っていた。部屋は沈黙する。
僕は彼女にシャワーを浴びるかそれとなく聞いた。彼女はただスマホをいじっている。やはり風俗で働く子は情緒が一定ではないというか、コミュニケーションに難があるのだろうか?と僕は思った。僕は彼女の座っているソファの反対の端にちょこんと座った。
数日前に会った彼女はどこへ行ったのだろう?美人とは言えないまでも素材としては整っていて、アイドルの3列目くらいにはいても違和感はないくらいだ。そして愛想が良かった。でも今日は映画館の前で少し言葉を交わしてから、会話どころか目すら合っていない。ある程度経験を積んだ僕だから優しく対応しているが、他の人だったら怒らないにしてもムッとはしていただろう。だが逆に、と僕は考えた。今までそういう人としか接したことがないから仕方ないんだと。むしろ僕が優しくしてあげることで彼女は本来の、あの優しい彼女に戻してあげることができる。だから彼女のペースで優しくしてあげることが正解なのだと。大体どんなアニメやドラマでも乱暴な男は嫌われる。
僕はテレビを付けた。AVが流れた。チャンネルを変えることもできたが、これを流していれば彼女もその気になってくるかと考えてそのままにしておいた。僕はチャンネルをガラス板の机の上に置いて、好きなチャンネルに変えていいよといった。彼女はスマホを眺めならも、小さく何かを呟いた。
そんな時、部屋の電話が鳴り出した。まだ帰る時間にはほど遠かったし、何かと思った。彼女も少し驚いたようで電話の方を見ていた。電話のコール音が数回なるのを彼女も僕もただ眺めていた。だが、出ないことには仕方ないので僕はベッドのところまで軽く駆け寄って電話に出た。
「はい、何ですか?」
「フロントですが、あなたと話がしたいという方がロビーでお待ちです」
一瞬意味が分からなかった。
「変わりますので少しお待ちください」
電話の向こう側で虚空を受話器を受け渡すガチャガチャという音が耳元で他人事のように流れていた。彼女はソファでスマホを触りながらも少しこちらを気にしている。
「もしもし」電話口から声がした。さっきの愛想のないおばさんの声とは違う女性の声だった。だが若さというか、軽さのない低い声だった。聞き覚えはない。
「まずフロントと話しているように自然に。そちらからの質問はなしで、回答ははいかいいえだけ。分かった?」
電話口から落ち着いた声が響く。頭の中では疑問すら追いつかなかった。こんな時、学歴の高い人たちはもっと頭が回転するのだろう。僕は、はいと答えた。
「あなたと一緒にいた女は、この会話が聞こえるくらい近くにいる」
いいえ
「一緒に居た女はつい最近知り合った女で、ホテルに来るのは初めてだ」
はい
「あなたは今、服を着ていて貴重品も全て持っている」
はい
「では彼女にこう言って今すぐロビーまで降りてきて。このホテルは事前精算なので休憩分のお金を払いに来いとロビーから言われた、と。そして3分以内に降りてきて。もし時間内に降りて来なければそこまで。わかった?」
はい。まるで間抜けな返事だと思った。回転寿司の寿司到着を知らせる機械音の方が人間味がある。
「そして私のことは言わない。ただロビーの人と話したと言いなさい。じゃ」
…はい。受話器からはツーツーと聞こえた。僕は受話器を耳から離すと、しばらくそれをぼぅと見ていた。
「ねぇ、どうしたの?」ソファの方から彼女が聞いていた。僕は瞬間ドキッとした。だがなぜか平然を装わねばと思った。
「いや、何だか、その…ロビーから、さ、事前精算だからお金払ってって…」
彼女は眉を顰めた。
「私今までそんなこと言われたことないけど?」
「このホテルにはよく来るの?」僕は咄嗟に言った。
彼女は少し目を大きくした後でスマホに目を戻して
「ううん、初めて」と素っ気なく言った。
ちょっと払いに行ってくるよ、と僕が言うと、うんとだけ答えた。僕が彼女の前を通り過ぎて玄関に向かうと、「荷物置いてけば?」と彼女が追っかけるように僕の背中に言った。僕は振り向いて、
「荷物って言っても財布と携帯くらいだよ?」と振り向きざまにそう言った。
彼女はそうだね、と呟くとまたスマホに目を戻した。
僕は靴を履くとエレベーターのボタンを押した。エレベーターが1階からのそのそと上がってくるのがもどかしかったが、それが部屋にいる彼女なのか、ロビーからの謎の女に向けてなのかはよくわからなかった。
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