第3話 水月

  自分の名前をGoogleで検索すると、たくさんの検索結果が出てくる。これは誰でも同じ。有名人であれば数万件もの検索結果がでてくるでしょう。

しかし、いくら検索結果(という仮身)が多くとも、自分(という実身)はただひとつ。

  アマゾン・Kindleで何万冊もの本を読むことができるといって、実際に生涯で読めるのは数百(千)冊。

  死ぬときに心で思い出せるのは数冊。

  しかし、本当に幸せな人とは、たとえば、生涯一冊の聖書を読み込んで、それを心に刻み込んで死ねる人ではないでしょうか。

水に映った月ではなく、月そのものを射る(斬る)ことのできた人。


  ヒッチコックの映画「救命艇」(1945年)で、死んだ赤ん坊を水葬するとき(14分30秒辺り)に、心に刻まれた聖書の言葉を言えたのは、子供の時から人種差別に遭い、奴隷のような境遇のなかで、本といえば聖書しか手にしたことのない黒人でした。


主は羊飼い

主は私を牧草地で休ませ、そして、

憩いの水へと伴ってくださる

私の魂を生き返らせ、その名にふさわしく

正しい道へ導いてくださる

死の陰の谷を進むことになろうとも

私は恐れない

あなたがそばにいて、ムチと杖(つえ)で励ましてくださる

命ある限り

恵みと慈しみを忘れはしない

私は永遠に主の家にとどまる

アーメン(まことに、たしかに、かくあれ)


  「怒りの葡萄」で、長い旅の途中で息絶えた主人公の父親の埋葬に際し、元牧師のホームレスはこう言います。


この老人は人生を全うした

善人か悪人であったかは問題ではない

生きとし生けるもの皆神聖なり、という詩もある

私は死せる者のために祈りはしない

生きて迷える者のために祈りたい

爺さまにはもう迷いも苦しみもない

行く道も定まっている

土を掛けてあげよう


  これだけ簡単明瞭で的を射た、そして心のこもったはなむけの言葉はありません。

  私は父の死にぎわにも・葬式にも、立ち会うことができませんでしたが、遺影にこの言葉を投げかけることができたことで満足しています。


  大学卒業後就職した会社時代、ディールカーネギーや鈴木健二(元NHKアナウンサー)といった著名人や「ヤクザは人をどう育てているか」といった、人間関係や人材育成・教育の本をずいぶんと読みあさった時期がありましたが、結局は自分自身で体験して学んだ人間関係や、大学日本拳法時代の後輩の指導といった体験に如くはなし、でした。


2024年5月14日

V.1.2

2024年5月15日

V.1.3

平栗雅人

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水と月 V.1.3 @MasatoHiraguri

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