2 「……ごほん、名は魔王だ!」

 先生に促されて、名浜なはまさんと呼ばれた女の子が教室に入ってきた。

「おおっ!」と教室がどよめく。


 僕もどんな子なんだろうと思わず注目してしまう。タッくんが「一瞬だけ顔を見たけど、結構かわいかった」っていうから、どうしても見ておきたかった。


 町田先生の近くへ歩いていく彼女は、すらっとしていて、黒くて背中まである長い髪がきらきらと光って見えた。その子が正面を向く。

 ズキューン!

 自分で自分の心臓に天使の矢が刺さったのがはっきりとわかった。

 

 僕はしばらく名浜さんに見惚みとれて、口が開いてしまっていた。

 か、かわいい。


 はっ、と慌てて口を閉じ、きょろきょろ周りを見るが、みんな名浜さんに注目していて誰も僕を見ていなかった。危なかった。



 うん、改めて名浜さんを見てみると、確かにかわいい。

 いや、かわいいなんてもんじゃない。

 テレビやネットに出てくる誰よりもかわいいかもしれない。



「うわ、ヤッバ!」

「カワイイ! 超カワイイんだけど!」

「あれって、芸能人? 芸能人が転校してきたの?」


 学級のみんなも僕と同じ反応だった。いや、僕以上に興奮しているようだった。タッくんも僕の方を向き、「な? 言った通りだろ!」となぜか誇らしげな顔をしていた。


 はいはい、タッくんのいう通り……いやそれ以上だったよ!


「さ、名浜さん。簡単でいいからみんなに自己紹介をしてもらおうかな」


 先生にそう言われて、名浜さんは座っている僕ら――クラスメイト全員を軽く眺めると、口を開いた。



「……ごほん、名は魔王だ! 人間ども、よろしく頼むぞ!」



 今の今まで盛り上がっていた六年一組の教室が一瞬にして、しんと静まり返る。そして「え、今なんて言った?」「魔王……?」「人間どもって聞こえたけど……?」と一気にざわめきが起こった。


 うん。今確かに、「名は魔王だ!」と言った。


 魔王……? 今目の前に立っている女の子が魔王? ゲームとかの最後に出てくるボスみたいなのってこと?


 タッくんも「あの子、ゲームのやり過ぎ? それともこれ、ドラマの撮影か何か?」とか言いながら、後ろを振り向いてくる。

 どちらも違うと思うけど。


 何かのキャラクターの真似でもしているんじゃないか、クラスメイトのみんなも、それぞれの席の近くの友達とがやがや話をしている姿が目に入った。



 そんな六年一組のざわめきを止めたのは、担任の町田先生だった。



「はっはっは! 名浜さんは面白い子なんだな! みんな、仲良くしてあげてくれよ!」


 そう言うと先生は白いチョークを持って、黒板に「名浜凰」とフルネームを漢字で、その隣に「なはまおう」と振り仮名を書いた。


 ああ、なるほど。「なはまおう」って、そういうことか。僕は聞き間違えた理由がわかった。彼女の名前は「なはま、おう」さん。だけど、わざと「なは、まおうだ!」と面白おかしく言ってくれたってわけだ。


 もしかしたら、一日でも早くクラスに馴染もうとする彼女なりのジョークだったのかも知れないな。そんなふうに一人で納得していると、町田先生が言った。


「よし、じゃあ名浜さん。とりあえず、一番後ろの結城ゆうき恒河沙ごうがしゃくんの隣の席に座ってくれるか?」


 え?


 突然、自分の名前を呼ばれてしまって、僕は思わず隣の席を見た。全く気づかなかったけど、昨日までなかった机と椅子が一つ、確かに置かれていた。ここに……名浜さんが……座るの?


「ゴウくんいいなぁ! 僕と席を変わってくれよ!」というタッくんの声に反応できないくらい、なぜか僕はドキドキしていた。


 名浜さんが、つかつかと歩いてきて、すっと僕の隣の席に座る。そして、僕を見ると、

「よろしく頼むぞ」

 と、にこっと笑った。


 その笑顔を見ただけで、あぁ、名浜さんと仲良くなりたいな、なんて思ってしまった。これまでの僕なら絶対に思わないはずなのに。


「よろしくね、名浜さん! 俺の名前は千堂せんどう剛士たけし! タッくんって呼んでよ!」

「ねぇねぇ名浜さん、どこの学校から来たの?」

「芸能界に入っているの? すっごくカワイイんだけど!」

「名浜さん、さっきのジョーク面白かったよ!」

 

 朝の会が終わり、1時間目の授業が始まるまでの間。

 僕が話しかけようとする前に、クラスのみんなが一斉に名浜さんの席に押し寄せて、自己紹介をしたり質問をしたりし始めた。


「はっはっは、慌てるな! 一人ずつ相手をしてやろう」


 名浜さんは満更でもなさそうな顔をして、みんなと会話を楽しんでいる。僕が話に割って入る隙はなさそうだった。


 まさか、その転校生との出会いが、僕の学校生活を大きく変えてしまうことになるなんて、そのときは全く思っていなかったんだ。

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