第5話

 それから数ヶ月経ったが、次の小説について何も思いつかない。いつもなら概要は思いつくのだが、本当に何も浮かんでこない。スランプに陥ってしまったようだ。大抵の小説家がそうしているように、自分は物語の中に自分自身が常々思っていることを散りばめながら書いている。しかしどうしたものか、それさえ出てこない。自分の考えていることは既に出尽くしてしまって、小説家として、または芸術家として、どうしようもない存在になってしまったのかも知れない。仕方がないので読書をして、そこで共感したことを書いてみようと思い、家にあった本を適当に取ってみる。題名は「母の初戀」。川端康成の本だった。読んでいるとふと思った。「もし、他の作家の小説を読んで、それに対して本当に共感したところで、それは真に自分自身の意見と言えるのだろうか」何も今回に限った話では無い。今まで生きてきて感じたこと、思ったことには、多少なりとも他人の意思が関与していただろう。ならば自信を持って今まで抱き、小説に綴って来た感情は自分のものだとハッキリと言い切れるのか。これから先、自分のものとも知らない感情や思考を、自分のものと主張して良いのか。もしこのことについて、納得のいく回答を出さぬまま小説を書くのは、さながら居直り強盗の如き所業だろう。自分には段々とどうすれば良いのか分からなくなって来た。とにかくどうにか答えを、少なくともある程度は納得のいくものを見出さなければ、気が散って手がつかないので、それを探すため手当たり次第に色々なことをした。少し遠くへ旅行に行ったりもしたし、たくさんの本や音楽を見たり聞いたりした。だが、考えれば考えるほど難しい問題だと痛感する。自分一人では解決しようもないので、人に聞いてみることにした。

「たとえ人からの伝聞だとしても、自分の口から出た時点で、お前自身の考えになるだろ」

簡単そうに木村はそう言う。

「だってよ、お前には相手が何かを言って、それを完璧に理解することが出来るのか?」

「無理だろうな」

「そうだろ。人から人へと言葉が移るとき、その言葉は受け取る奴が望むように別の形に変わっていくんだよ。良いようにも悪いようにも。受け手が勝手な解釈をして言葉を認識して、さらに別の人に言葉を発するわけだから、そこに元の言葉を発した人間の意思はほとんど皆無なんだよ多分」

なるほどと思った。確かにこれまでの人生で、褒められても、それを皮肉かと疑ってしまったことがある。きっと褒めたつもりでも上手く相手に伝わらなかったという経験をした人も多くいるだろう。そう考えると他人から言葉を取り入れた時点で既に自分自身の言葉になっているのかも知れない。しかし、もしそうならば、言葉に意味がないと言うようにも捉えられるように感じた。どんな言葉も相手の捉え方次第なら、その言葉にどんな意味があっても関係無いのでは無いかと。ただこれ以上考えるのはもうやめた。取り敢えず納得のいく回答は得られたので、さらなる疑問の答えを探すよりも、まずは小説を書き始めよう。

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梔子 八瀬女 @gga

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