第4話
人間は皆、過去に忘れ物をしていくものだと思う。楽しかった思い出も、思い出すだけで流涕してしまうような後悔も、周りが見えなくなるほど憤ったことがあっても、過去を回顧するのみで、手を伸ばして触ろうとしてもすり抜けて、ただ見ることしか出来ない。だか思い出はどうすることも出来ないからこそ大切なものに成り上がる。俺にはまだ、このことを上手く言語化するほど成長できない。それほど成長出来たときに、ようやく俺は小説家、または言語を綴ることを仕事としている人間として一人前になれたと言えるのだろう。それは一体いつになるんだろうか。もしかしたら明日かも知れないし、5年後10年後さらには死んでようやくそうなれるのかも知れない。どちらにせよ俺に足りないのはとにかく経験だ。学生の頃の国語の授業で小説を読むことが多々あって、そのときに思った「作者が体験し、感じたことを小説に書いているのに、まだ人生経験の浅い10代の人間が理解したり、共感したりできるのか?」俺は今でも、小説を読んでも全く理解できないところもあるが、分からないまま読むのも一興だと思うようになった。この世の読書家に聞いてみたいが、なにを思いながら読んでいるのだろう。所詮は他人が描いたものなので、真の意味で理解できることは無いのだろうが、それでも理解できるように読んでいるのだろうか。そんなことを考えながら十和田湖についた。今年の夏はとにかく暑く、ちょうど一つ作品を書き終えたので、リフレッシュも兼ねて遊びに来た。ついでに何かネタを見つけようという魂胆だ。
父の実家が青森で一度だけ十和田湖に来たことがあるが、そのときは小さくてあまり記憶が無いので、もう一度くらいは行ってみたいと常に思っていた。十和田湖は約20万年前の噴火によって出来たカルデラ湖というものらしい。この湖は20万年間この場所に鎮座し続けている。おそらくこの湖は、溺れるほどの愛の美しさにあてられた人間の営みを、飽きるほど見てきたのだろう。そして、そうまでしても飽きることなく、ずっと見続けているのかも知れない。もし俺が死んだら遺骨はどこか海に撒いて欲しい。この湖のようにずっと人間を見てきた海へ自分のカケラを任せることが、どれだけ安心することだろうか。生物が産まれ出でた海に包まれて、最後を終える。そうして俺は十万億土をようやく踏むんだ。
結局青森では一つもネタが思いつかなかった。そもそも休養のために行ったのに、仕事のことを考えていたことが間違いだった。
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