51.家系図に存在しない者とは

 伯爵は入室すると、机に並べられた貴族名鑑を見つめながら質問をしてくる。


「リゼ、どうしたんだい? 珍しいね、ここに来るのは」

「あ、お父様。少し確認したいことがありまして」

「貴族名鑑をこんなに並べて。何を知りたいのかな?」

「私に絵を依頼してくださった方がもしかしたら貴族かもしれなくて……」


 来訪の理由を伯爵に話す。彼はその様子から目的を遂げられていないのだろうと察した。


「おや、そうなのかい。基本的に貴族の家の子として生まれたらこの本に必ず書き足されることになっているからね。ないのかな?」

「そうですね……。あの、もしかしたらお母様が平民のため、落とし子なのかもしれないですね……」

「落とし子……でもこの国の制度では必ず落とし子も貴族として登録するのが義務付けられているからね。ないはずはないと思うよ。なんて名前の方なんだい?」


 伯爵から国のルールについて教えてもらう。認知しないという選択肢はないらしい。それであれば、なぜ記載がないのか、自分たちの仮説が間違っているのかと考え始める二人だ。


「カイさんという方です。思えば苗字は知りません……」


 伯爵は悩むリゼに、「もしかしたら……」と、前置きをしてから、とある推測を行う。


「ふむ。……偽名、なのかもしれないね」


 伯爵の発言に、そのパターンは考えていなかったリゼは声を漏らす。


「偽名……ですか……」

「訳ありのようだからね。もしかしたらあるかもしれないよ。素性がはっきりするまで警戒したほうが良いかもしれない」

「そうですね……。でも悪い人たちではないと思うんです。こうなったら本人に聞いてみます! お父様!」


 それからリゼたちはまたアトリエに戻ることにする。本来は、カイが話してくれるのを待った方が良いのだろうが、早々にカイに直接聞いたほうが良い気がしたためだ。少しでも情報が集まれば、ルイーゼのルーツを探す手掛かりになるかもしれない。


 ◆


 その頃、王宮での出来事だ。王宮で忠臣から書類を受け取るのはこの国の王子たるジェレミーだった。


「ジェレミー様。ご命令いただきました舞台女優ルイーゼおよびその息子、カイの過去についての調査が完了しました。詳細はこちらに。極秘資料ですので、調査を行った担当官と私のみしか内容を確認しておりません……驚かれないように……色々と厄介なことになるかと思われます」

「ご苦労。驚く? 何か面白い経歴でもあるの? えーっと、リゼから聞かれていた……何か彼女らのルーツについて分かったかな〜。ん、これは……なん……だって!? すぐに美術館に行かないと」


 ◆


 リゼたちは美術館に到着する。運の良いことに、ちょうど入口でカイの後ろ姿を見かけたリゼは声をかけた。


「カイさん!」

「おや、リゼ様じゃないですか。アトリエですか?」

「はい。絵はほとんど完成しました」

「おお、それは是非とも見たいですね!」


 カイは絵の完成を喜ぶ。無邪気に喜ぶカイにこんなことを聞いてよいのか少し心が揺れる。だが、ルイーゼのルーツを調べるには聞くしかない。リゼは少し迷うが、カイに質問をしようと決心する。


「あのカイさんって……。ちょっとお聞きしたいことが……」

「どうしました?」


 ちょうどその時。


「さようならランドル伯爵令嬢」


 黒いローブを身にまとい、フードを深く被った男より、そっと囁かれたリゼはぎょっとして声がしたほうを見つめる。


「おい君! 一体」


 カイが問い詰めようとしたその瞬間。


「お嬢様! 足元に!!」

「えっ……!」


 リゼが足元を見ると、光を発し始めた。少し離れたところにいたアイシャが急いでリゼに手を伸ばそうとする。しかし、手の届く位置ではない。

 すぐ横にいたカイはリゼを光の外に押しやろうとする。その結果、カイも光の中に入り、リゼとカイの二人は目を開けていられないようなまばゆい光に包まれると、その場から姿を消すのだった。


「お嬢様! お嬢様!」


 アイシャが周りを見渡すと先程の黒いローブの男は消えていた。劇場周辺は騒然とする。


「お嬢様っ!!!!!」


 アイシャの声がむなしく響き渡った。



 ◆



 ふと、冷たい地面の感触を感じる。


(う……一体何が…………? 確か光に包まれて…………)


「起きましたか」

「カイ……さん? ご無事ですか?」

「えぇ。なんとか」

「ここは……」


 あたりを見渡すと薄暗い小部屋に横たわっていた。カイがコートをかけてくれていたようだ。


「おそらく何かしらの魔法のようです。それにしてもあの天井付近からこの床に叩きつけられたのですが、本当にどこか痛いところなどはないですか?」

「あ、はい。まったく問題なさそうです。カイさんは大丈夫ですか?」

「非常に申し訳ないのですがリゼ様の上に落下したようで……なので、私は大丈夫なのですが、リゼ様のことが心配で……」


 カイは言いにくそうに何が起こったのかを説明してくれた。


「そういうことでしたか。私は全然大丈夫です。それにしてもこの石の床に激突したのに怪我がなかったのは運が良かったです。あっ、そういえば私、どれくらい意識を失っていましたか?」

「ほんの数秒です。私は気絶しなかったのですが、慌ててどいてすぐに気づかれたので」


 リゼはカイに「ありがとうございます」とお礼を言いつつ、少し考える。


(おそらく衝撃耐性のスキルが発動したのね……それにしても人を特定の場所へと移動させる転移魔法は簡単に発動出来るものではないはず。複雑な魔術式と暗号術式を大型の魔法陣として描く必要がある……それに転移先にも同じ暗号術式を用いて魔法陣を描く必要があるのよね。見た所、魔法陣はない。そもそも古代魔法で現代には伝わっていないはずよ。私も書物で知ったのだし。ということは転移石を使ったのかも。あちら側で持っているはずの片方を割れば戻れなくなるし)


 リゼは起き上がり、注意深くあたりを見渡す。薄暗いその部屋には、壁沿いにわずかな明かりが灯っている。そして天井を見上げると転移石らしきものがぶら下がっていた。

 カイが壁の近くにある壺の中身などを覗き込んでいる隙に、ひとまず擬似無詠唱でウィンドウェアーを発動し、ジャンプして転移石を入手する。

 ウィンドウェアーは風を全身にまとうことで移動速度が向上する古代魔法だが、ジャンプ力なども強化される。

 カイはリゼが何か手に入れたことに気づき駆け寄ってきた。


「輝きが失われている……片割れはすでに破壊されたのね」

「転移石でしたか。誰がこんなことを……」

「ですね……」


 再度、辺りを見渡してみる。こういった場所は〈知識〉で見覚えがあるような気がしていた。


「この空気感……まさかダンジョン……?」


 リゼはそっと呟いた。

 

「はい。ダンジョンみたいですね。しかも汎用ダンジョンではなく聖遺物ダンジョンです」

「ということは……危険ですね……難易度も分かりませんし」

「ここは小部屋みたいですね。あそこに扉が」


 カイが指をさす方向に目を向けると確かに扉がある。リゼは注意を払いながら扉に近づくと、備え付けられている小窓から外を確認する。


「壁沿いに明かりが灯っているので視界は問題なさそうですね。明かりがあるということは中級以下だと思います。上級難易度からは暗視スキルが必須の暗闇のはず……」

「随分とお詳しいですね」

「少しだけ興味があって……」

「どうしましょうか。あの場にはアイシャさんがいるのですぐに通報はしてくれると思いますが……」


 ここがダンジョンであるということはおそらく間違っていないだろう。不安そうなカイが行動方針を聞いてくる。


(どうしよう。でもかなり遠くに飛ばされていたら発見まで時間がかかるかもしれないし……食糧不足で動けなくなったらこの小部屋にポップしてくるモンスターにすら対抗できないかもしれない……)


 賭けにはなるが、意見を話す。


「どこまで飛ばされたかによっては助けが来るのに時間がかかるかもしれません。食料もないですし、元気なうちに入口を探した方が良いかなと思います。いかがですか?」

「分かりました。通路や広間にはモンスターがいるはずです。ランドル伯爵家では剣術の稽古はつけていますか?」


 外に出る、ということはモンスターなどと対峙することになる。リゼがどれくらい戦えるのか気になるのか、カイが聞いてくる。


「ご安心を。得意分野です」


 リゼは得意げに答える。実際に得意分野だ。


「おや、そうなのですか。それは意外ですね」


 カイは驚きの声を上げた。

 絵画を描いている姿のみを見ているため、戦闘とは程遠い人物だと思っていたのだろう。


「魔法も使えますよ。カイさんは戦えますか?」

「私も本当に少しですが。属性は水です」


(土属性ではなく水属性ということはやっぱり貴族……なのかな……? でも平民でも土属性以外の属性を持って生まれることもあるし……でもいまはそれよりも、なんとか抜け出すことを考えないと)


 カイの属性を聞いて、ステータスウィンドウを見せてもらいたくなった。職業欄を確認すれば、家柄などを確認できるからだ。しかし、いまはそれどころではない。


「実戦経験はいかがですか?」

「そこは申し訳ない、ないのです」

「分かりました。武器は部屋にはありませんから途中で落ちていることを願うしかないですね……それまでは魔法でなんとかしましょう。とはいえ、ここが中級クラスのダンジョンの場合、初級魔法ですと何度も当てないと倒せませんので大変かもしれません……。ダンジョンの入口が見つかれば良いのですが、見当たらない場合はボスを倒して出口から出るかを考えないといけませんね……」


 リゼはひとまず、抜け出すためのプランを意見してみた。出口を目指す場合はボスモンスターと戦闘が必要になる。二人ではかなりハードルが高い。通常は五人以上のパーティーを組むからだ。


「入口の方が安全ですか?」

「それは絶対そうです。ただ、入口を壊されているかもしれません……」

「ありそうですね。とすると……」

「ボス攻略ですね……とはいえ、入口をまずは見つけてみましょう!」


(あの黒いローブの男、『さようならランドル伯爵令嬢』と言っていたよね……私のことを消したいってことなのかな…………ということは確実に殺すために中級クラスのダンジョンを選んでいる可能性が高い…………中級クラスのダンジョンは一歩間違えたら本当に死んでしまう……救援を待った方が良い? でも……何もしないで救援が来なくて死ぬくらいならあがいた方が良い…………)


 いままで魔法と剣術をひたすら練習してきたのだ。そう簡単に負ける訳にはいかないと、リゼは自分を奮い立たせた。こういう時のために練習してきたといっても良い。


「あのカイさん。巻き込んでしまってごめんなさい……たぶん私のことだけを狙ったはずなのに……」

「気にしないでください。私は仮にこのダンジョンが最期となったとしても後悔も何もありませんから……」

「そんなことをおっしゃられないでください……ルイーゼさんが悲しみますよ。なんとしても生きてここから出ましょう。全力を出していけばなんとかなるかもしれません」


 戦闘に自信を持てないのか、不安そうにするカイをリゼは元気づけた。


(こんなことなら、ダンジョンマップウィンドウを交換しておけばよかった……)


 十二歳の今、いきなりトラブルに巻き込まれることはないと考えていたため、自分を恨むのだった。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る