44.行動開始

 劇場から帰宅すると、夕食の時間に伯爵から感想を聞かれる。


「舞台はどうだったんだい?」

「そうですね。予想していた話とは異なっていましたが楽しめました。アイシャとも盛り上がりましたし」

「それは良かったわ。リゼ、あなた、芸術的感性を養うのは良いことよ。だから、たまには劇場に足を運んでみると良いわね」

「お母様、実は明日も行くことにしたのです。舞台女優の方の絵画を描くことになりまして」


 カイとの出会い、舞台女優の息子であり、母が余命宣告されている身であること、思い出のために絵を依頼されたこと……を説明する。

 伯爵と伯爵夫人は話を聞いて、感慨深そうに間を置き、口を開く。リゼの今回の活動はノブレス・オブリージュに近いものであり、貴族としては必要なことだ。


「なるほどなぁ。舞台女優とその息子ならまあ大丈夫だろう。アイシャもついているしね」

「あの、ちなみに三十年くらい前に北部で山賊が何か事件を起こしていたりはしますか……?」

「あの辺は山賊が頻繁に出ていた地域だからね。いまはもういないが、その頃だと珍しい事件とは言い難いかもしれないね」

「そうですか……ありがとうございます」


(ルイーゼさんの故郷探しは難航しそうね……)


「良い絵を描くのだよ。色々な経験をするのは良いことだからね。精一杯頑張りなさい。我々は平民の皆さんのおかげで成り立っている。常に奉仕する心を持たなければならない」

「はい!」


 伯爵から頑張るようにと言われたリゼはやる気を出すのであった。私室に戻り、お風呂を済ませる。日記を広げていると、アイシャが呟くのだった。


「感慨深いですね。お嬢様、これって画家としての初仕事なのでは? お嬢様にとっては」

「あ、確かにそうかも……」

「どんな絵になるか楽しみにしていますね!」

「緊張するけど、頑張らないと」


 伯爵、伯爵夫人、アイシャという、リゼにとっての重要な人物たちからの期待。そして、カイの想いとそれに伴う責任。リゼにとっては初めての感覚であった。


(明日は朝からお邪魔することになっているから、デッサンだけ急いでさせていただいて、夕方になったら切り上げようかな。ジェレミー達も来るし)


 依頼をこなすため、先取り学習で先に進んでいるリゼにとっては勉学的には問題ないため、キュリー夫人に許可をもらいお休みにすることにする。そして、忘れてはいけないのが数日後に迫ったお茶会だ。

 翌日、アトリエで絵を書いてるとルイーゼが訪ねてきた。


「リゼ様、カイから聞きました。なんだか申し訳ありません……」

「お任せください! 今回、ある程度あたりを付けたらすぐに油絵具で完成に近づける方法で描いていきますので、長時間座っていていただく必要があって申し訳ありません……」

「大丈夫です。よろしくお願いします」


 それから数時間、リゼはルイーゼと歓談をしつつ、背景を着色し、髪から服、顔と仕上げていく。その間、ルイーゼの半生を聞けば聞くほど、苦労の連続であったことを知る。平民として生活することの大変さを実感し、自分の考えの甘さを痛感するのだった。


(ある程度はできたから今日はここまでかな。少し乾かさないと。細かい印象は頭の中に入れたから明日続きをやりましょう……あとはルイーゼさんの舞台を演じる絵……これはルイーゼさんを何パターンかスケッチさせていただいてどうするか考えましょう。それにしても、私の考えの甘さを痛感した。いざとなったら、氷屋さんをやればよいと考えていたけれど、土地も必要だし、家を立てる必要もあって。そのためのお金も必要になる。はぁ……私、考えが甘すぎ……)


 自分に落胆しながら、気持ちを切り替えてリゼは何パターンかスケッチする。


「ルイーゼさんの特徴は分かってきましたので、あとはなんとかなりそうです」

「ありがとうございます。カイもきっと喜びます」


 それからルイーゼは退室し、アイシャと話しながら作業を進めるリゼであった。 デッサンのパターンをいくつか用意し、それをアイシャに見せる。


「どれが良いと思う?」

「ルイーゼさんは物静かではありますがまっすぐな方だと思うんですよね。なので、この左の絵が私の中ではぐっと来ました」

「ありがとう。私もこれかなと考えていたから、ちょうど良いかも。ルイーゼさんの雰囲気はこんな感じで。あとは舞台で何を演じているか、分かるようにしたいかな……」

「この前の『失意の凱旋』でのルイーゼさんは……青年の母親役ですね……」


 流石にもう少しメイン級の役を演じているところを描いたほうが良いかなと考える。ルイーゼの生き様を後世に残すための絵であるからだ。


「流石に適切ではないかな……だとしたら抽象的にする?」

「と申しますと?」

「架空の作品、架空の役って感じかな。それで舞台女優であることは分かるようにするの」

「なるほど。ここはカイさんの意見も聞きたいですね」


 それから二人はカイを待つことにする。昼過ぎにカイはやってきた。


「申し訳ないです。なかなか忙しくてですね」

「あ、カイさんに相談があるのですが……」


 リゼは、実際の役を描くか、抽象的に表現するかを確認する。


「なるほどなるほど。架空の役で構いませんよ。母が舞台に、そこにいたのだということが伝わってくるイメージでお願いします」

「分かりました!」


 カイは用事があるのか、すぐさま退室していった。なかなか忙しそうだ。それからリゼとアイシャは絵画の構図をある程度決めて帰宅することにした。


「お、きたきた〜。お邪魔してるよ」

「ジェレミー、もう着いていたのですね」

「で、舞台はどうだったのかな〜?」

「面白かったですよ。結末は悲しい展開でしたけれど」


 リゼはアイシャと話が盛り上がったし、なんだかんだ言いつつも舞台を楽しむことはできたなと振り返り思うのだった。もちろんハッピーエンドの方が良いのだが。


「ふーん、なんていう作品?」

「えっと、『失意の凱旋』ですね」


 ジェレミーは知らない作品だったのか、「へー」と、相槌をうった。話が落ち着いたところでアイシャが話を切り出す。


「ジェレミー様、実はお嬢様ですが、いま初仕事を頑張られているんですよ」

「そうなの? 何の仕事?」

「絵の依頼がありまして。あ、そうだ。ジェレミーは知っているかな……うーん、でも生まれてないし……」


 リゼはルイーゼが巻き込まれた北部での事件について、ジェレミーにどのように確認すればよいか悩む。当時、ジェレミーが生まれているはずがないからだ。


「ん?」

「実は絵を依頼してくれた方のお母様が舞台女優なのですけれど、故郷が何処か分からなくて一度見てみたいっていう話で」


 まずはジェレミーにルイーゼの境遇と山賊の件を話した。何とかしてあげたいという、リゼの熱意をジェレミーは感じ取ったようだ。ただ、彼に心当たりがあるはずもなく。


「どうだろうなぁ。でも王宮で聞いてみようか?」

「良いのですか? それは是非、お願いしたいです。私の交友関係だけでは難しくて」

「あ、うん。たまにはリゼのために働いてあげようかなーって」

「ありがとうございます、ジェレミー!」


 喜ぶリゼをジェレミーは笑顔で見つめていた。そして、ラウルの協力も取り付けるようにリゼにアドバイスするのだった。


「……ラウルにも聞いてみたら〜? こういうのは人数をかけた方が良いしねー」

「そうしてみます。せっかく知り合ったわけですし、幸せになってほしいですから。袖すり合うも他生の縁と言いますし」


 ラウルが到着するまで練習場で魔法の練習を行った。魔法について語り合っていると、しばらくしてラウルも到着する。リゼはルイーゼの件をラウルに話して聞かせていった。


「なるほどね。そんなことがあったとは。山賊のせいでその方のように身寄りのない方が他にもいるのだろうね……」

「そうですね……」

「ひとまず僕も調べてみるよ」

「ありがとうございます!」


 できる限り知り合いに山賊の件を聞いてみようと考えていた彼女としては、ラウルとジェレミーが真面目に取り合ってくれて感謝するのだった。それからいつも通り練習を繰り広げたリゼたち。剣術や魔法の練習は将来のために確実にこなす必要がある。


「そうだ。さっき気づいたんだが、何者かにつけられているみたいだね。何かしらの探りかもしれない。少し様子を見るためにここに来るのはやめておくよ」

「ラウル様、なんだか不穏ですね……お気をつけください!」

「もちろん。馬車の座席部分は持ち上げると物入れになっていてね。そこに剣を何本か入れてあるよ」


 少しきな臭い動きがあるらしい。この日はジェレミーとラウルは同時に帰っていった。


(ラウル様をつけるって、何者かな。ラウル様は中立派では重要な立ち位置の方。ルイ派もジェレミー派も彼の家系を取り込みたいと考えているはず。とはいえ、ラウル様はお強いのと、いつも護衛の騎士が八人は帯同しているから、きっと大丈夫よね……?)


 リゼは日課をこなすと眠りにつくのであった。

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