43.少年からの依頼
観劇を終えたリゼはもっと幸せな物語を期待していたため、何とも言えない気持ちでいた。
「…………えーっと、お嬢様? ハッピーエンド系ではなかったですね……」
恐る恐るアイシャが話しかける。リゼはしばらく押し黙った後に口を開く。
「そうね。それにしても、普通、領民が勝手に連れていかれたらどうにかすると思うけれど。やっぱり貴族と平民って壁があるものなのかな……?」
ヒロインである貴族の少女が親に領民である平民の少年が、横暴に縁談相手の貴族に連行されたことを抗議したら無視するシーンがあったため、そこを思い返しながら呟いた。
「どうでしょうかね。私の場合は楽しくやらせていただいておりますが、これはすべてお嬢様のおかげだと思います。でも普通はある程度、壁というものはあると思いますよ。どうしても身分が違いますし、それを実感する場面というものはあるでしょうから」
「難しい問題ね……」
アイシャ自身も劇の内容には釈然としないものがあるが、ふと思いついたことを口にする。
「そういえば、お嬢様があの娘の立場だとしたらどこでどうしますか?」
突拍子もない質問だが、こういうもしもの話が嫌いではないリゼは少し考える。
(縁談をしたくなかったという点では、私も同じ。好きな人はいないから完全にあの少女と同じではないにしても。どうするのかな、あの少女だとしたら。身を守る方法……やっぱり戦うしかない?)
「うーん、まず縁談を断るとして、それに相手に叩かれそうになったらアイスレイで動きを止めて、牽制する。そして、身を守れるようにどうにかする……つまり、いまと同じような日々を送るかな」
「めちゃくちゃ攻撃していますね……でもやっぱり嫌なら断るべきですよね」
結果的に戦闘に持っていくリゼにアイシャは苦笑する。
「だって嫌じゃない? 何も知らない人といきなり婚約だとか。しかもあんな……。一度、婚約してしまったら、そう簡単には破棄なんてできないのだから、なんとしても婚約しない方向にもっていくしかないと思う。それに見ていて思ったのだけれど、やっぱり顔合わせくらいで婚約するというのは私には合わないかな。やっぱり人となりをよく知らないと怖い……」
「ちなみに劇の少女は平民と恋に落ちていた訳じゃないですか、お嬢様がもし平民と恋に落ちていたらどうするんです?」
「どうかな……。あ、でも私、そもそも何かあったときに逃げるなりして、一人で生きていけるようにしようというのも目標の一つだから、特に貴族の生活にこだわりはないのよね。つまり、出来る限り平凡に生きていたい、理不尽には死にたくないという……。もし平民の人のことが好きだったら、貴族はやめて働きながら楽しく暮らすという道を選ぶかも。氷屋さんとかやるのはアリじゃない? 氷って貴重だからいけるかも」
「なるほど〜。お嬢様はまさかの駆け落ち派でしたか。確かにお嬢様は貴族と平民を分けてあまり考えないところがありますから、そういう考えになるのかもしれません。それに、氷屋はかなり良いアイデアかもしれませんよ、繁盛しそうですね!」
リゼの答えに少し感心するアイシャだった。基本的にリゼは身分の違いに興味がないのだ。しかし、それは貴族故に恵まれているため、なのかもしれない。実際のところリゼは溺愛されており、とくに金銭面でも困ったことはなく、衣食住は確保されている。平民として育った場合は、どうしても扱いの差などを感じ、同じ括りでは考えにくい可能性がある。
「駆け落ち……確かにそうなるのかな。でも、少なくともお父様とお母様にはあの少年と会ってもらえるように事前に努力すると思う」
「確かにお嬢様、わりとなんでも、多少の緊張はあれども、物おじせずに旦那様達に確認はしますものね」
「ちなみにアイシャはどうするの? あの娘の立場だったら」
今度はリゼがアイシャに質問をする。アイシャは自分の中である程度、答えを用意していたのかすぐに思いを口にする。
「そうですねぇ……まずは青年を使用人として屋敷に入れて、親と青年が顔見知り状態になるようにして……外堀から埋めていきます」
「え、アイシャすごい……!」
アイシャの緻密な計算に感動するリゼなのだった。なかなかの策士だ。
「劇の設定を無視した邪道とも言います」
「あはは。でもそれを言ったら私もアイスレイを使おうとしたし同じようなものよ。それにしても、アイシャの案は思いつかなかったからすごい……!」
「三歳年齢差があると、案外すれて打算的になってくるものですよ……」
「ふふ、私も十五歳になったら、そういう考えを思いつくかな? あ、そろそろカイさんとの集合場所に向かいましょうか」
暗い劇の内容を楽しい話題に変えて盛り上がった後、二人は席を立つ。なんだかんだ、劇の鑑賞という意味では、成功だったかもしれない。
すると、後ろから声がかかる。
「申し訳ありません。実は迎えに来まして、ここにいますよ。随分と盛り上がっていたので声をかけるタイミングを逃してしまいました」
「え、あれ! まさか後ろにいらっしゃったのですね! お恥ずかしい話を……」
「そ、そうですね……」
リゼとアイシャは「外でする話ではなかったか」と、少し赤面する。時たま、このような例え話で盛り上がってはいるが、外ではしたことがなかったため、聞かれたのは恥ずかしい。
「しかし珍しい方たちですね。お二人ですが、身分は違っても友人のようです」
「思えば私、同性の仲良しはアイシャだけかも……」
「ふふふ、でもいつかお嬢様にもご令嬢の友人が出来てしまうと思うと妬けてきちゃいます」
「安心して、一番の友達はアイシャだから」
アイシャは幼い頃から共に過ごしてきた仲であり、思い出を共有しているため、そう簡単にはアイシャを超える友人は出来ないだろう。
「今度、この前いただいた絵の下に描いていただいても良いでしょうか? 今のお言葉」
「もちろんよ!」
盛り上がる二人であるが、ここでカイが口を開いた。
「唐突ですがリゼ様、一つお願いをしても?」
「あ、はい。もしかしたら何か描いて! というお話しでしょうか」
「はい。ものすごくお察しが良いですね」
ひとまずカイからの依頼は相槌をうって承諾する。それから、客がはけるのを待ってから、楽屋へと案内されるリゼとアイシャの二人だ。すでに演者の一部は帰宅したのか、残っているのは数名程度だった。
カイは黒髪の女性を連れてくる。おそらく、カイの母親なのだろう。少しやつれているが、すらりとした美人だ。
「こちらが母です」
と、カイが女性を紹介する。リゼは貴族の子女らしく、丁寧にあいさつを行う。
「はじめまして。リゼ=プリムローズ・ランドルです。今日はありがとうございます。素敵な舞台でした」
「アイシャです。素晴らしい舞台でした」
二人は挨拶をする。女優であるだけあって、近くで見るとなかなかにオーラのある女性だ。そして、とにかく目鼻立ちが整っている。
「ありがとうございます。ルイーゼと申します。喜んでいただけて何よりです。最近は少し体調を崩しておりまして、脇役しか出来ないのですけれど、良い舞台を届けられるようにと思って演じております」
「なかなか悲しいお話でした」
リゼは感想を述べる。気の利いた感想ではなく申し訳ないと思いつつも、素直に思ったことを口にしたほうが良いという判断だ。リゼとしてはハッピーエンドが良かったのだが、嘘をつくのも失礼という側面もある。ルイーゼは同意という意味なのか、頷くのであった。
「リゼ様、やはり……そう思われますよね。世の人たちは幸せな結末を求めることが多いですから、ある意味で挑戦的な……お話しになっていたと思います」
リゼはなんとなく辛そうに話すルイーゼに気がついた。体調が悪いという話であったが、相当に悪いのかもしれない。
「確かに悲しいお話ではありましたが、人を惹きつける何かがあったと感じました」
「そう言っていただけると……役者冥利につきます」
病気なのかもしれない。リゼは心配する。
「あ、あの、大丈夫ですか?」
「申し訳ありませんね……もうあまり先は長くないと言われているのです」
「そんな…………」
「もう受け入れていることですから、気にしないでください……。一つ、話を聞いていただけますか?」
「はい……お聞かせください」
リゼはというと、人が死ぬかもしれない、という場面に直面したことがないため、どうすればよいのかと困惑している。しかし、話くらいは聞くことができる。そんな思いから話を聞くことにする。
その後、ルイーゼは自分の半生をリゼに語るのだった。ルイーゼは幼い頃に今の劇団に預けられ、才能が開花し、主演女優として活躍した。そして、カイをみごもり今に至るそうだ。ルイーゼを預けに来たお婆さんの当時の話ではこの国の北、国境付近の森の中で山賊に襲われたのか、辺り一面が酷い有様になっているところでルイーゼを見つけたらしい。親は殺されていたのだろうか。ルイーゼの最後の願いは自分のルーツを辿り、故郷を一目見てみたいということだった。
「もしリゼ様やその周りの方々で当時の北部のことを知っている方がいらっしゃいましたら是非お話を聞かせていただきたいです」
「……分かりました。父や母、友人にも聞いてみますね」
「ありがとうございます……こんなことをお願いして申し訳ないとは思うのですが……カイにも私たちの故郷を見せてあげたいと思っているのです」
「いえいえ、出来ることがあれば協力させてください。なんとか故郷に辿り着けると良いのですが……」
リゼはルイーゼをなんとか故郷にたどり着かせてあげたいと考えるのであった。病気がよくないのか、帰り支度を始めるルイーゼに挨拶をして楽屋を出る。
「リゼ様、母と話してくれてありがとうございます」
「あ、いえ。貴重なお時間をありがとうございました」
「母には希望を持たせてあげたくて、色々な方に今の話をするように言っているのです。巻き込んでしまって申し訳ない」
「気になさらないでください。少しでも何か分かれば良いのですが……」
どうするべきかと考え込む。父や母、ジェレミーたちに聞けば、何か分かるだろうか。すると、カイがおずおずと口を開く。
「私からも一つ良いですか……?」
「はい、もちろんです」
「先程の絵のお願いの件です。実は私の父は母に興味はなく、母がこのまま亡くなったら、皆の記憶から母は失われていってしまうと考えています。なので、肖像画と舞台を演じる母の二枚をリゼ様に描いていただきたく……」
リゼは(そういうことだったのね……)と、理解する。確かに、絵画というものは、人がこの世界で生きた証を残す手段の一つだろう。
「そういう話だったのですね……そういうことでしたら、分かりました。でも私で良いのですか?」
「えぇ。リゼ様の絵には惹かれるものがありましたので」
カイは確実にリゼに描いてもらいたいのか、真剣なまなざしで言った。
「ありがとうございます。えっと、まずは肖像画を描きたいのですが、流石にルイーゼさんを見ながらではないと難しいので明日こちらで描かせていただいても良いでしょうか?」
「それであれば美術館にアトリエがありますのでそちらをお使いください。私から依頼しておいて失礼なお話なのですが、対価は何をお考えでしょうか?」
と、カイは聞きにくそうに聞いてくる。平民のカイにはなかなかシビアな話である。リゼは即答する。
「対価ですか……とくにいりません。あ、一つ挙げるとすれば、描いた肖像画は保管せずに是非カイさんの家で飾っていただきたいです。いかがでしょうか?」
「ありがとうございます。分かりました。そうします。それから、あなたに何かあれば必ずあなたのために働くというのも約束します」
カイは心の底から感謝しているのか、別れ際にも「必ずやお役に立とうと思います」と、改めて宣言するのだった。
こうしてリゼはルイーゼの絵画を描くことになった。カイと別れ馬車に乗り込んだ。帰路につきながら、絵のこと、それからルイーゼの故郷のことをひたすらに考える彼女であった。袖すり合うも他生の縁……と考えるリゼは、彼らのために動こうと考えているようだ。
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