第9話『第三段階:アベレイジ・オア・アバブ倍増化計画:零士の場合①』

 次のビロウ・アベレイジ間伐に備えた、生存競争。

 美満みまが国家主席から認められた今、安部家で最も次の間伐対象になる可能性が高いのは、父零士れいじだった。

 各人の、思考力テストの結果に基づく知能指数は、

 

 美満  IQ99(150超えの項目あり)

 零士  IQ100

 頼高よりたか  IQ111

 以千代いちよ IQ126


 ただの数字の上ではあるが、何をやっても平均的な零士。

 前回、ア国が人口倍増に要した年月は、約二十年。

 中年の零士は、大病や大怪我がなければ、多くてあと、二回の間伐に直面することになる、と考えるの自然である。

 彼は、なんとか使える人間になろうと、次の間伐から逃れなければと、必死だった。



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__ア国 三角みかど内心市ないしんし 月極つきぎめ商事のオフィス__


「おいお前! またここミスしたのか? ったく何回言ったらわかるんだ? 他の皆は難なくできるっていうのによ!」

 怒号がオフィス中に響く。


 デスクワークに励む従業員たちの視線は、目の前のディスプレイに釘付けだ。


 フロアに散らばる書類。


 それをかき集めるのは、


 安部零士アベレイジだ。


 零士は両膝を着き、くしゃくしゃの紙を握り締め、

「すみません。もう一度やってみます」

 と、小さな声で言う。


 上司らしき男は零士を見下ろしながら、

「もう一度だ? 次はねぇよ! 今日はもういいから、一人で便所掃除でもしてろ!」

 と、言ってどこかへ消える。


「はい……」

 零士はぼそっと独りごつ。


 そう。


 アベレイジ・オア・アバブの中でも、IQ100、つまり間伐のボーダーラインの人間は、差別の対象になるのだ。



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 仕事終わり。

 

 零士は、仕事終わりの夜の時間を使って、先日息子頼高よりたかのから受けた助言の通り、内心上層大学ないしんじょうそうだいがくの講義に、していた。


 広い講義室。


 出席する学生たちの着く座席よりも、一段高いところに教壇がある。


 眼鏡をかけ髭を蓄えた、いかにも大学教授、といった風貌の男が、教鞭を執る。


「——電極に電流が流れる。すると電圧がかかるが、この時、フィラメントが加熱されて電子が放出される。電子はガラス管内の水銀原子に衝突し、水銀原子は一時励起れいき状態となる。これが基底きてい状態に戻る時に、紫外線が発生する。この紫外線が管の内側の蛍光塗料に当たり、可視光線となって、部屋を照らすのだが——」


 教授が何の話をしているのか、零士にはさっぱりだった。


 彼はすぐ、聴講を諦めて、途中退室した。


 職場に行けば、一番出来が悪いのは零士。

 彼は、高い水準の教育にも、まるでついていけない。



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 零士は、誰もいない家に帰宅する。


 零士は玄関で、

「そうか、今日は一人か」

 と、呟き、脱いだ靴を綺麗に揃えて、暗い廊下を行く。


 電気をつけると、


 完璧に整頓された部屋。


 零士は、帰り道に買った焼き鳥をテーブルに広げ、食べる。

 

「うん……可もなく不可もない味、と言ったところかな」


 などと品評していると、玄関の方から、


 タタッ、タタッと、小気味いい足音。


 以千代が帰ってきた。


「以千代おかえり」

「ただいまぁ。今日晩御飯用意できなくてごめんなさいね。あっ、焼き鳥じゃない! いいわねぇ!」


 以千代は、やけに上機嫌。

 

「一人で焼き鳥晩酌さ。美満も頼高も、お友達と飲み会だって? 羨ましいよ。以千代も遅かったが、お前も飲み会か?」

「あ、ばれた? 試験頑張ったし、一人で一杯ひっかけてきちゃったのよ。あ、酔うほど飲んではないわよ?」


 以千代は、肩足立ちで、左手をパンツのポケットに突っ込む。


「そっか、お疲れ様。で、試験どうだった?」


「え、試験? あぁ、まぁまぁいけたって感じね。受かるかどうか、七割五分ってところじゃないかしら」

「やっぱり以千代はさすがだなぁ」


 零士は、焼き鳥の最後の一本をかっくらい、それをあまり冷えていないビールで、胃へと流し込む。


「そう言ってくれるのはありがたいけど、今日はそうでもなかったわよ?」


 零士は、妬みやそねみと言うよりも、純粋な驚きから、

「そうなのかい? 七割五部で?」

 と、尋ねる。


「試験の中身というよりは……あれよ、忘れ物しちゃったの。時計を忘れちゃったの、運よく隣の人が二つ持っていて、貸してもらえて助かったけどね」

「それは危なかったなぁ、その心優しい人には感謝しないとな。でも、運も実力のうち、かもな」


 零士は、以千代の、ポケットに突っ込まれた左手をチラッと見る。


「そうだ、あなたこそ、今頃夜ご飯だなんて、どこかに出かけてたの?」


 零士は質問に、つまらなさそうに、

「実はそうなんだ。頼高の大学に行ってきてね、もぐりで聴講して来たんだ」

 と答える。

 

「あぁ、そういうことね。二十年ぶりの勉強は、どうだった?」


 俯き、ダイニングの椅子に座る零士と、ポケットに手を突っ込みながら、立つ以千代。


「いやぁ、教授の話を聞いても、さっぱり理解できなくてね。そこで以千代、ちょっと相談があるんだが……」


「相談って、どんな?」

「僕に……勉強を教えて欲しいんだ。つまり、だ。賢くなりたいんだ……」


 そんな悩みを、零士は妻以千代に打ち明けるが、彼女もまた高IQの持ち主。


「あら、そんなことね。勉強を教えるのはいいけど、お勉強の賢さがすなわちIQの高さに繋がるわけでもないわ。色んな方法を試さないと」

「うん、わかってるよ。なんでもやるつもりだ」


 切実な声。


「わかったわ。私の試験の結果次第では……あまり時間が取れないかもしれないけど、できるだけのことはするわ」

「助かるよ、ありがとう」



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 後日。


「パパ、ママに勉強教えてもらうんだってね」

「ああ、そうだとも。大人も勉強する時代だからな」

 零士は、プライドからか、やや誤魔化した表現をする。


「へぇ、パパは私が小学生になってすぐの頃、『美満はまだひらがなも読めないし数字も読めないのか』って言ってたのにね?」


 零士は、美満の言葉に妙な違和感を感じ、顔がこわばる。


「ん? そんなことは言ってないと思うけど。というか、そんな小さい頃のこと、よく覚えてるなぁ」


「覚えてるんじゃなくて、お母さんに聞いたのよ」

「そ、そうか、母さんに。なんだ、そういうことか」


 冷や汗をかく零士。


「何? 別に根に持ってなんかないよ? 今度はパパが頑張る番だねって、それだけのこと」

「あぁ、そうか。そうだよなぁ? あははは」

 歯切れの悪い零士。

 

 彼は、劣等生である。



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 数週間後。


 以千代は、国家総合職試験に見事合格し、ア国中央政府の、思考力テストを管轄する部門、教育省に配属された。


 教育省への初出勤の夜、以千代は、時計の短針が『12』を回る直前に帰って来た。


「たらいまぁ〜。以千代、帰りましたぁ〜」

 と、以千代はかなり酔っていて、半目で、やけに気分が良さそうだ。


 玄関で零士が迎え、

「おっと、かなり飲んできたみたいだな」

 と、肩を抱きながら指摘すると、


 以千代は呂律を何とか回して、

「仕からないじゃらい、今日は配属初日の歓迎会らったんらから」

 と言い訳する。


「そうかいそうかい、働き始めて早々に、やらかさないでくれよ?」


 心配する零士に、


「ねぇ、零士……」


 一変して、落ち着いた声で以千代は、


「今夜は、抱いて欲しいの」

 以千代は、急に酔いから冷めたように、パッと目を見開いて、こう続ける。

「合格したのが、すごく嬉しくって。だって私、これまでずっとあなたに食べさせてもらっていたようなものじゃない? だから今日は色々と感極まってね、あなたが欲しくなっちゃったの」


 その晩零士は、妻の言うがままだった。


〈第10話『第三段階:アベレイジ・オア・アバブ倍増化計画:以千代の場合』へ続く〉

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