第7話『第三段階:アベレイジ・オア・アバブ倍増化計画』

 知能濃縮の第二段階である、ビロウ・アベレイジ間伐により、ついに分断されたア国。


 人々の移住は速やかに完了し、国家主席カタカナ・カンジーは早くも知能濃縮の第三段階への移行を宣言した。


「さぁ、次は第三段階、アベレイジ・オア・アバブ倍増化計画だ! 見事三角みかど県にたどり着いた者たちよ、増えろ、増えるのだ! ひとつ忠告しておくが、間伐される落伍者ビロウ・アベレイジのことは気にかけんでよい。もっとも、われが言わずとも、自ずと気にかけなくなるであろうがな……フフフ」


 国家主席の予想は的中した。不気味なことに、東の三角みかど県に集まった高IQ者たちアベレイジ・オア・アバブは、西の強制労働所のことは気にもかけず、場所こそ変われども、今まで通りの社会生活を送り始めた。彼らにとって西の事情はタブーであり、誰も話題に上げようとはしない。だが、西の犠牲のもとに悠々自適に過ごしているのかと言えば、全くもってそうではない。なぜならば、アベレイジ・オア・アバブ倍増化計画の水面下では、次のビロウ・アベレイジ間伐の犠牲にならないための生存競争が始まっていたからである。


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__ア国 三角みかど内心市ないしんし 安部家新居にて__


 一時は美満みまを失いかけた安部家だったが、『アノマリーズ特別措置』により美満が強制労働所送りを逃れたため、四人全員で新生活を始めることが叶った。そして今夜も、一家は四人でダイニングテーブルを囲い談笑するのだが……


「「「「あはははは!」」」」

 四人の笑い声。


  家族水入らずの会話のはずだが、母以千代は突如、涙声になり、

「何度も言うようだけど、美満とまた会えて、本当に……良かったわ」

 と、愛する娘が無事戻った喜びを反芻する。 


 美満はそんな母を見て、

「お母さん泣かないでってば。私ももらい泣きしちゃうじゃない」

 と、目元を擦って見せるが、決して涙は見せない。あの日のノケモノどうでの音のない涙を最後に、涙が枯れ果てたのか、はたまた強い人間になったのか……


 頼高よりたかは涙もろい二人を見て、

「ははは。もう、お母さんもねぇちゃんも、泣き虫だなぁ」

 と言うが、そういう彼自身も目が潤んでいる。


 湿っぽい空気の、安部家。


 零士は、さすが父親と言うべきだろうか、頼高の涙腺の緩みもしっかりと見抜いており、

「おいおい、そういう頼高もその目の光り具合はなんだ? 皆んなしてやめてくれって! でも、以千代の言う通りじゃないかな、いやぁ、本当によかったよ。また家族四人で頑張ろう!」


「「「うん」」」

 零士以外の三人の返事、には、先ほどの笑い声ほどはエネルギーが感じられないような気がしなくもない。


 返事を受け、零士は何か妙な空気を察したのか、間髪を容れず、

「そ、そうだ、漠然と『頑張ろう』と言ったって仕方ないんだ、父さんは何を頑張ろうかなぁ? うーん……」

 と、独り言のように呟いて、腕組みしながら考えこむ。


 頼高はそんな父に、こう助言する。

「それならお父さん、内心上層大学ないしんじょうそうだいがくの講義に、しに来たら? 刺激的な内容の講義がたくさんあるよ、夜間とか、土日の講義もあるし」

 内心上層大学。ちょうど大学進学のタイミングで知能濃縮法による移動を余儀なくされた頼高は、くの字県で入学予定だった大学と同程度の学力レベルの公立大学であるそこに、通っていたのだった。


「ほぉ、それはいい案だ! ありがとう、今度行ってみるよ。あ、それとあれだ、美満に絵を習ってもいいかもな!」

 と、零士は貪欲な姿勢を見せるが……


 美満は零士の言葉が軽々しく聞こえたのか、

「お父さん、芸術の世界はそんなに甘くないよぉ?」

 とグサリ。


 美満のプロ意識を下手に刺激してはならぬと、零士は慌てて、

「ああ、わかってるわかってる。でもものは試し、って言うだろう? ほら、そこにかけてある美満の手がけた標語のポスターにもあるじゃないか、『国民よ、賢くあれ。そして、強くあれ』ってね。そのための努力は惜しまないよ」

 と、すかさず言い訳を挟み込む。


 標語のポスターというのは、美満がかつて、国からの案件で作成を引き受けた作品である。

 


——国民よ、賢くあれ。そして、強くあれ。



 知能濃縮法の施行の日以前からあるこの標語は、零士へのプレッシャーになっていた。というのも、高IQ者たちアベレイジ・オア・アバブの中でも、首の皮一枚で間伐を免れた零士のようなIQ100付近の人間は、三角県の中で早くも差別の対象になり初めていたのである。また、彼は次なるビロウ・アベレイジ間伐で間引かれないように、どうにかして『賢く』なる必要があるのだ。これはあくまで俗説だが、触れたことのない世界に触れると、人間の脳というのは活性化し、『IQが上がる』こともあると言われる。例えば、芸術の世界はその典型で、絵や彫刻、音楽などは、一般的な生活では使うことの少ない脳の領域を刺激する活動であるが故に、秘められていた潜在能力を引き出し、全検査IQの向上に貢献しうるのである。そういうわけで、零士は美満にある種の助け舟を求めているのだが、そう簡単にうまくはいくまい。


 ここで以千代が、勉強熱心な零士に釣られて、こんなことを切り出した。

「あなた、向上心が高くて感心するわ。そんなあなたを見習うわけじゃないけど、私実は……来年、国家総合職試験に挑戦しようと思うの」


 国家総合職試験。それは、IQ126を誇る以千代に、相応しい挑戦だった。


 零士は、一瞬目を丸くしたが、妻の追随を嬉しく思い、

「へえ、いいじゃないか! つまりは中央省庁の将来的な幹部候補を目指すってわけだよな……。以千代は頭脳明晰だからなぁ、きっといけるさ。条件とかはどうなっているんだい?」

 と、興味を示す。


「それがね、前まではキャリア至上主義だったんだけど、知能濃縮法以降は実力重視の選考で、学歴・経歴・年齢不問らしいの。ずっとしがない専業主婦だった私には、いい機会かなと思ったの」


 そう。


 暗黒の規律ともいうべき知能濃縮法は、家に籠って宝を持ち腐れてしまっていた以千代に、千載一遇のチャンスをもたらしたのである。


 それを聞いた零士は、妻に爽やかに微笑みかけ、

「それはよかった、全力で応援するよ」

 と、一言添えた。


「頑張るわ、ありがとう」

 以千代は夫の応援に素直に感謝する。


「私も応援してるわ。お母さんはもちろん、お父さんのこともね」


 その声の主は美満であるが、彼女の視線は、父を捉えてはおらず、以千代だけに向けられている。


 頼高は、この、家族の会話を、複雑な気持ちで聞いていた。彼はIQ111という絶妙なラインにいるので、次の間伐で犠牲になりそうな人たちには同情しつつ、一方で自身はより『知』を磨いて上を目指したいという欲もある。その姿勢は家庭の内外で変わることはなく、安部家にも存在する明らかな家族間格差に、形容し難い歯痒さを感じていたのである。


〈第8話『第三段階:アベレイジ・オア・アバブ倍増化計画:美満の場合』に続く〉

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