第4話



「も、もうさすがにその手には乗らないぞ?」

「って言ってるわりに、顔赤いじゃない」

「それは単純に経験の少なさが原因なんであってな」

「少ないってことはちょっとはあるんだ」

「……」


 俺が黙り込むと、桐生院は全てを理解したようにくすくすと笑う。

 俺の無言を肯定と受け取られてしまったようだ。

 ああ……くそ。恥ずかしいことこの上ない。時間少しでも巻き戻せれば完璧な返答ができたというのに。

 ゲームのセーブ&ロードが羨ましい。


 今更何か言い返したとしても遅いだろう。事実、俺には彼女の理解を否定するような女性経験もないわけだ。


「悪かったな。……それで、お、お付き合いって本気なのか?」


 自分が情けない。付き合うという言葉に一瞬詰まってしまった。

 俺のつまずきの理由にもちゃんと気づいているようで桐生院はすぐにまた笑いながら答える。


「本気よ。ここでお互いに話を合わせておけば、今後お互い面倒なお見合いを組まれることはなくなるでしょ?」

「……まあ、確かに」


 なるほど、そういうことか。

 桐生院が多少なりとも俺のことを気に入ってくれたとか、自分にとって都合の良いことを考える脳を叱りつけておかないとな。

 桐生院の打算的な提案に、理解を示すように頷いていると、桐生院はまたくすりと笑った。


「もしかして、ちょっと気に入ってもらえたとか考えていた?」

「んな!? そんなことは別にないぞ」


 ぶんぶんと慌てて首を横に振る。しかし、その大げさの反応では逆に桐生院の言葉を肯定するようであり、事実桐生院は俺の反応を見て吹き出すように笑う。

 くそ……さっきからすべて桐生院のペースにやられてしまっている。

 これが実戦だったなら、俺は一体何度敗北しているのだろうか。

 だとしても、俺には対抗手段がまるでない。


「そんなに否定しなくてもいいじゃない。あたしは結構気に入ったのも事実よ?」

「……そうなのか?」


 俺が目に力を込めるように問いかけたからか、桐生院は笑っている。


「そんなに警戒しないでよ。あたしだって、大嫌いな相手にこんな提案はしないわよ? 道明寺ならある程度話も理解してくれるだろうし、あたしとしてもいいかなって思ったからこその提案よ?」

「……な、なるほど」

「嬉しそうね」


 桐生院が再びからかうように言ってきた。指摘されて恥ずかしい気持ちはあったが、それでも俺は頭をかきながらこくりと頷いた。


「い、いや……まあその……褒められて悪い気はしないから、まあその……嫌われはしなくてよかったよ」

「……た、単純ね」


 桐生院は小馬鹿にしつつ、俺から視線を外す。それから一度こほんと咳払いをする。

 よく見ると、少し頬が赤くなっているように見える。

 四月とはいえ、今日はかなり冷え込んでいて部屋の暖房はついていた。その影響で、思ったよりも、暑いのかもな。

 ……次、また恥ずかしがっているとか思われたら、エアコンを理由にしてもいいかもしれないな。


「そういうわけで、どうかしら? もしも本当にお互いに好きな人ができたらこの関係はなくして、学校でもこれまで通りに接するわ。……これなら、お互い特に大きな問題もないと思うけど、どうよ?」


 改めて、桐生院はこちらに手を差し出してきて問いかけてくる。

 彼女の手をじっと見てから、少し考える。

 ……桐生院の提案は魅力的だ。これに合わせておけば、両親からの面倒な絡みはなくなるだろう。

 それに、桐生院の言うとおりなら、別に本気で結婚するわけでもない。


 あくまで、風除けとして使う分には、問題ない。

 両親たちだって無理やり今日のお見合いを組んだのだから、そのくらいやり返したって文句を言われる筋合いもないだろう。


 ……そうだな。彼女の提案に、乗ろうか。

 こほんと一つ咳払いをしてから、俺は桐生院の手を握り返した。

 ……女性と手を繋ぐことも数える程度しかないので、結構気恥ずかしい気持ちはあったがそれを面には出さないように唇をギュッとしめる。


 桐生院の顔を見ると、彼女はくすりと笑う。俺の動揺を悟られている? い、いやそんなことはないはずだ。

 あっ、でもあんまり意識すると手汗がすんごいことになりそうだ。

 ……意識しないように、と思っていると桐生院がさわさわと手の甲を撫でるように動かしてきて、びくりと肩をあげる。


「やっぱり、道場の息子って結構体しっかり作ってるの?」

「……まあ、運動は毎日してるな」

「なるほどね。あたしもそれなりに体には気を遣ってる方なんだけど。男の人っていうのもあるのかしら? あたしとは何もかも違うわね」


 そんな話をしていた桐生院はしばらく俺の手の感触を楽しむように触ってきていた。……途中から、さすがに俺も我慢ができず手汗をかなりかいていたようだが、特に桐生院が何かを言ってくることはなく、自然と手は離れていった。


「それじゃあ、改めてよろしくね、優人」


 笑顔を浮かべた桐生院はそう俺の名前を呼ぶ。不意打ちとも呼べる一撃に、俺が咳き込みそうになると彼女はまたニマニマとした顔でこちらを見てきた。


「どうしたのよ、優人」

「いきなり、名前で呼ばれたら……さすがにこっちも慣れてなくてな」

「何よ、優人。そんなこと気にしてるんじゃないわよ、優人」

「わざとらしく名前を連呼しないでくれって……」


 ……とはいえ、最初ほどの衝撃はない。

 何度か深呼吸をして心を落ち着かせていると、桐生院は笑顔を浮かべた。


「ほら、優人もあたしのことは名前で呼びなさいよ。婚約者なんだから」


 ……桐生院の名前は、ソフィア、だったな。

 確かにこれから偽とはいえ婚約者という関係を続けるのなら、名前で呼び合う方が自然だろう。

 俺が、同年代の女子を名前で呼ぶ日がくるとは。

 ……一つ咳払いをしてから、俺は桐生院の方を見て――。


「そ、ソフィア」

「……うん、それでいいわね」


 桐生院……ソフィアは満足気に頷いたあと、すぐに立ち上がり外に繋がる扉へと歩いていった。

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