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今朝からの大雨でグラウンドは水浸し。公園の天人たちみたいに汚れることを厭わず走り回るには、私の努力と元気と胆力と何もかもが足りなかった。


「次の練習では、晴れたらみんなで走ろうか」


部長の鶴の一声。部長の言葉はかなり信用できる。みんな信頼してる。だって部長は割と体育会系の顔をしてるし、体育会系な性格をしてるから。それは合唱部にとって都合が良いことなんだけど、知ってる?


体育会系の部活やサークルって、年功序列に基づく上下関係が成立しやすいと思うんだけど、歌声とか耳の実力はだいたい経験年数に比例するし、合唱は文化活動の皮を被ってるスポーツだし、部長みたいな勝ち気な人がいると、雰囲気が締まって良い感じになるの。


「なんか、きょうの恵美、いつもより気合い入ってるけど。何かあったの?」

「体力不足を解消したいんだよね。最近、何かと走ることが多いんだけど、すぐスタミナが切れちゃうから。それにほら、肺活量的な面でも良さそうだし。」

「茶々を入れるようで申し訳ないが、」


と、私と真未の間に入って来るのは部長。


「ランニングをしても肺活量は上がらない 酸欠状態への耐性が高まるというべきか 他に鍛えられるのは筋肉とか基礎体力だな どれも合唱に大切なものばかりだ さあ発声しようか まず母音の練習から あえいおう C単音から、はい!」


あーえーいーおーうー

(どーどーどーどーどー)


口の形や舌の位置、お腹の支えや息の通り道や、響きを共鳴させる位置。ドの音であえいおうを歌うだけで、良い声を作るために考えなきゃ行けないことは、どのくらいあるんだろうって、声の世界の深さを再確認するに打って付けの練習なの。


基礎練習は、面白くない。それは、そう。だからといって、いきなり曲の練習に飛び込んだって、基礎がぐらついてる演奏しかできないんだよって顧問の先生も部長も先輩も言ってる。それも、そう。


その後はいつも通り曲作りの練習をして、通しで歌って、練習は終わり。部長は去り際、私にこう宣言する。


「あした、あしたはきっとみんなで走ろう お疲れ様」


後ろ姿は白銀色の長い髪。剣道部主将みたいというか、誉れ高き武士の気概を醸し出してる。そんな印象に違わない、義理堅くて、優しくて、美しい。私たちの部長はそんな人。


解散の後、真未はいつもみたいに音楽室に1人残ってのんびり練習を続ける。私が音楽室を出て、ドア越しに防音カーテンをしゃーっと締める音が聞こえてくる。どうして真未は、そんなに暗いところが好きなんだろう。


下靴に履き替える昇降口。すぐ近くの家庭科室から、料理研究会の賑やかな様子が聞こえてくる。キャピキャピって形容が似合う雰囲気何となく焦げ臭くって、私はささっと学校から逃げ出す。

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