第2章 スカーレット・ワィスパー

今後、誰も私に「ゆっくり休んだ方が良いよ」なんて言わないでほしい。ベッドの上でスマホから正午過ぎを知ったから。


大遅刻。慌てて飛び跳ねたのは腰から上だけ。どうせ遅刻だもん。欠席扱いされるもん。急いだところで無駄だもん。それ以上は金縛りにあったみたいに起き上がれなくて、ぽふんと背中がマットレスに着地する頃には、すっかり頭が諦めと罪悪感に支配されてた。


私は悪くない。悪いのは体調なんだよって。今日は体調が悪いから、仕方ないだけだよって。毎日のように同じことを言い聞かせて、それでこの先ずっと同じように諦めることができたら、それはきっと、すっごく楽だと思う。


そんな風に楽に生き続けてたら、きっと学校の先生たちは私のことを諦めて、退学処分になっちゃうのかもしれない。そう思うと急に怖くなった。でも、それはただの悪い夢で、スマホのロック画面には午前7時って書いてあった。


締め切ったカーテンの隙間はぴっちりと閉じて、太陽の光を一筋残らず遮ってる。私の部屋はしっかり薄暗くて、漂う埃と掛け時計の秒針以外、部屋の中の時間が止まってるみたいに思えた。


掛け布団を吹き飛ばして、靴下を履いたら気分が引き締まった。さらにセーラーを着ると、私は飛び出したい気持ちで一杯になった。


残ってたスナックパンの最後の1本を、丸め潰して口の中に放り込んだ学校までの道中、反対車線を走る盛大な音漏れをやらかしてる緋色の車を見ながら、左手すぐ側にあるパン屋さんから漂ってくるいい匂いに油断して、おでこを電柱にぶつけそうになっていたことに気付かなかった。


「うぐーっ。いたたた・・・。」


私は額を押さえながら、胃がきゅっと締め付けられたような感覚がして、アスファルトの上に寝っ転がりたくなった。車道に寝転がったら、いつか轢かれて死んでしまうのかな。どうせタイムスリップするなら学校なんて行く意味が無いし、生きてる意味も無いし。


いやいや、タイムスリップなんて気のせいだった時にどうするの。でも私の記憶にある限り、私はまだ3年生になったことが無い。覚えてないだけで実際はあるのかもしれないけど、私が3年生になったことがあることを示す証拠も、どこにもないの。全部タイムスリップした時に消えちゃうから。


ひたすらに息を吸って、まだ息を吸って吸って吸って吸って吸って吸って吸って吸って吸って吸って吸って吸って、吸うのをやめる。それでようやく緊張が緩む。デジャビュに襲われた時にはいつも、こうしないと悲惨なことになる。この世界に居られなくなりそうな気さえする。


釈然としないし、納得がいかないまま私はズルズルと歩き続けて、結局、学校に着いてしまった。少しサイズが小さめの上靴に履き替えて廊下を駆け出し、階段を昇って、私は朝練のための音楽室へ向かった。

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