アランの決意


 オリヴァーの自画像を前に蹲るアランは、こぼれ落ちていく涙を拭えずにいた。

 

「爺さん。あんたの友人は、ルルシュカだったんだな……」


 とめどなく溢れ出す涙は嗚咽を誘う。

 部屋に同行していた従業員が、急に蹲って動かなくたったアランの肩を心配そうに叩く。


「あの……。大丈夫ですか……?」

「すみ、ません。大丈夫です。ちょっと、色々、思い出しちゃって……」

 

 鼻を啜る音に、従業員は体調が悪くなった訳ではないのかと胸を撫で下ろした。


「近くにいますので、お困りでしたらお声かけください」

「ありがど、ございまず」

 

 あの頃の小さな子供の様に、アランはその場にうずくまって泣きじゃくる。

 今は人前で恥ずかしいとか、そう言った気持ちは全くなく、ただただ思い出した記憶に胸が締め付けられた。

 

 あの時、どれだけあの皺くちゃの手に救われた事か。今まで、どれだけこのピアスに助けられた事か。


 この国で生活を始めてしばらく経ってから、胸元が白い黒猫をしばしば見かける事があった。

 

 よくいる品種の猫だと思っていたが、あれはトーマスが自分の様子を見てくれていたのだろう。

 自分はあんなにも酷い事を言ったのに、慣れない字でバースデーカードまで毎年用意して……。


『アラン。トーマスは凄い猫なのよー。アランがもう少し大きくなったら、改めて紹介するわね』

『お母さん、ボクそんなことしってるよ! とーますは、ボクの最高のともだちなんだから』


 幼い頃の母との記憶。仕方がなかったとはいえ、自分はトーマスを忘れていた。トーマスはずっと自分を気にかけてくれていたのに。


(ごめんな、トーマス。……爺さん、ちゃんと約束を果たすよ。俺にその役目を……託してくれて本当にありがとう)


 ルルシュカが消した記憶が、何故今このタイミングで戻ったかは分からないが、記憶を消したのはあの妖精だ。きっとこれも計画の一つなのだろう。


『好きな事を見つけて、これからは面白おかしく生きる事だね』


 最後に聞いたルルシュカの声は優しかった。


(あんたの言う通りだ。このピアスは必ず返しにいく)


 しっかりと絵を堪能した双子がアランの元を訪れると、小さく蹲っている姿を見つけ、何が有ったのかと二人で顔を見合わせる。

 

 近くで控えていた従業員が、こっそりと二人に耳打ちした。


 双子はアランが落ち着くのを待って、初めての美術館を楽しんでいたエマと合流し美術館を後にした。


 翌朝。


 一緒にヘイス家へ待って来た自身のトランクに、ルルシュカの手紙がそのまま入っているのをアランは見つけた。どうやらトムが入れてくれたようだ。


(幸運のフィタ……ねぇ)


 マゼンタの糸と、四つの小さな宝石が一緒に編み込まれたそれは、以前この国で流行ったアクセサリーに似ている気がする。


 使い方のメモの内容はシンプルだ。手首か足首に結び付ける、たったそれだけ。


 その後、基本的には2つのどちらかの効果を得られるらしい。ラッキーに恵まれるか、アンラッキーを防いでくれるか。


 大小は使用者ごとに違うらしく、小さなラッキーが連続で起こった。とか、思いもよらない幸運が舞い込んだと、とか。

 その反対に事故にあったが大事に至らずに済んだ、という者もいるようだ。


 カードにはそれ以上の情報はない。

 

 アランは、朝食後に「誕生日が近いと聞いて……」と、双子に内容を説明して「身につけて貰えたら嬉しい」と話した。


 双子は花弁が開く様に笑顔を綻ばせると、二つ返事で受け取り足首に結びつける。

 双子は想像の倍以上に喜んでくれた。


 ◇◇◇

 

 明日から社交シーズンに入るらしい。

 すっかり暑くなった気温に、ルルシュカは辟易していた。

 

 あの日もこんなに暑い午後だったな。と、十数年前に屋敷を訪れた日の事を思い出す。

 

 あの時から変わらず、まだまだ屋敷は美しい様相を保っている。アルフレッドは何歳になっただろうか。

 

(……まだ生きている、よね?)

 

 亡くなっていたらどうしようか……。そんな事をぼんやりと考えながら、ルルシュカは門を叩く。

 

 ルルシュカの訪問を耳にしたアルフレッドは、仕事を全て中断させて足早に客間へ向かった。

 

「連絡が取れてよかったよ。随分掛かってしまって悪かったね」

 

 アルフレッドが室内へ入ると、ルルシュカは少し申し訳無さそうな表情を浮かべたが、アルフレッドは、今にも泣き出しそうな程の喜び様でルルシュカを出迎えた。


「お気になさらないで下さい。この日が迎えられました事、嬉しい限りです」


 初めて出会った頃から、アルフレッドは随分と歳を取っており、以前は見なかった白髪が伺える。

 

 今では自身と同じアンバーの目をした孫が居るらしい。ルルシュカはこの世界の人の成長の速さを改めて実感し、アルフレッドは、変わらないルルシュカに胸中で感動していた。

 

 メイドがティーセットを用意し部屋を出ていくと、期待の眼差しがルルシュカに向かう。

 

 「これがオリヴァーからの依頼の品ね」とアルフレッドの前に、香水ボトルよりも小さな瓶が差し出された。


「これは……?」

うたの蜂蜜酒っていうんだ。確か何かの童話に登場してなかったかな?」

「それでしたら、グースのうたに出てくる魔法の飲み物の事でしょうか?」

「ああ。そうそう、それ」


 グースの詩。それは、その日暮らしの貧しい夫婦の夫が、森で出会った妖精から魔法の飲み物を貰い、詩の才能を手に入れて名を馳せるという話で、最後には妻を捨てた夫が不幸になるオチ付きの童話だ。

 

「……え?! え……と、こちらが、その詩の蜂蜜酒、と言う事ですか?」

「そうだよ。オリヴァーはキミを物書きにしたいみたいだ」


 アルフレッドは、困ったように乾いた声で笑う。

 

「随分昔、子供の頃の私の夢を覚えていたみたいですね……」

「そっか。それじゃあ、夢が叶うかもしれないな。オリヴァーの依頼はね、詩の蜂蜜酒をアルフレッドに飲ませ欲しい。それで、自分の日記を元に物語を書いて欲しい。だよ」

「ルルシュカ様は、日記の内容はご存知ですか?」

「いや? 全くもって知らないよ。オリヴァーが日記を書いていた事すらも知らない」


 アルフレッドは初めてルルシュカに出会った後、廃棄予定だったオリヴァーの日記を読んだ。


 オリヴァーがルルシュカと出会った日から別れるまでの出来事が書き綴られていたが、出てくるのは摩訶不思議な体験談ばかり。


 日記ではなくファンタジー小説のようだった。


 アルフレッドは時間を忘れて読み耽り、今でもたまに読み返しては、祖父の体験を疑いながらも羨ましく感じている。


「承知致しました。原稿が出来ましたら、お読み頂けますか? 祖父もそれを望むと思います」

 

 祖父はきっとルルシュカに読んで貰いたいのだと、アルフレッドは日記を読んでそう感じていた。


 日記の中のオリヴァーは、美しくも愉快で適当、時に非情でもあった妖精を、本当に大切に思っているのが良く伝わってきた。


 そうでなければ、わざわざその思い出を本にしてまで残しはしないだろう。


「……まぁ、暇つぶしにはなるか。いいよ」


 オリヴァーの日記など、どうせ碌でもない内容だろう。遠慮願おうか迷ったが、期待に満ちあふれるアルフレッドの瞳に押し切られ、ルルシュカは了承した。

 

「そういえば、紫の瞳の少年の件は……解決されたのですか?」


 アルフレッドはついでに教えてもらえるかもしれないと、ダメ元で気になっていた事を問いかけた。

 

「よく覚えてたね。まだだけど、もう少しで終わるよ。その事で一つ不可解な事があるんだ。分かれば教えて欲しいんだけど」


 ルルシュカは、オリヴァーの手紙を読んだ時から、ずっと不思議に感じていた事を、せっかくだから孫のアルフレッドに聞く事にした。

 

「私に分かる事でしたら」


 アルフレッドは少し身構える。

 

「オリヴァーは、訳ありのその男の子をこちらで保護して欲しかったみたいなんだ。なのに、すぐに連絡を寄越さずに、自分が息を引き取ってから、アルフレッド、君に連絡をさせてる」

「なるほど。その理由が不可解という事ですか?」

「そう。保護するなら早めがいいでしょ?」


 確かに保護が目的なら連絡は早い方がいい。


 アルフレッドは、多分この理由だろうな。というのが頭に浮かんだ。

 それは、オリヴァーの日記を読み、今こうして久しぶりにルルシュカと会ったからこそ推測出来た。


(恐らく祖父は、年老いた自分の姿を見せなくなかったんだろう……)


「確かに早い方が良いですね。ですが、申し訳ございません。理由は私にも分からないですね」


 祖父のちっぽけな見栄に、アルフレッドは目を瞑ってやる。自分が祖父なら、いつだって大切な人には会いたいと思うのに。


 見栄っ張りなバカなひとだ。


「そうだよね。ありがとう」

「お力添え出来ず申し訳ございません」

「いいよ。意味不明なオリヴァーの事は、誰も分からないな」

 

 ルルシュカは鞄から1枚の紙を取り出しアルフレッドへ差し出す。

 

「前も渡したけど、一応渡しておくね。時間がある時に取りに行くよ」

「ありがとうございます。破ればよかったですよね。楽しみにしていてください」


 しばしの談笑後、アルフレッドはドキドキしながら詩の蜂蜜酒を飲み込んだ。


 ◇◇◇


 夏の短い社交シーズンが始まった。


 双子が開催したガーデンパーティーで、カードマジックのパフォーマンスを披露したアラン。


 その技術の高さと珍しさ。軽快なパフォーマンストークも相まり、アランは社交界で〈紫目の麗しき魔術師〉という、恥ずかしい名を付けられ瞬く間に人気を博した。


 口コミと紹介で、色々なパーティーに呼ばれると、たった一ヶ月でアランは社交界で独自の地位を築き上げた。

 途中、サミュエルと会いドキリとする場面もあったが、双子のお陰で何事も無く過ごせた。


 ルルシュカの店に行けなくなってから、ヘイス家の別荘で日々を過ごし、たまに家にも帰ったが、もう黒猫トーマスがバルコニーに姿を現す事はなかった。


 風が吹けば風の妖精シルフが頭に浮かぶ。彼女はいるのか居ないのか……。


 短い社交界が終わり、バカンスシーズンに突入する。 


 一緒に抽選会に行こうという双子の誘いを断り、暫く出かける。と伝えアランは自宅に帰っていた。


 机には青灰色あおはいろのピアスと、探し物のおまじないセット。

 手元に残った道具はこの二つ。


 アランは美術館の帰り、数ヶ月前のルルシュカの説明を一緒懸命に辿っていた。


 この世界には魔法の概念がない。

 

 妖精や精霊は魔法が使えるが、この世界では使えず、使用する際には道具が必要になる。


 魔術は道具や術式を介して人間が使用するもので、おまじないはその両方を掛け合わせて作られた技術。


 ルルシュカの説明はザックリこんな内容だった。

 

 どうやら自分は〈魔法のある世界〉の出身らしい。ルルシュカの説明から、この世界では妖精も魔術師も、術式の掛かった道具があれば魔術が使える、のだろうとアランは総じた。


 あの指輪は、アランが魔術を使う。という目的では無く、あくまでもこの世界から魔法商店へ出入りする為の道具だったと推測する。

 最後にルルシュカが指輪に息を吹きかけた理由は不明なので、横に置いておく。


 と言う事で、おそらくあの指輪がなくとも、探し物のおまじないが使えるはずなのだ。

 ただし、自分は魔術師の訓練?は受けてないので、その点が懸念される。


 そう結論付けたアランは、あれからすぐにでもルルシュカの店へと行きたかったが、上手くいかなかったら……。そう思うと怖くておまじないを使う勇気が出なかった。


 それに、以前より少しでも成長した姿を見せたい。というのもあった。


 ゆっくり深呼吸をする。


 探したい人物を思い浮かべて、紙に名前を書く。のではなく、アランは敢えて青灰色のピアスの元の持ち主と書いた。

 なんとなく、そっちの方がいい気がした。


 紙を赤い糸で結んで、呪文を唱えて鋏の刃を撫でる。


 ゴクリ、唾を飲み込むと、恐る恐る赤い糸を切り落とした。


 ◇◇◇


 同日。


 今日はルベライトの乙女の抽選会だ。


 首都の劇場に集まった希望者達は、会場に入る際にランダムに番号の振られた紙を渡され、売りに出される絵画を通路沿いに観る事が出来た。


 参加者は皆、今迄とはまた違ったルベライトの乙女の姿に、ほぅ……と見惚れながら、尾をかれながらホールへと入っていく。


 国内外の富裕層が集まり、二千人程を収容出来る劇場は、ほぼ満員になっている。


 開始時間となり司会者が進行を始め、今回売りに出るルベライトの乙女が改めてお披露目された。


 シリーズとは異なる大きさのキャンパスに描かれた絵画は小ぶりで、ただでさえ広いホールだと言うのに肉眼で見えるはずは無かった。


「ドキドキするー!何組来てるのかしら……」

「この日の為にお金を稼いで来たんだ! 絶対当たりたい!」


 抽選はシンプルで、ゼロから九までの数字が書かれたカードが四つの箱に入れられ、一つずつ引いて行く。という物だった。


「始まったよ!」

「緊張しすぎて吐きそう……」


 徐々に公開されて行く数字に双子のボルテージは上がり、息が止まった。


「ねぇ、あと一つ合えば、当たりよね?」

「……うん。間違いないね」


 双子に配られたカードの下一桁は四。進行役の男が、「では、最後の数字です」と、言えば、箱のカードが引かれた。


「最後の数字は……、四です!」


 その言葉に双子は歓喜に涙した。

 あまりの出来事にエレノアは気絶しかけ、グレアムが飛びかけた意識を引き戻していた。


 無事に取引を終えた双子の足首には、結ばれていたはずのフィタはない。

 二人がそれに気付き、もしかして……。と半信半疑で笑い合ったのはまだ少し先の話。


 屋敷に戻ると、ドロシーがエレノアを出迎える。


「おかえりなさいませ。エレノア様。抽選はいかがでしたか?お嬢様宛にお荷物が届いておりますよ」

「ただいまドロシー。なんと、なんと! 当選したのよー!! もう、最っ高の気分よ!」


 それから舞い上がる双子は家族と食事を共にし、食後にドロシーから、今朝届いたという手のひらに乗る大きさの箱をエレノアへ手渡した。


「誰から?」

「それが……。男性の方からでして、渡せば分かる。とだけ」

「……分からないんだけど」

「エレノアのファンから?」


 ニヤニヤと揶揄うグレアムに肘鉄を喰らわせたエレノアは、梱包を解くと箱を開ける。


「「あ!」」


 中身はエレノアが街で盗まれた腕時計だった。


「これって……」

「まだ何か入ってるよ」


 箱にはカードが同封されており、エレノアは取り出したカードに目を通す。


『色々と世界を見て来ましたが、やはりあなたの側が一番でした。寂しい思いをさせてすみません。――あなたの素敵な腕時計より』


「……」

「ねぇ、これを持って来た人をドロシーは覚えてる?」


 グレアムの質問に、ドロシーは気まずそうに視線を泳がせたが、観念したように口を開いた。


「それが、全く覚えていないのです……」


 双子は、今度こそアランが何も言わずに遠くに行ってしまうのではないかと不安になった。

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