過去の出会い
アルウェウス国グンゼのとある地域で、オリヴァーはカントリーハウスへの帰路を歩く。
夏季真っ最中のこの季節は、日が沈み始めるこの時間でもまだまだ明るい。
予定が押しているがまぁいつもの事だ。口うるさい従者はまた小言を言ってるが、これもいつもの事。
随分と衰えた体は重く、病に侵された体の自由は随分と減った。
杖を付かないと歩けず、息はすぐに上がる。もう迎えの日も近いだろう……。
もう少しで馬車の停留所だ。
その途中、小さく蹲る子供の姿を見つけたオリヴァーは、うるさい従者を横目に、ノロノロ歩みをそちらに向けた。
「やぁ、そんな所でどうしたんだい?」
声をかければ、少し間を置いて上げられた顔は、血と涙でぐちゃぐちゃだった。
泣き腫らして真っ赤になった目元を、男の子はまた擦り、溢れ出す涙をしきりに拭うも、その手も血に汚れ拭う度に顔が汚れていく。
「……何があったんだい?」
声を掛けても反応はない。耳が聞こえていない。という感じでは無さそうだが……。
オリヴァーの目に映る男の子は、なんだか他の人とは違う様に感じていた。
「事件でしょうか……? 警官を呼びましょう。オリヴァー様、何度も申し上げておりますが、予定が遅れております」
「どうせ遅れてるんだ。十分も三十分も変わらないよ」
「一時間が二時間になるんです……」と、従者が懐中時計を手に注意をするが、オリヴァーは「一緒だよ」と、それを気にする事なくアランを見ている。
男の子と目が合うと、オリヴァーは僅かに目を見開き、考えるような仕草を見せる。
昔、ルルシュカから『魔術師というのは紫目をしている』と、聞いていたのを思い出した。
なるほど、この狼の目はその違和感を捉えたようだ。
『僕のコトバが、分かるカナ?』
聞き取り難かったが、男の子は知っている言語にピタリと泣き止んだ。
男の子が――アランがこちらに視線を外す事なく頷いたので、ニコリと笑い返した。
『良かった。随分昔に友人から習ったんだ』
興味津々で教えてもらった異界の言葉。ルルシュカは「面倒だから教えたくない」と、初めは酷く嫌がったが。
オリヴァーはルルシュカと会わなくなった後も、忘れない様に書き留めていた書面を片手に復習していた。
すっかり拙い発音となってはいるが、まさかここで役に立つとは。
取り出したハンカチで手と顔を拭ってやると、汚れは少しマシになる。
『一人かい? 名前は? 誰か一緒にいないのかな?』
アランは首を横に振ると、弱弱しく『アランだよ……。誰もいない、分からない。家に帰りたい』とまた泣き出すと、嗚咽交じりに声にした。
流石のオリヴァーでも、アランを元の世界に送る事は出来ない。ルルシュカへ連絡を取る手段はあるが……。
この子には申し訳ないがそれは”今”ではない。
ならば、せめてその時まで保護してあげよう。
『アランか。このままでは、この世界では生きづらいだろう……』
オリヴァーは、首に下がるロケットの中から
『ちょっと失礼するよ』
アランの髪を片耳ずつ耳にかける。アランは大人しくオリヴァーの様子を伺った。
アランの左耳にはシルバーのピアスがあったが、右耳にはピアスは伺えない。
『つけられるかい?』
ゆっくりとしゃがみ込みピアスを渡すと、アランは小さく頷いて、右耳にピアスを着けた。
『これはその友人の忘れものでね。彼女も君の様に珍しい瞳をしていたんだ。きっと、君の助けになる』
アランの黒い髪はブロンドへ。紫の珍しい瞳はブルーに変わる。
呆れ返っていた従者は、自分の目がおかしくなったのかと、何度か目を擦りアランを確認する。というのを繰り返していた。
『暫くしたらその友人がこれを取りにくる。代わりに君が預かっておいて欲しい』
嬉しそうに笑ったその皺くちゃの顔に、つららてアランはぎこちなく笑った。
『坊や、もう少しだけ歩けるかい?』
今度はゆっくりと頷いたアランに、オリヴァーは歩いて来た先を指差す。
『ここを真っ直ぐに歩いていくと、噴水のある広場に出る。その噴水の中央に女性の像がいてね。彼女が見つめている先、赤い屋根の建物があるからそこを訪ねなさい。君を保護してくれるだろう。後日会いに行こう。待っていて』
皺くちゃの手が、くしゃりと髪を撫で付けた。
オリヴァーは従者に「紙とペンを」と、出させると、メモと名前を書き記して、アランに握らせた。
『そこでそれを渡す。出来るかな?』
また頷いたアランに、オリヴァーは名残り惜しそうにその場を後にした。
教えられた通りに進んだ道の先で、アランは噴水を見つける。そこには女性の像が有った。
広場の隅には人だかりが出来ており、わーわーと声が上がるそこに、吸い込まれる様にアランはそちらへ歩み寄る。
何があるのか見えない。人混みを抜けられなかったアランはその列に沿って歩き、人だかりの先が見える所で止まった。
また声が上がる。
「運に見放されたな。恨みっこなしだ」
そこではジャックが賭けカードをしており、丁度勝負がついたとろこだったらしい。
小さな山を作った札を、ジャックは手早く回収。負けた青年の肩を叩く。
「これで今日はお終いだ。また会う機会があれば、是非楽しんで参加してくれ」
パンパンと叩かれる手に、人だかりは疎になり散っていく。野次馬達は大負けした青年を慰めていた。
「なんだ? 汚ねぇガキだな。どっか行け」
穴が開きそうな程にこちらを見ている薄汚い子ども。
追い払おうとジャックは手をシッシッと振るが、アランは何を言っているのか分からなかったが、手招きされたと思いジャックに近寄った。
「はぁ? んでこっち来るんだよ。……ん? おい、何持ってんだ?」
アランの手に有ったメモはジャックの手に移る。あっという間の出来事に、アランは空になった手を不思議そうに見つめた。
中を見たジャックは「ふーん……」と、悪い顔で笑うと、「お前、アランってのか? で、言葉わかんねーの?」と声をかけた。
聞き取れないアランは、首を傾げて、『さっきは何をしてたの?』とジャックに質問をする。
聞いた事もない言語を話す子どもに、ファーガス家の名が入ったメモと”保護”、”後日迎えに行く”と書かれたその内容。
上手く行けば金が取れる。と、ジャックはアランをそのまま連れ去る事にした。
訳もわからないままジャックに連れられ、始まった新しい生活だったが、ジャックの目論見虚しく、アランを連れ去った数日後、オリヴァーが死去したと号外が出回った。
ガックリと肩を落としたジャックは、この数日ですっかり懐いたアランを捨てる事が出来ず、仕方なく相棒として育てる事にした。
単語から始まり、読み書きを教え、自分の技術の基礎を教え込んでいく。
その間、両親の死を知らないアランは、両親も、トーマスも一向に自分を迎えに来ない事にモヤモヤし、それは絶望感に代わると、怒りに変わっていった。
アランがアルウェウスに来て一ヶ月が過ぎた頃、ようやく迎えがやって来る。
月のない夜だった。
ジャックが夜遊びに耽る中、アランは一人宿で留守番をしていた。
「お前ら……
アランの元を訪れたのは、ルルシュカと、人の姿をしたトーマスだった。
アランはまだ幼く、特定の妖精しか見た事がなかった。また、すっかり魔法のない国に馴染み始めていた事もあり、初めて見る
そんな事も知らずに、トーマスは今にも泣きそうになりながら、アランとの再会を胸中で喜んでいる。
『こんばんは。初めまして、アラン。私はルルシュカ、妖精だよ。君は間違ってこの世界に来てしまったんだ。言ってる意味が分かるかい?』
懐かしい言葉にアランはまた驚いた。
『アラン、僕っス。最高の友達のトーマスっスよ! 遅くなってごめん。迎えに来たっス』
トーマスは、心配そうな、それでいて安心したような笑顔を浮かべたが、残念ながらアランはトーマスはただの話す猫だとしか認識してなかった。
今まで音沙汰もなかった家族の名に、溜まっていた不満や怒りからアランの頭にカッと血が登る。
気がつけばアランは感情のコントロールが出来なくなり、癇癪を起こしていた。
『バカにするな! トーマスは猫だ! お前みたいな変な奴じゃない!』
『え? 嘘でしょ? トム、その姿見せてないの?』
『あ! 嬉しくて舞い上がって……うっかりしてたっス……。僕まだアランにとっては猫でした』
『ははは、やっちゃいました……』と乾いた笑いを浮かべるトーマスに、ルルシュカはこいつマジか……。と冷ややかな目を向ける。
トーマスは急いで猫に姿を変えるも、『うわぁ?! 猫になった!? ……俺は騙されないぞ!』と、アランはもう聞く耳を持たない。
『僕本人なんですけど……』
『自業自得だね』
ここで失敗するとは……。ルルシュカは頭を抱えた。
『もう一度言うね。ここは君が両親と暮らしていた世界ではないんだ。アランだって元の世界に帰りたいでしょ?』
ルルシュカの話に、アランは一瞬冷静になる。
確かにここは自分の知っている所ではない気がしていたのは、薄々感じていた。
(だけど……)
『その話が本当だったとして、……なんで父さんと母さんは一緒じゃないんだよ!』
シン……、と部屋は静まり返る。
『トム』
『っス……。アラン。ステラは、君の両親は、帝国との抗戦で……亡くなってるっス……』
両親の死。心のどこかで、アランもそうなんじゃないかって思っていた事だった。
でも、今のアランにはその言葉を受けいれられない。そんなはずはないと、アランは二人を拒絶した。
『嘘だ! お前達は嘘つきだ! 父さんと母さんは死んでなんかない! 俺に近寄るな! お前達は悪魔だ!』
アランは両親の死を認めたくない一心で、目一杯に騒ぎ立てると距離を取った。
『いや、妖精ね』
ルルシュカは、冷静にツッコミを入れる。
『ステラから言われなかったっスか? スクロールを破った先で、トーマスがアランを待っているって』
ただでさえ記憶が曖昧なのに、そんな事を言われてもアランには分からない。分からない事ばかりでイライラする。
何故自分がこんな目に遭わねばならないのか。アランはウンザリしていた。
『お前の話は聞きたくない。トーマスの姿で母さんの話をするな!』
『……どうする? トーマス』
『困ったッスね』
困惑する二人に、アランは追撃の言葉を叫ぶ。
『俺はお前達にはついて行かないからな! それに、お前らに俺の名前を呼ばれる筋合いもない! とっとと悪魔の世界に帰れ!』
アランは自分でも驚く程の大声が出た。
息は切れて、最後の方は声が上擦った。
『だーかーら……、まぁいいか。トーマス、とりあえず出直そう』
『……分かったッス』
訳も分かっていない幼い子ども。仕方がないが、本人は行かないと言っている。
強制的に連れて帰ってもいいが、しばらくこの状態が続くだろうし、それで関係が悪化するのはトーマスにとっても良くはない。
『いいかい。今はそのピアスを貸しておいてあげるけど、キミが大人になったら返して貰うよ。それまで記憶は消しておく。ここには妖精も魔術師もいない』
『そうっスね。もし思い出して混乱したら、精神的にも良くなさそうっス。ついでにこっちの言葉が分かるようにしてあげるッスよ。アラン』
トーマスは、ルルシュカの肩に乗ると、寂しそうに、エメラルドの瞳を伏せた。
『じゃあね、クソ餓鬼』
『ルルシュカさん。口悪いっス。……アラン、しばらくのお別れっス……元気でいて欲しい』
二人との距離は変わらないのに、おでこをトトン、と押される感覚がした。
咄嗟にアランは両手でおでこを隠したが、もう二人の姿はそこにはなかった。
翌日、教えてもない言葉までもをペラペラと話す様になったアランに、ジャックは「……飲み過ぎたか?」と少しだけ反省すると、自分の頭を心配していた。
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