魔法が解ける


「にゃー……」


 トントンとアランの頭を黒猫が叩くも反応はない。


 ルルシュカの店から退店させられたアランは、あの日から数日間ずっと部屋に篭っていた。


 何故自分はこんなに落ち込んでいるのだろうか……?


 この数日間、目を背けていた自身の感情にアランはようやく向き合ってみる。


 グレアム達の報酬の時にも思ったが、アランは全くもって幸せではなかった。

 むしろ悲しみやら怒りやら何やらで、ぐちゃぐちゃになった感情に、盛大に振り回されている。


(昔ジャックが狙ってた女に振られた時、この世の終わりみたいになってたけど、あの感情……とは違うと流石に信じたい)


 別にあのクソ妖精に恋していたなどという気持ちは、微塵もなかった事は間違いない。


 こんな事なら、妖精や双子と出会わず、ただただ以前の生活を送っていた方が良かった。

 そうすれば、こんな気持ちを味わう事もなかったはずだ。

 

 こんなに落ち込んだのはジャックを失って以来だが、その時とも少し違うような気がアランはしていた。


 その違いが何かは分からないが。


 そもそもなんなのだ、あの妖精は。勝手に人を呼びつけて、目的が達成されれば、はい終わり。

 あっさり自身を切り捨てた。


(んだそれ!)


 ふざけるなと怒り叫びたくなる。

 

 そうだ。今までだってずっと自身はあの妖精をギャフンと言わせるタイミングを計っていたのだ。

 悔しくもそのタイミングは訪れずに終わったが。


 なら自分から会いに行って文句の一つや二つ。いや気が済むまで思いの丈を言ってやって、なんならマジで一発くらわしてやりたい。

 もしくはあの澄ました顔を、なんとしてでも歪ませてやりたい。


「あのクソ妖精……。どーしたら会えんだよぉ」


 指輪は無くなった。手元に残ったおまじないの道具はただのゴミだ。


「……にゃぁ」

「腹減ったな……」


 猫の鳴き声に、アランはそういえばここ数日まともに食事を摂ってない事に気づいたが、重だるい体を起こす気力は残っていなかった。


「アラーン?」


 ベルの音と、遠くで自分を呼ぶ声が僅かに聞こえる。この声はグレアムか。


「アラン? いるー?!」


 あの日から双子にも会ってない。そういえば今日は何だかんだと言っていた気がするが、なんだったか。

 無視してしまうおかとグタグタ悩んでいれば、黒猫が玄関に姿を消した。


 少し先でカリカリとドアを引っ掻く音が聞こえる。


 ガチャン


 鍵の開く音に、アランは怠さも忘れて勢いよく起き上がった。何が起きた?まさかグレアムがピッキング出来るとは思えないし、出来たとしてするだろうか?


 当のグレアムは困惑していた。

 開錠音がしたが玄関は開かない。

 

 恐る恐るドアを開けたグレアム。てっきりアランが鍵を開けたと思った玄関先に人影はなく、代わりに黒猫がちょこんと、その先に座っていた。

 

「え、猫? アランは? ……もしかして、君が開けてくれたの?」


 もちろん返事はない。

 ととと……と、部屋の奥へ進む猫。

 

 グレアムは戸惑いながらも、「入るよー。おじゃまします」と、遠慮がちな声で入って来た。


 部屋にはボサボサの髪にげっそりとした、土気色の顔のアランがベッドに座り込んでいる。

 

「アラン、どうしたの!?」


 その姿に声を上げグレアムは急いで駆け寄った。


「なんでもねぇ……」

「なんでもなくないよ、どうしたのさ?! ご飯は食べてる? 具合が悪いの? 痛い所は?」

「本当に何でもない。ほっといてくれ」

「放っておいてなんて出来ないよ。とりあえず……そうだ、うちに行こう。今の状態でここに居たら、君はダメになっちゃうよ」


 心配するグレアムではあるが、その瞳には絶対に譲らない。という強い信念が感じられ、アランは突き放したい衝動をグッと堪えて口を噤んだ。


 深く深呼吸をして、なぜ放って置いてくれないのかという苛立ちを抑え込む。


「にゃー」


 部屋の隅で鳴いた猫に、二人の視線が集まる。


 猫の足元にはいつの間にかベルトが締められたトランクがあり、出かける準備は出来ている。と言わんばかりに猫はジッと二人の方向を見つめている。

 

「……」

「アラン、もう数日で一ヶ月だけ社交シーズンに入るんだ」


 アルウェウスの貴族の社交シーズンは二期に分かれる。一つは短い夏期の間。

 猛暑となる二ヶ月の間、バカンスに貴族が海辺に集まるのを利用して、一月だけ社交が行われる。

 

 あとは長い春の期間に半年間制定されている。


「僕は絶対にパーティーにアランを招待したいし、その翌月のバカンスも一緒に楽しみたい。それに、今日は一緒に絵画も見るって約束しただろ? 勿論、それは今日じゃくてもいいんだけど……」


 そういえばそうだったか。絵を一緒に観ると約束した事を思い出す。

 だが、社交シーズンは自身には関係ない。自分は貴族ではないのだから。

 

 グレアム達とは違うし、妖精達とももちろん違う。今のアランは皆のように面白おかしくなど暮らせない。

 

「……俺は貴族じゃない。パーティーに出て何になる? 笑い物にでもなれってか?」


 アランの心にグズグスと劣等感や嫉妬が湧き上がっていく。

 

「そんなんじゃない! 君を奇術師マジシャンとして皆んなに紹介したいんだ。……君はそれを望んでないかもしれないけど」


 グレアムは、アランが自分の凄さに鈍感な事に歯痒さを覚えていた。


 見せてもらったカードマジックは瞬きも推しい程の素晴らしいものだった。何度エレノアと一緒になって、もっと見たいとリクエストした事か。

 だが、アランにとってのその技術は、スリやイカサマの副産物でしかなった。

 

「君のその技術は凄いんだよ?! その力は、エンターテイメントとしていい方向にだって使えるって、僕は思ってるし、それに……」

「……それに、んだよ」

「僕が皆んなにただアランを自慢したいんだ。君は僕の大切な友達で、皆んなが出来無い事ができる凄い努力の人で……。本当は奇術師なんかじゃなくて、魔術師なんじゃないかってすら思ってるよ!」


 カッと熱くなったグレアムは、自分の発言が流石に恥ずかしかったと顔を真っ赤に「ちょっと今のなし」と、ゆっくり呼吸をして冷静さを取り戻した。

 

「……ごめん。一人ではしゃいだ。でもそう思ってるの嘘はじゃないから。……何があったか分からないけど、何となく今君は一人にならない方がいい気がするんだ」


(魔術師……。ねぇ)


 グレアムが信じているのは妖精の仕業であって、自分の成果ではない。

 それでも、グレアムが必死に自分の事のように話してくれる事はなんだか嬉しかった。

 

「それは知らねぇけど……。絵は約束したしな……」


 アランは重い腰を上げて、一先ずグレアムの家について行く事にした。


 ――――


 ヘイス家へ行けば、以前の訪問以上に丁寧なもてなしがアランを待っていた。


 屋敷のメイド達の間では、アランは双子の客人だったが、(恐らく)エマの視力を治した人物だと追加認識されている。 

 

 当主である父親と兄には、アランが治してくれた事は当然伝わっている。

 二人からは猛烈に感謝されたアランは、崇め奉り上げられ、エマが止めてくれなければ危うく新興宗教が出来る所だった。


 エマの目が見えるようになった件について、会う人は一様に驚くが、「良いご縁があり、見える様になりましたの。ふふふ」と、にこやかに黒い笑顔でエマが話すと、その先を言及する強者は今の所現れていないらしい。


 さすがはヘイス家という所なのかは分からなかったが、幸いにも、今の所は騒ぎになってないのなら良かったとアランは安堵していた。

 

 風呂に浸かり、体に良い食べ物が出され、美術館へ行くからと、上質なスーツが用意される。


 空腹が満たされたからか、澱んでいた気持ちが少しだけマシになった。


 「今日は辞めておこうか?」というグレアムに、アランは「ここまで来たんだ、行くよ」と小さく返しす。


「言いたいくない事もあるとは思うけど、話したくなった時にはいつでも聞くから」

「……ありがと」

 

 その様子にエレノアは、「絵を見れば、きっと気分転換にもなるわ」と、優しく声をかける。


 父と兄は仕事だというので、双子と母親のエマの四人で首都にある美術館へと向かった。


 一般公開の開始は明日だと言うその絵は、七年の間国内外を巡り色々な美術館で展示がされたらしい。

 どうやら、アランが首都の美術館に行った時には、絵画は外に出されていた為、見た事が無かったようだ。


 車を降り案内役の学芸員の後をついて、一行は美術館へと入って行く。


「こっちだって。母様、足元気をつけて」

「ありがとうグレアム。アランさん、大丈夫?」

「……はい」


 どよん。と雲がかるアランを気遣う母を横目に、エレノアはアランに色々とルベライトの乙女のうんちくを吹き込んでいく。

 

 ルベライトの乙女シリーズは全部で七作品だったが、今年はオリヴァーの誕生周年を祝い、未発表だったルベライトの乙女が抽選販売されると公表された。


 人気絵画の販売は通常オークションにかけられる。


 それ故、今回の定価販売は、その金額さえ用意が出来れば平等に購入のチャンスが与えられる。

 倍率はどうなる事かと、ファンの間では頻繁に囁かれている。


 グレアムとエレノアもその日を楽しみにしていた。

 

「それとね、ルベライトの乙女のモデルは、妖精だって言われているのよ」

「懐かしいわぁ。昔から二人がよく話してたわね」

 

(……その話が本当なら、碌でもない奴だっただろうな)


 二人は絵画がまだこの美術館に展示されていた時に連れてきてもらうと、見事にルベライトの乙女に心を奪われた。

 興奮冷めやらぬ双子は、完全にその乙女に恋をしている様だった。

 

「へぇー。そりゃすげーや」


 はしゃぐ双子に、未だどんよりとしたアラン。

 それを微笑ましく、心配そうに見守るエマ。支配人との挨拶を済ませ、特別室へと招き入れられた。

 

「こちらにございます」

「……っ!?」


 案内された先、部屋の壁に飾られた絵画には、よく見知った妖精の姿があった。


 宝石ルベライトの様な、マゼンタの瞳に、月の光を取り込んだような銀の髪。


 自分の為だけに向けられている。そんな錯覚を起こさせる、たおやかな微笑み。

 双子の言葉の意味も、魅了される人々が多い理由もよく分かった。

 

 エマは初めて見るその美しさに、感嘆の声を漏らす。

 

 が、アランにとってのあの妖精の笑顔といえば、意地悪く笑った姿がデフォルトだ。

 絶対に、製作者のフィルターがかかっているに違いないとアランは根拠もなく確信した。


 ふと、隣から聞こえたのは鼻を啜る音。

 

 驚きに横を見れば、双子は感極まったのか、ハンカチで涙を拭っている。


「相変わらず綺麗だわ……。素敵」

「……絶対に抽選当てたいよね。家に来て欲しい」

「あなた達、昔から変わらないわねぇ。でも、確かに、エレノアとグレアムがお話ししていた事がよく分かる絵ね。本当に素敵だわ……」

 

 双子は久しぶりのルベライトの乙女を堪能していたが、呆然と絵を眺めていたアランに、グレアムが声を掛ける。

 

「アランはさ、絵描き売りのジャンって知ってる?」

「主人公のジャンが狼を助ける話だよな?」


 昔ジャックに教えて貰った童話の話しだ。

 

「そうそれ。あれはさ、ずっと昔に、オリヴァー卿の曽祖父にあたる、当時の当主が体験した話しとも言われてるんだ。あそこの領地では人気の童話なんだよ」

「あの話しが?」

「そうだよ。それに、ファーガス家には必ず一人、アンバーの瞳の子供が産まれるんだ。それが狼の妖精の祝福を受けた証だって話す人もいるほどに、地元では根付いてる話しなんだ」

「ふーん……」

 

(オリヴァー・ファーガス……。オリヴァー……。アンバーの、瞳……)

 

 以前も引っかかった名前だ。何がそんなに気になるのか……?


「その画家の自画像画とか写真って残ってねーの?」


 アランの問いかけに答えたのは、美術館の従業員だった。

 

「ルベライトの乙女と一緒に戻って来ております。別室にございますので、ご案内致しますね」

「助かります。ちょっと観てくる」


 双子はまだここにいる。とエマと一緒にアランを見送った。


 アランもオリヴァーのファンになったのだと、全くの勘違いを訂正する事なく、アランは部屋を移動した。


 向かった先に飾られた何枚かの自画像画。年代順に並んだ絵の一番端に、年老いた老人のオリヴァーがいる。

 

 ぐわん。と眩暈に視界が歪んだ。


 アランは猛烈な眩暈に立っていられずにその場に蹲った。


 瞼の裏に蘇るのは、絵画と同じ優しい眼差しをした、狼の目アンバーの瞳の老夫の姿。


 こちらを悲しそうに見下ろしている。


(祖父さん……。そうだ。俺は、あの時――)


 アランの脳裏に、幼い頃の記憶が蘇った。


 何故今まで忘れていたのだろうか……。

 今なら鮮明に思い出せる。


 この老夫の、あの眼差しと優しい声を――

 

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