トラブルメーカーの来店
ギャング団を銀行で襲撃した後。
「あいつ、容赦なさすぎ……。妖精じゃなくて悪魔の間違いだろ」
家に戻ったアランはシャワーを浴び、ベッドの上に泥のように転がっていた。これならまだあの守銭奴の方が可愛く見えてくるのが不思議だ。
「にゃー」
開けていたバルコニーの窓から、黒猫が入ってくるとベッドに飛び上がり、寝転がるアランの頭を前足でちょいちょいとつつく。
「また来たのか。飯はねーぞ」
しばらく、ぐったりとしていたアランだったが、(……今日のうちに終わらせよう)と、少し回復した気力を振り絞ってベッドから起き上がり、デスクセットの椅子を引く。
机には先日購入した人形と、血が染み付いたハンカチ。分解されたリボルバー銃に、愛用しているナイフが置かれる。
ハンカチの一部を切り取り、人形の背中を開いて中に入れる。表へ返すと、間抜けな顔は怒り顔に変わった。
「……やっぱ間抜けに見えるな。こいつ本当に怒ってんのか? っうわ!?」
黒猫がベッドから飛び出しアランの背から肩に乗る。猫はそれから動く様子がない。
「お前、もしかしてそこに居るつもり?」
「にゃっ」
タイミングよく鳴いた猫に諦めたアランは、怒り顔の人形の頭と胴体を挟むように持つと、指の隙間からナイフを入れ込んだ。
(……)
このままナイフを滑らせたら、きっとリチャードは死ぬのだろう。
……ライフルで狙い打つよりも数百倍簡単だ。
楽しかったジャックとの思い出が蘇っては消えていく。身寄りもない、何も知らない幼いアランを連れてくれた命の恩人。
沢山の事を教えてくれた。生きる為の知識や技術も、楽しい事も大変な事も。父親で兄で悪友の様な存在だった。
アランは小さく笑ったが、すぐにぎゅっと口を噤む。ゆっくりとナイフが人形の頭と胴体の間をスライドしていくと、人形は二つに綺麗に切り離される。
こてん、と落ちたその顔は、ニッコニコの笑顔に変わっていた。
「ははっ……。笑っても、マヌケだな……」
「にゃー」
肩から猫が降りる。
明日は新聞の発行日ではない。号外は出るだろうか。
アランは人形の胴体と頭を、ルルシュカから預かったシルクの布に丁寧に包むと、猫を追う様にバルコニーへと出るとタバコに火を点ける。
ぱたぱたと、足元が不規則に濡れていく。
アランは火を点けたタバコを吸う事なく、手摺りによりかかり項垂れた。
◇◇◇
翌朝一番、コーヒーハウスでブラックコーヒーを飲むアランの手には号外が握られている。
話題は勿論ファウラーギャング団逮捕について。
見出しには
内容を追っていけば、リチャードが運ばれた病院で死亡が確認されたとあるが、死因は銃撃時に受けた銃弾による致命傷。とされていた。
アランはまだ湯気の立つコーヒーをそのままに、代金を支払うと鞄片手に席を立つ。小さく店のドアを四回ノックして店を出た。
「いらっしゃい。おや、どーしたの? 浮かない顔だね」
店には以前に見かけた若い女性の姿があった。確か、アンだったか。
「はい。今回の分ね」
「ルルシュカ! 本っ当にありがとう! 今月ピンチだったから助かるぅ」
「こっちも助かってるから、お互い様だよ。また来てよね」
「勿論だよぅ! またねー!」
リン――――
「前も来てたよな?」
「うちのお得意様で、常連さんなんだよ」
「お得意様?」
先程金を払ったのはルルシュカの方だ。
「彼女はね、自分の血を売りに来てるんだよ」
「……血液の事だよな?」
「そうだよ。先に人形貰っていい?」
鞄から白い布の包みを取り出すと、そのまま差し出された手に載せる。
「はいどーも」
「どーすんだよ、それ」
「このタイプの物はね、ちゃんと後始末をしないと、
どこからか取り出してきた缶を開けると、中に入っていた粉をひとつまみ人形にふりかける。
キラキラと光りながら落ちていくそれは、砕いた鉱石のようだ。
「普通はこんなアフターサービスはしないんだから、感謝してよね」
魔法がない世界の人間に、通常お
「なんだよ……大変な事って」
白い指が人差し指で円を描いたと思えば、その手には摘みたての葉っぱが数枚握られている。
ルルシュカがふっと息を吹きかけると、葉っぱは水分を失い綺麗に乾燥した。
「今回で言うと、キミは死んじゃうかもね」
「なっ……マジかよ……」
「でもキミ、案外真面目に言う事聞いてるから大丈夫だよ。危機管理能力が高いのかな?」
人形に葉を載せたルルシュカが小さな声で何かを呟き、指を鳴らすと勢いよく人形が燃え上がり灰になって無くなった。
布の上には灰と古めかしい壊れた指輪が残っている。
「それで、さっの話しだけど。人間の女性の血液はね、お
灰と指輪を丁寧に布で包んで、後始末はとりあえずひと段落ついた。
「何に使うんだよ?」
「インクだよ。キミもこの前買ったでしょ、万年筆」
「あ、れに入ってんのか?」
「そうだよ」
女性の魔法使いは、自分の血がそこそこの値段で売れる事を知っている。
アンの他にも、ルルシュカの店に血を売りに来る女性客は一定数存在している。
「それで、あんまり嬉しそうじゃないみたいだけど、敵討はどうだったの?」
「……別に。終わった。それだけだ」
「そ――今すぐナイフを抜いて!」
ルルシュカは、今までの姿からは想像が出来ない程の恐ろしい顔をして声を張った。
指が鳴らされると、アランはルルシュカの隣に移動し並んでおり、目の前には呪いの人形が動物を形どったものになって二体置かれていた。
「なん――」
――バンッ!
出入り口の扉が吹き飛ばされると、砂煙と一緒に二人の陰が入って来る。
ルルシュカは自分の親指の腹を噛むと、人形に血を付けた。
「キミも人形に血をつけて! 早く!」
鬼気迫るその様子に、慌てて手持ちのナイフで指先を切ると人形に指先を押し付ける。
「付けた!」
「ならその人形持ってしゃがんでて」
ルルシュカが腕を振れば、カウンターを堺に薄い幕が貼られ、土煙が一気に消えると訪問者の姿が明瞭になる。
視界に飛び込んで来たのはルルシュカの想像通り、妖精のライ・アーグと人間の魔術師のディアドラだった。
ライ・アーグは古代の兵士の恰好をしており、出くわした人間に決闘を申し込む事で有名な妖精だ。
小柄な見た目をしているが、戦闘のスキルは相当のもの。力のある妖精か、熟練の魔術師でもなければ相手にもならない。
ディアドラが面倒事と一緒にルルシュカの店に逃げ込んでくるのは、これで六回目になる。
「ルルシュカ! 報酬は払う、なんとかしてくれ!」
「嫌だね。戦闘なら他所でやって」
退店願おうと指を鳴らそうとすれば、「いつもの倍払う! だから頼む!」と、必死のディアドラの嘆願が聞こえてくる。
今も必死にライ・アーグの鋭い剣さばきを、すんでの所でどうにか防いではいるが、ディアドラが負けるのも時間の問題だろう。
攻撃を必死で受け止めかわす度、大きな音を立てて窓や壁、屋根が次々に壊されていく。
アランはカウンターから少しだけ頭を出して、目の前で繰り広げられる一方的な攻防戦を傍観した。
カウンターより奥は、ルルシュカが結界を貼ったお陰で被害は出ていない。
いつもの倍払う。は、これでもう六回目になる台詞だが、支払うのはいつもディアドラではなく彼の実家だ。
「600ダリル、フェニクスの鳴き声と涙。それにヘルハウンドの涎と牙を一人で三ヶ月以内。それなら手を打ってあげてもいいけど」
ルルシュカが出した条件は、どれも妖精なら簡単に入手できる品ばかりだが、人間が入手しようとなれば中々にハードな内容となるものばかり。
過去五回、全く反省しなかったディアドラへの嫌がらせだ。これを受ければディアドラは三ヶ月間他の事は出来なくなるだろう。
「……その条件で頼む!」
盛大にため息を吐いたルルシシュかが、手のひらにポン、と握った手を乗せると、途端にライ・アーグは断末魔を上げて姿を消した。
ほぼ屋外となったカウンターの外側には燦々と陽の光が差し込んでおり、「またディアドラか」と野次馬が数人集まっている。
「……何がどうなったんだ?」
「あれはディアドラ。前に来たケットシーいたでしょ。あの子の兄弟子で、重度のトラブルメーカーなんだ」
その場にへたり込むディアドラが羽織る茶色のローブや服はボロボロに引き裂かれ、泥と自身の血で汚れて酷い有様となっている。
「さっきの妖精はライ・アーグって言ってね。出会うと決闘をしなければ行けなくなるんだ。負ければ当然殺されてるんだけど、勝っても十四日以内に呪い殺される。当然出会う訳にはいかないから、危険地域と出没時間は知れ渡ってる」
「はぁ?! なんだよその妖精。ん? じゃぁ俺らヤバくね?」
「その為の人形だよ。身代わりになってくれるから、私とキミが呪い殺される事はないよ」
「あいつは?」
「さぁ? 少し前に人形を買ってるからいいんじゃない?」
「……て事は、あいつ、自分から会いに行ったて事か?!」
好奇心旺盛で血気盛んなディアドラは、腕試しにとライ・アーグに決闘を申し込まれにわざわざ会いに行ったのだろう。
「そうとしか考えられないけど、キチガイの事は私にも分からないな」
「めちゃくちゃ迷惑なヤツだな……」
「でしょ。毎度巻き込まれてうんざりだよ。今度こそ出禁決定だね」
「どうしたんスか?」
野次馬を掻き分けやって来たのはケットシーのトム。瓦解した店をキョロキョロと伺いながら中に入って来た。
「それのせいだよ」
「げ! ディアっち。またっスか……」
「……俺は、そんな名前じゃねぇ」
「回復薬持ってるッスか?」
「落とした」
トムはルルシュカ同様に盛大に息を吐いて、ディアドラの傷と身なりを綺麗さっぱり魔法で治してやった。
綺麗になったディアドラは、青みがかった黒の長髪に、吊り上がった切れ長の目をしており、その瞳は紫色をしている。
シュッとした顔をしてはいるが、どう見ても悪役顔だ。
「うちの兄弟子がすみません……」
トムは崩れ落ちた建物を指差し、スイスイと元通りに直していく。
「すげぇ……」
「トムは優秀な妖精だからね」
すっかり元通りになった店内。
事件の張本人のディアドラはムスッとした顔で腕を組み、壁にもたれ掛かっている。
その顔に反省の色は微塵も見えない。
「何か用事だった?」
「いえ、近くを通ったら凄いことになってるのが見えたから寄っただけなんスけど……。見に来て良かったっス。師匠には僕から伝えておきます」
申し訳ないと項垂れるトムは、いつもピンと立っている耳がペシャリと伏せられている。
トムの師匠はディアドラの父親にあたる魔術師だ。ルルシュカの紹介で、人間の魔術を勉強している。
「こちらからも書面を送るよ。もう金輪際、ディアドラは出禁だ。異論は認めない」
「それは困る!」
「こっちだって困ってるよ。毎回トラブルに巻き込まれて、店を壊されて。さっきの条件が達成出来なかった場合、魔術師の資格を剥奪するように教会に異議申し立てするから、三ヶ月間精々頑張るんだね」
白い指が弧を描けば、ディアドラの手の甲に魔法円が描かれて消える。
これが消されない限り、ディアドラは二度とルルシュカの店に来店出来ない。
「無いとは思うッスけど、怪我は?」
「二人とも無傷だよ」
「まぁ……そうっスよね」
トムはペコリとお辞儀をすると、暴れるディアドラをとっ捕まえて店を出て行った。
ルルシュカはアランをいつもの位置に魔法で戻す。
「なんの話しだったっけ?……ああ、キミの敵討が達成したんだったね」
「あ、ああ。そうだな」
「良かったよかった。これから数週間ちょっと店を閉めるから、先に渡しておくね」
出て来たのは先程血を着けた人形と同じものだが耳の形が違っていた。
カウンターにまだ置かれている、血のついた人形は兎の様な長い耳をしているが、新しく出て来た人形はそれよりかは少し短い。
相変わらず刺繍されている顔は間抜けだった。
「さっきと同じヤツ?」
「そうだよ。身代わりの人形ね。さっきは血を着けたけど、キミが使う時は、使いたい相手の体に人形を当てて呪文を唱えるだけだよ」
「どうなるんだよ?
「初めにキミに持たせた
この人形はルルシュカが作る自信作のオリジナルの商品が故、いつも以上に言葉に熱が入る。
これで、双子の母親の目が見える様になるらしい。
先程は気づかなかったが、背面にはご丁寧に丸い尻尾が縫い付けられている。
ギュッギュと押せば、呪いの人形と同じ様に、中には紙と硬い何かが入っているようだ。――先程後始末をした人形の中には指輪が入っていたか。
(こんな間抜けな顔のぬいぐるみが……?)
「顔に出てるよ。……ほら、右手出して」
嫌そうな顔で差し出された手を自分の方へと引き寄せ、少し身を乗り出したルルシュカがその手に顔を寄せる。
またあの時と同じ香りがして、ルルシュカは、ふっと指輪に息を吹きかけた。
「何したんだよ」
「上手くいくお
「あっそ」
「それじゃ、呪文の練習ね」
ルルシュカのレッスンは酷くいい加減だ。アランは鋏の時の呪文を覚えるのにも四苦八苦していた。
幸いな事に、今回の呪文は比較的発音もし易く、短かったのでアランは然程時間を掛けずに覚えられた。
「メモ残しておく?」
「……一応貰っとく」
適当な紙に呪文を書き出していると、血の着いた人形二体が、じわじわと色を変える。
「人形が!」
「呪いが始まったんだよ。早かったね」
白かった兎は黒に変わり、体の一部がドロリと溶け出していた。
「……これが、呪い」
「そうそう。でも早く出て良かったよ。これもちゃんと処理しておいてあげけるから、安心していいよ。はい、商品ね。それと、シルフとの買い物でスッカラカンでしょ。ツケにしておいてあげるから、特別に成功報酬でいいよ」
おめーの友人だろ!とは思ったが、グッと言葉を飲み込んだ。
意味もなく女装もしてやったが、結局金は払わされるし散々だが、もうこの妖精達に何かを言った所で無駄なのは良く分かった。
「その人形はいくらなんだよ?」
「なんと格安の20リタだよ。因みに呪いを受けたこの人形の請求はディアドラにしておくから、キミは払わなくて大丈夫」
「本当抜かりねーのな」
「ここは商店だからね。再開したら連絡入れるから。最後の一仕事、頑張るんだよ」
パチン――
アランはコーヒーハウスではなく、どこかの路地裏に立っていた。
通り沿いに出ればすぐそこにはロバートの店があり、グレアムとエレノアが腕時計で時間を確認している姿が見える。
(やっべ!)
もうそんな時間か。
急いで合流するも、「やぁ、時間ぴったりだね。エレノアも誘っちゃったんだけど……」と、変わらないグレアムに、アランはホッと胸を撫で下ろした。
「別にいんじゃね」
「ありがとう。お邪魔するわ」
だがすぐに何とも言えない気まずい空気が流れる。
「……近くに個室が使えるカフェがあるから、そこでもいいかな?」
「あ、ああ。勿論いいぜ」
三人は何かを話す事なく無言で歩き始めた。
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