フェージングの宝石


 無事に部屋の引き渡しと家具の搬入が終わり、生活の基盤が一つ整ったアランは上機嫌だった。


 ――のだが、引っ越し後から何故か頻繁に来るようになった胸白毛が特徴的な黒猫の尻尾を、今朝方誤って踏んだアランは腕を引っ掻かれ、機嫌は急降下していた。

 

 グレアムとの待ち合わせ場所に向かうと、そこには新聞で読んだ最新型の小型自動車が止まっていた。


「おはよう!……ってアラン、腕どうしたの?!」

「……気にすんな。それよりも、この車って」

「僕のだよ。これで首都まで行こうと思って」


 運転手には見知らぬ男が乗っており、アランはこの双子がどこぞの貴族だと確信した。

 

 車に乗り込み、エレノアとの買い物はどうだったとか、最近巷で人気の喜劇が気になっているとか。

 グレアムが最近賭博場に行ったが負けた事など、他愛もない話をしていると、あっという間に首都に到着した。

 

「凄ぇ……」

「でしょ! 見るだけでも楽しいから、たまに時間が出来ると来るんだ」


 毎月一日に開催されるマーケットは、アンティークショップを中心として、各ストリートに千店以上の商店ストールが出店する。珍しい果物や家具、雑貨など様々なものも購入することが出来る。


 まだ早朝だというのに既に通りは人で溢れており、見た事もない人の多さと、果てしなく続く商店にアランは圧倒されていた。


 オメガやパール、宝石など。グレアムは実際の商品を見ながらアランが知らなかった事を沢山教えた。

 その度に、アランは今までの盗品がもっと高く売れていたのに。とか、意外と良い線で売り交渉出来てたんだな。と頭の中で答え合わせをしていた。


「あ! これはフェージング石の原石だ。アラン知ってる?」

「フェージング? いや、初めて聞く」


 店頭に並ぶ宝石の中に混じって置かれたそれは、握り拳程の大きさをしている。田舎道に落ちていそうな石の塊だが、グレアムはそれを原石だと言う。

 

「赤い宝石なんだけど、この石は紫外線に弱いんだ。夏場の窓辺に置いておくと、一週間もすれば褪せて青色に変わるんだよ。綺麗に褪色すればいいけど、石や環境によっては濁ったり灰色がかったりしちゃうんだ」


 手に取って色々な角度から見てみるものの、宝石のほの字も見つけられない。どう見てもただの石ころにしか見えなかった。


「ほら、奥に赤い裸石ルースがあるだろ」

「あれか?」


 指差す先には、店の照明を受けて輝く赤い石。アランは確認するように同じ様に指を差す。

 

「そうそう。この石を割ると中に石の結晶が入ってるんだ。綺麗な赤だから婦人達を中心に人気も高いんだよ。夜会だとよく見る宝石なんだ。アランももし買ったり貰った際には注意した方がいいよ」


 なるほど。短い夏季以外でも年中紫外線量が多いこの国で、日中の外出で付けるなんて事はしないだろう。

 しかし、この石ころがあの美しい宝石になるとはやはり想像も付かなかった。


「次の店を見たら休憩しよう」


 はぐれない様にグレアムに続いて歩いていくと、段々と人が疎になっていく。


 途中、嗅いだ事のある匂いが鼻を掠めた。

 

 振り返ると、ブロンドの髪の女性の姿。近くの商店に目を向けると、足を止めて立ち寄っていた。


 グレアムに声をかけようと振り返ると、グレアムも近くの商店で足を止めていた為、アランはすぐに走り出した。

 

 アランの様子に気づいたグレアムは、驚いてアランの背を視線で追ったが、目の届く先でアランが足を止めたのでそのまま店を見る事にした。


 アランの視線の先には先程すれ違ったブロンドの女性がいる。

 

『狼だーれだ!』


 急に脳裏に記憶の断片が、フラッシュバックの様に浮かんで消えた。


 何かに取り憑かれたように、アランは徐に左右の手を組みを作る。

 

 幼い頃に覚えた遊び言葉を唱えながら、指で作ったを自分の目の高さまで上げていく。

 アランがを覗くのと、ブロンドの髪の女性がアランの方へ振り返る動作が重なった。


「っ!?」


 驚いたアランは直ぐに組んだ手を解くが、女はこちらに近づいてきている。心臓の鼓動が一気に早まる。逃げるべきか判断を下す前に、女は既に目の前にいた。


「女性の素顔を覗くなんて、キミ、そんな事してたらモテないよ」


 近づいて来た女はブルーの瞳を薄く細めてアランを見上げる。


 その口調や目元は知り合いの妖精にそっくりだ。というか、先ほど、指で作った窓から見えたのは、マゼンタの瞳に白銀の髪の女性。この女が妖精なのは間違いない。

 

 年齢はアランと同じくらいだろうか。恐らく後で思い返してもどんな顔だったかも思い出せないような、正直に言って地味な印象の女だったが、ふと彼女の耳の赤い石のピアスに、アランは妙な既視感を覚えた。


「おまっ! 妖精ルルシュカか?!」

「キミ、絶っっっっ対にモテないでしょ。声の掛け方0点だよ。裏表のない優しい処女の美人を捕まえるのは夢のまた夢かもね」


 ルルシュカはアランにいつも通りの軽蔑の眼差しを向けた。


「なんで知って?!」


 その願いは誰にも言った事はない。アランは腕で顔の下半分を隠すが、珍しく耳まで真っ赤に染まっている。

 

 夜遊びが大好きだったジャック。

 よく病気を貰って来ては、高額な薬代に稼ぎが消えていたのを側で見ていたアランは、娼婦は危険だと学んでいた。勿論全員ではないだろうが……。


 それを鑑みると、一般女性でも股が緩いヤツは病気の確率が上がると忌諱していたのだ。

 それが原因とは本人は思ってないが、アランは未だに女性経験がない。

 

「企業秘密だよ。……しかし、まさかキミが真実を暴く窓イルシオンヴェルダートを知ってるなんてね」


 起原不明で民間伝承で故郷に伝わっている狼の窓は、昔は『良くないモノ』を見分け防衛の為に伝承されていたというが、今では子供の指遊びとして伝わってたのを、アランは無意識に思い出して実践していたのだった。


「イル……なんて? さっきの〈狼の指窓〉の事か?」

 

 アランのその言葉に、「何その変な名前」と、ルルシュカは怪訝そうな表情を浮かべた。


「それにしても、ちゃんと仲良くしてるみたいだね」

 

 後方で商品を見ているグレアムを顎で指すルルシュカに、「金の為だからな」とアランは不満気に返した。 

 

「で、なんでこんな所いるんだよ?」

「どこにいたって私の自由でしょ。キミこそ何でここにいるのかとか、なんで私って分かったのかとか色々聞きたいけど、残念な事にキミに割く時間はないんだ。という事で、さようなら」

「あ! 待てって! 俺も付いてく!」


 通り過ぎようと足を進めたルルシュカの腕を慌てて取ると、不機嫌そうに顔を歪めて振り返った。


「なに?」

「なんだよ? 俺が着いてくと不都合でもあんのか?」


 ルルシュカが何をしにここにいるのか、アランは興味しかなかったが、ルルシュカは意味が分からないとあから様に顔を歪めている。

 

 考える素振りを見せたルルシュカは、「5リタだよ。いーい? 美女とのデートっていうのは、タダでは出来ないんだよ」と、手を差し出した。


「はぁ?!」


 何だが意味が違う気がするが、ぐぬぬと拳を振るわせ、「待ってろ!」とグレアムの元へ駆け戻った。


 グレアムに暫く別行動したいと相談すると、何を勘違いしたのか、グレアムはニヤニヤと笑みを浮かべて快く了承した。


 時間と待ち合わせ場所を決めると、アランは急ぎ足でルルシュカの元へ戻る。


「待たせたな」


 戻ってきたアランに、ルルシュカは無言で手を差し出す。


 アランはムッとした表情を浮かべるも、パッと手を振ると5リタ札がその手に握られる。


「わぁお! 凄いね。魔法使いみたいだ」と素直に感嘆するルルシュカに「うるせー、ただの子供騙しだ。ほらよ」と札を手渡す。

 

「どーも」


 何故かドヤ顔で見下ろしてくるアラン。

 ルルシュカは無言で歩き始め、アンティークの商店通りの端辺り、寂れた雰囲気の店に立ち寄る。


「この中に買おうと思う物があるんだけど、キミはどれだと思う?」


 ルルシュカの好みなど知る由もない。机に並ぶアンティークジュエリーを一通り眺めたアランは、小ぶりのエメラルドが付けられたピアスを指差した。

 

「これ」

「それはない」

「……好みなんて知るかよ」

 

 白い手が取ったのは指輪だった。


「キミには一生理解出来ないかもね」

 

 蜥蜴のモチーフのそれは、綺麗なジュエリーとシルバーで形取られており今尚その美しさが彩られている。


「これと……、これを貰うね」

 

 もう一つ選んだのは小ぶりのネックレス。こちらも美しい装飾が施されているのだが、縁が少し欠けている。


 ルルシュカが選んだ商品を見た店主は、嬉しそうに笑って「ああ。あんたセンスがいいな」と、皺くちゃの顔を更にくしゃくしゃにしている。


「そんなにいい品なのか?」

「まぁ、確かに装飾は欠けてるがいい品だよ。こいつは前の持ち主にたぁっぷり愛されとった。あんたの連れはいい物を分かっとる」


 ルルシュカがドヤっと笑ってみせると、アランはグレアムから教わった内容とは随分違うな……と思い返していた。


 会計を済ましたルルシュカは、同じ様に店を何店舗も周り、気に入った商品を都度購入していく。

 

 ルルシュカの選ぶ品に統一感はない様に思えたが、強いて言うなら、指輪程度の小粒で小さな物ばかりだ。


 たまに店主がルルシュカのセンスを褒めているのを見ると、自分には分からない、もしくは知らない価値があるんだろうな……と感じていた。

 

「あんたの店で売るのか?」

「まぁ……そんな感じかな」


 十店舗以上を足早に巡り、ルルシュカは二十五点程のアンティークジュエリーを購入したが、グレアムの様にアランに何かを教えたりする事は特になかった。

 

 たまに気まぐれのように「どれがいいと思う?」と質問してアランが選んだジュエリーに「それはない」とダメ出しを繰り返して楽しんでいた。

 

「いいペースだ。キミ、どーせ何にも食べてないんでしょ」


 パタン。と懐中時計の蓋を閉じて、ルルシュカは珍しく気遣いを見せる。


 アランはすっかりお腹が減っていた事を思い出した。案外時間は掛からなかったようでグレアムの待ち合わせまでにはまだ時間がある。

 

「少し行った所にカフェがあるからそこに行こうか」


 ルルシュカに連れられて、こじんまりとしたカフェへと向かう。四人席に向かい合う様に腰掛け注文を済ませる。

 

「で、どうして私がわかったの?」

「……んー匂いかな。前に月光取りに行った時に嗅いだ香りと、さっきすれ違った時の香りが同じったんだ」

「なるほど。でもあんまり嬉しくはない回答だね。じゃ、真実を暴く窓イルシオンヴェルダートは?」

「……狼の指窓か? 子供の遊びの一つだよ。階級関係なくほとんどの子供が知ってる」


 その説明に、ルルシュカは何かを言いたげにアランを見つめていたが、何か声をかける事はなかった。

 

(そういえば……)


 この遊びに付随する言葉が、なんとなくルルシュカに教わるお呪いに似ている事に気がつく。


「あんたも知ってるって事は、おまじないの種類の一つなのか?」

「そうだね。元々は魔法だったものを、魔術師が応用して作り替えたものだよ」


 お呪いにも当然魔力が必要になるが、この世界に魔法はない。

 アランはその矛盾に違和感を感じたが、この狼窓の事は童話か何かで伝わったのだろうと解釈した。

 

「俺が成功したのは、この指輪のお陰って事か」


 アランに貸しているシンプルな指輪。そこに埋められた石はキラキラと輝きを放っている。


 ルルシュカは頬杖をついてアランの言葉に適当な相槌を返した。


「なぁ、今日買ったジュエリーはどうなんの?」


 丁度質問を投げたタイミングで届いた軽食に、アランは遅くなった食事を始める。


「そのうちわかるよ。因みに言うとキミのそのピアスも、とても価値があるものだ」


 ルルシュカはアランの左耳にある、何の変哲もないシルバーのピアスを指差した。


「……これが?」


 いつ、誰に貰ったかも覚えてないが、幼い頃からずっと肌身離さず身に付けていたピアス。

 何かも忘れたが、モチーフの細工が施されただけの宝石もついていない変哲もないものだ。


 因みにポケットにある青灰色あおはいろのピアスも、いつからどうして持っているのかは覚えていない。


「この国での価値はあまり無いかもしれないけど、うちの店でなら良い品と物物交換出来る位の価値がある。今日買ったジュエリーも一緒だよ」


 流石は妖精。といった所なのだろうか。


 人間とは違う感性というか、価値基準にアランは付いていけなかったが、先程の店で『こいつは前の持ち主にたぁっぷり愛されとったよ』と言った店主の言葉が頭に思い起こされた。


「もしかして、大切にされていたモノに価値があるのか?」

「まさかキミがそれに気づくなんて……」

「俺の事バカにし過ぎだろ」


 またもやジト目でこちらを見るアランに、ルルシュカは「そうでもないよ」と笑いながらパタパタと上下に手を振った。


「そういや、あんたの友達にいくつか追加で情報をお願いしたいんだけと」

「シルフに?なら直接交渉したらどう?」

「直接?」


 ふわりと風が吹く。


「はぁい。呼んだ?」

「なんでいるんだよ。……もしかして」

「まさか。そこまで暇じゃないわよ。でもアルっちは今のところお気に入りよ」

「……前もだけど、変なあだ名つけんなよな」

 

 蜂蜜酒の販売以降もシルフがついて来ているのではと、アランは風が吹く度にシルフの事を思い出していた。


 ルルシュカの隣に座るシルフは今日も上機嫌だ。


「それで、どんな情報が欲しいの?」


 アランはそれからいくつかシルフに欲しい情報の内容を伝えた。


「お安いご用だけど、私はルルみたいに守銭奴じゃないから、お礼はルルからもらうわ」

「……守銭奴って言い方は辞めてよ。何かするのに、相手から何も貰わないのは施しと一緒だからね。私はこう見えても商人なの。なら、私はキミから対価を貰うとしようか」

「……」

 

 タダじゃないだろうとは思っていたが……。


 リチャード、ひいてはリチャードのいるギャング団を壊滅させるにはシルフの協力を仰いだ方が圧倒的に効率がいい。

 これも必要経費だとアランは割り切ったが、シルフから思ってもない提案が出された。


「それか、アルっちが計画当日に女装してくれるなら、当日も近くで情報提供してあげるし、今回の追加情報も含めてあげるけど、どうかしら?」

「シルフ、そんなに気に入ってるの?」

「ルルは知らないだろうけど。もう、すぅっごい可愛いのよ!」

「……女装すりゃいんだな。ならそれでいいよ」

 

 シルフは大喜びすると「じぁねー」と姿を消した。


 あと六日後にはリチャード達は銀行強盗を実行する。アランはとうしてでもこの機会を逃したくはなかった。


 

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