世間を賑わす亡霊
――約二ヶ月前
『貴族のカントリーハウスに押し入り。白昼堂々の犯行に警察は辟易。またもや
新聞のトップの一面を飾った事件の見出し。
この亡霊と呼ばれる人物の事件は三年前に始まり紙面を賑わせると、ここ半年はパタリと見なくなっていた。
あまりの目撃情報の少なさからメディアが面白おかしくあだ名を付けると、瞬く間に浸透していき各地にファンが現れ始め、人物像や、犯行手口等の考察が頻繁になされている。
サミュエルには申し訳ないが、半年振りの犯行にファンは歓喜した。その内の一人がヘイス家のエレノアだ。
「またこの記事読んでるの?」
「ええ。だってこれが最後の犯行なんだもの」
確かに自身もファントムのファンではあるがエレノア程ではない。
呆れ顔のグレアムは、双子の妹から新聞を取り上げた。
――グンゼ領を納めるサミュエル伯爵閣下のカントリーハウスに、若い男が銃とペイント弾を持ち屋敷に侵入した。
犯人の男は居合わせた執事を人質兼案内役とし、屋敷内にあったサミュエル伯爵閣下のコレクションを、ナイフとペイント弾を使ってあっという間に一つ残らず台無しにしていった。
最後に馬小屋に繋がれていたサミュエル伯爵閣下の愛馬に跨り、颯爽とその場を後にする。
この事件での怪我人はおらず、事件当日に屋敷に居た従業員は皆口を揃えて『犯人の顔や特徴を何も覚えて無い』と証言しており、未だ犯人は逃走中だ。――
すっかり忘れ去っていた事件の内容を読み返すと「ファントムはサミュエル伯爵閣下の親しい人間で、強い恨みを抱いていたのでは」と、グレアムは記者の意見を読み上げた。
「どうなの?エレノア。実際サミュエルには恨まれる心当たりがあったって?」
「サミュエルの屋敷にも
エレノアには、各地で情報を売ってくれる協力者の
因みにコーヒーハウスの経営も、ヘイス家が行う事業の一つだ。
「なにそれ。ハッキリしないね」
「なんでも、解雇の理由は、サミュエルの長女をたぶらかして捨てたって噂よ」
「……はは!それは大変だ。なるほど。それならハッキリしないのも頷ける」
領地は違うがサミュエルの一族とは面識がある。長女の人柄も、サミュエルの娘バカな性格も。双子は概ね理解していた。
あそこの長女を口説くヤツは、金目当てだしとてもいない。
「その元従業員はリュカっていうんだけど、興味深い事に、紫の瞳をしていたんですって」
各地から集めた情報から、ファントムが現れた日を含めた前後のどこかで、珍しい紫の瞳の麗しい男性、または女性の姿の目撃情報が上がっていたのが分かっており、グレアムもその情報はエレノアから聞き把握している。
『なんでもいいから当時の事で覚えている事が有れば教えて欲しい』という聞き込みに、その人物の事を口にした殆どの情報提供者は、『忘れられない位のいい男(女)だったから覚えている』と話したという。
「紫の瞳。誰も覚えてない容姿。確かに興味深いね」
乾いたノック音が数回部屋の中に転がり込んだ。
「エレノア様、ドロシーです。今宜しいでしょうか?」
「ええ」
返事を返すと、侍女のドロシーと同時、に開いていた窓から風が入り込み机上の書類をいくつか飛ばした。
「!――申し訳ございません!」
ドロシーは腰を折り頭下げると、素早く飛び散った書類を拾い集めて机へ戻す。
チラと、エレノアは窓の外の庭を見る。
新緑の葉の木々は、特に風に揺らされている様子はない。窓を閉める程では無さそうだ。
「ありがとう。それで、どうしたの? ドロシー」
エレノアの問いかけに、ドロシーは持って来た資料をチラと見遣ると本題を伝える。
「失礼致しました。エレノア様、ジェラルド卿の屋敷で奇妙な事件が起こったとの報告が
「ジェラルドの屋敷で?」
ドロシーは「ええ」と頷いて肯定を促す。
「確か嫁入り前の娘が酷い怪我をしたって噂があったよね、あそこの家」
「はい。なんでも突然、リュカと名乗る商人がジェラルド卿の屋敷を尋ね、持って来た酒のような物で、イザベラ嬢の火傷を傷跡一つ残さず綺麗に治したそうです。その後男は報酬を受け取ると……」
手に持っていた報告書らしい書面を端的に読み上げるドロシーは、次の言葉に詰まった。
「「受け取ると?」」
その先を食い気味で促す双子。だが、ドロシーは少し困惑した様子を見せる。
「その場から……煙の様に姿を消して、いなくなったそうです……」
「「姿を消した!?」」
「こちらがその報告書です」
差し出された報告書には、美しい花嫁姿のイザベラの写真が添えられていた。
「なんだか最後に見た時よりも、何割増しか綺麗になってる気がするんだけど……。これ本人だよね?」
「街でもその様に感じらる方が多いようで、噂になっております」
報告書には事細かに当時の出来事が書かれており、ドロシーの話した通り『リュカは
「彼女はそのリュカの顔や出で立ちを覚えてる?」
「それが……覚えていないと……」
ファントムと同様に、リュカの顔を屋敷の誰も覚えいないのはどういう事か。
だが、間違いなくリュカは紫の瞳で、目立つ容姿をしている。別の報告書にはそうあるのだ。
(同名の別人? まぁ……なくは無いでしょうけど)
「もの凄く変な事件だ。重度の火傷跡も、刺したナイフの傷も、リュカって奴も、綺麗さっぱり消えて無くなってるなんて」
「それに、どうして急に商人なのかしら? 仕事をクビになったから?」
「そもそもなんで、リュカはジェラルドの元へ行ったんだろう?」
双子はドロシーがいる事も忘れて、怪しげな商人のリュカの話題で盛り上がっていく。
暫くすれば、アフタヌーンティーの時間だ。準備をしようと、ドロシーはヒートアップしていく双子を横目にそっと部屋を抜け出した。
――――
「ねぇ、もしリュカがファントムやその関係者だったら、お母様の事を相談したいんだど……。どうかしら」
準備を終えたドロシーが部屋の前に到着すると、扉越しにはエレノアの声。
夢中になると周りが見えなくなる双子には慣れているが、夢中になり過ぎるが故に止まらなくなるエレノアに、ドロシーは一人頭を抱えていた。
腰まで伸びる手入れの行き届いブロンドの髪に、透き通ったサファイアの瞳と愛らしい顔立ちをしたお嬢様。それがドロシーの仕える主人だ。
性格のせいか、両親がのんびりしている事も手伝ってか、貴族社会での彼女は既に行き遅れのレッテルを貼られている。
近年では貴族も事業を興すし、独身を貫く者もじわじわと数を増やしてきてはいる。時代の変化と言われればそうなのだろうが、エレノアには幸せな結婚をして貰いたいと願って止まない。
深くため息を吐いたドロシーは、控えめに扉をノックし忍足で入室した。
「どうって、まぁ……話してみるのは別にいいと思うけど。そもそも治せるかな?」
「ナイフの傷も治せるし、その場から消えちゃうのよ? 元々人じゃないのかも。だからきっと出来るわよ」
話題はどうやら先程の報告書にあったリュカについて続いているようだ。彼は――彼女かもしれない――は既にエレノアの中では人間ではなくなっていた。
小説の話の様な奇妙な報告書の内容が真実ならば、確かに治せそうな気さえしてくるのは分かるが。
ドロシーは、双子が資料を広げる机とは反対側にあるテーブルセットに向かうと、真っ白なクロスを机に掛け準備を始める。
双子はやはりというか……ドロシーが入室した事に気がついていない。
「でも急に目が治ったらどうしようね。多くはないけど、知ってる人はびっくりするよな」
「まぁ、それは確かにそうよね」
今の医療技術では、到底先天的疾患を治す術など無い。
(世間的に考えれば、宗教の信仰が厚く……なんて理由なら受け入れられそうだけど、悪魔信仰って言われてもおかしくない紙一重の奇跡よね……)
ドロシーは双子の会話に心の中で参加しながら、クロスの皺を伸ばすと、色とりどりのケーキにサンドイッチが並ぶケーキスタンドをそっと置く。
「リュカの取引は自然と高額な取引になるから、ターゲットは勿論貴族や上流階級になるよね。我が家に来る可能性もあるかな?」
「見合う商品があれば、かしら?」
エレノアの興味のお陰か、ファントム関連の情報は頭に入っている。
もしファントムやリュカなる商人がこの屋敷に訪れた際には、お目にかかれるだろうか?
そうしたら、『どんな人物だったか、全く覚えていない』と言う事だけは避けなければ。
ポットからカップへお湯を注ぎながら、ドロシーは来るかも分からない相手を想像して、エレノアの為にもと一人奮起していた。
「なら、僕達から提案する方が都合もいいし早くない?……報酬は……そうだ! 複数ある会社の権利を一部譲渡するのはどう?」
閃いた!と言わんばかりのグレアムの提案に、ドロシーは驚きに思わず声が漏れそうになり、慌てて口を押さえる。凄い早さで双子を振り返った。
(それは凄い報酬だわ! 確かにリュカの神技ともなれば、それ位の報酬でも見合うかどうか……)
「リュカとファントムが同一人物。もしくは仲間だったとして、何かしらの理由で定職に就けない。または、定職に就く気がない。このどちらかだと思うんだ」
(グレアムお坊ちゃま。追加で、定職には付いているが年収が恐ろしく低い。というのも入れて頂けないでしょうか……)
親が上流階級だったお陰で、ドロシーは貴族の爵位持ちの家に仕事で来られている。これが労働階級であれば、年収は四分の一かそれ以下になる。
生活や家族構成にもよるが、生活は想像以上に困窮するだろう。
「会社の権利……。確かにそうね! それって凄く魅力的だと思うわ! しかも、それならもうファントムは犯罪に手を染めなくてもいいかもしれないわね。そうしたら友人になれるかしら?」
賛同するエレノアの声音も弾む。
(お嬢様……お友達には、なれないんじゃないでしょうか)
会話に参加したい気持ちを抑え込みながら、ポットに茶葉を投入しお湯を注ぎ入れる。砂時計をひっくり返し、皿やカトラリーを綺麗に並べながら茶葉が蒸されるのを待った。
ヘイス家は由緒ある貴族の家系だ。亡霊は世間にファンも多いが、犯罪者である事は間違いない。
どう考えても釣り合いは取れないし、仲良くなるべきではないと、ドロシーは内心世間知らずな主人にハラハラとする。
「彼等が、僕達では想像もつかない程のクズの悪党じゃなきゃいいけど」
「人を傷付けたって話は今のところないけど……流石にそこまでは分からないものね。会えたらその時考えましょ!」
時計の砂が落ち切った。
温まったカップのお湯を捨てると、二人分のお茶を注ぎ入れる。
「絶対に一人では行かないでね」
「大丈夫よ。その時は誰か連れて行くわ」
行く時は自分もご一緒させて貰いたいものだ。ドロシーは戦えはしないが、エレノアが心配で仕方ない。頑張れば盾の代わり位にはなれるだろうか。
「エレノア様、グレアム様、アフタヌーンティーの用意が出来ましたよ」
呼びかけの声に、双子は素早く振り向くと目を丸くしたが、すぐに資料を手放すと席を立ってくれた。
やはりこちらには気づいていなかったらしい。
「ありがとう。ねぇ、ドロシー。この日の前後で紫の瞳の人物が目撃されてないかを調べてちょうだい。それと、その人物が今どこにいるのかも」
「承知しました」
恭しく腰を曲げると、ドロシーは準備に使ったものを手早く片付け退室した。
「じゃあこの話は終わり。次は明日のガーデンパーティーの話ね」
「はいはい」
部屋からは双子の楽しそうな声が、絶えず漏れ聞こえてくる。
目的の人物が見つかる事を祈りながら、ドロシーはリュカが現れたというルーナス領内にいる顔の広い協力者に一番初めに声を掛けたが、ドロシーの努力が水の泡になる事を、まだこの時の彼女は知らない。
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