初めての素材集め


 店仕舞いを済ませたルルシュカは、見覚えのある革の巾着袋を手に庭に出た。その後ろを着いて歩くアランの表情は険しい。


 初めはあまり関わりたくない存在だったが、今ではすっかり絆されている気がするし、なによりこの妖精が普段何をやっているのかには興味がある。


 ルルシュカは迷わず庭の井戸へと向かうと、「良いって言うまで私語禁止ね」と井戸枠の石積みに登ったかと思えば、そのまま井戸に落ちていった。

 驚きに井戸を覗くと「早く!」と声が響き、アランの体が浮くと井戸に放り込まれる。


 驚く暇もなく、ふわりと足が地面に着いた先は薄暗い。暗闇の中にボンヤリとランプが灯り、一枚のドアが上から照らされ、その隣にはルルシュカが待っていた。

 周りは黒に塗り潰されてドアの周り以外は何も見えなかった。


 開けられたドアの先には桟橋が真っ直ぐに伸び、先端には船が停められている。

 一面に広がる湖は、それ自体が光を放っていた。

 

 空には月も星もなく、闇が湖との境界線を隙間なく塗り潰す。木で組まれた桟橋は歩く度にギシギシと音を立てるが、振り返ったルルシュカが口に人差し指を当てて『静かに』とジェスチャーで伝える。

 

(いや無理だろ)


 心の中でツッコむも、なんとなく気をつけて歩く。繋がれている一艘の小舟にルルシュカが乗り込むと、対面に座るようにと指を差す。

 本当に全く話さないルルシュカに、黙って乗り込んだ。


 最大でも三人しか乗れない程の小舟にパドルはなく、ルルシュカが指を振るとゆっくりと湖の中央へと進んで行く。


 船から覗き込んだ湖は少し眩しく、湖底も小魚の影も何も見えない。ちゃぷちゃぷと水が船に当たっては返っていく。

 しばらく進めば、湖の色が碧色から白金へと変わり、周りが白金の色にすっかり変わると船が停まる。

 

 革の巾着袋から出てきたのは、陶器で出来た水瓶二つと、両手で抱え込まないと持てない程の大きなガラスの瓶三つ。ルルシュカが船から身を乗り出し白金の水を救うと、白乳色へと色を変える。

 ガラス瓶にそれを注ぎ込めば、月光色の澄んだ液体に変わりガラス瓶の底に溜まった。

 

 少しトロミのついた月の光は、チカチカと光を放ち、たまにパチっと光が弾けると、ガラスの壁に当たって消える。

 

 無言で差し出された水瓶を手に、アランは同じ様に身を乗り出し水瓶を沈めると、汲み取った液体を瓶へと移す。「そうそう」というように無言で頷くルルシュカ。


 地味にキツい体制と、案外なのか、見た目通りと言うべきか、月の光は重い。結構アナログなんだな、とアランが額に浮かぶ汗を腕で拭う。

 その後ろで、同じように作業するルルシュカを振り返り見ると、妖精は得意の魔法で瓶を動かして楽々水を汲み上げていた。


「……」


 思わず持っていた瓶を振り上げたアランだったが、額を押される感覚にバランスを崩しそうになる。

 チラとこちらを振り返ったルルシュカは、「サボらない」と口パクでアランに伝えて、作業に戻る。


 しばらく黒いローブの背中を見つめたが、アランは短く息を吐いて、のろのろと作業を再開した。


 最後の一杯を組み終えると、ルルシュカは荷物を全て片付け、巾着袋に全て仕舞い切ると、指が鳴り革の巾着袋も姿を消した。


(……?)

 

 アランは船の下の光が消えた事に気づく。そっと船の外を見れば、大きな黒い影。

 とてつもない巨大な何かが船下にいる。


 慌ててルルシュカの腕を掴み、下!と指を差すアランに、ルルシュカは狼狽える事なく「来たね」と嬉しそうだ。


 急に距離を詰めて来たルルシュカは、アランの耳元で「もう声を出してもいいよ」と、小さな声。

 ふわり、春雨の日に香り立つ花の匂いがした。


 いつのまにか消えた影に、(危機は去ったのか?)とキョロキョロするアランの首根っこを掴んだルルシュカ。


「舌を噛まないよーにね」

 

 そのまま上空へと急上昇して舞い上がれば、湖からは大きな水飛沫が上がり、何かが飛び出した。


 船が音を立てて大破する。


「なぁぁあああああああ――――っ?!」

 

 アラン達を追う様に、湖から飛び出して来たそれは真っ直ぐに空を登る。全身が顕になり、ある程度の高度まで上がると、大きく開かれた鋭い歯が並ぶ口がアランの足先すぐをバクンッ!と喰らった。


 数十メートルは裕に超える程の巨大な龍は、失速すると力なく落ちてその巨体を水面に叩き付ける。

 衝撃で剥がれた鱗がキラキラと光を反射して、大きく上がる水飛沫と共に散っていく。

 湖底へと潜る龍の影は徐々に小さくなっていった。


 アランは舞い上がった水飛沫でびしょ濡れになっていた。

 

「おい! なんだよあれ!?」

「この湖の主だよ」

 

 わーわーとキレ散らかすアランを無視して、ルルシュカは水面へと降りて行く。


「おい! なんで降りるんだよ!? 辞めろ!」

「あと三回同じ事をするよ」

「はぁ!? ふざっけんな!」


 訳が分からないと叫ぶアランに「大真面目だよ」とルルシュカは変わらず笑っている。


 宣言通りに同じ事を繰り返した後、ようやくびしょ濡れになっていた桟橋に降ろされると、力なく大の字で仰向けに横たわっていた。

 その間、ルルシュカはせっせと湖に浮かぶ鱗を桟橋から魔法で回収している。

 

 ぐったりと閉じられていた瞳に影が落ち、うすら目を開けば、湖の光で煌めくマゼンタが見えた。


「だらしないな。キミまだまだ若人でしょー」

「うるせー。若者を労われクソババ妖精」

「まだ楽しみ足りないみたいだね」

「おい! 辞めろ!」


 大慌てで起き上がるアランに、お腹を抑えて笑う妖精。

 アランはいつか必ずルルシュカに嫌がらしてやる。と心に誓うが、相手はやり手の妖精だ。きっとその日は来ないだろう。


 ドアを通ると、ルルシュカの店に戻って来た。帰りは違うルートらしい。


 どっと疲れた……。


「労働の後は美味しいご飯だね。どーせまだでしょ。ご馳走様してあげるからおいで」


 窓からはぼんやりと街の灯りが見える。懐中時計を開くと、アランが初めにルルシュカの店を訪れた時間から十分程度しか経っていなかった。


 中庭に出ると先程までなかったテーブルセットと、豪華な晩餐が用意されている。沢山の蝋燭も机に並び、ナイトピクニックの雰囲気を演出している。


「すげー料理」

「好きなものがあるといいね」


 向き合って座り食事が始まる。鳥の丸焼きやローストビーフ、キッシュにマッシュポテト。タルトやプリンなど様々な料理が並び、目移りしてしまう程にどれもかれも美味しそうだ。


「なぁ、さっきのが月の光?」

「そうだよ。普段はあんなに取らないんだけど、今回は大量の発注があってね」


 月の光を取る日が来るなんて夢にも思っていなかったアランは、なんとも言い難い気分を感じていた。

 空を見上げればそこには月がある。


「湖に居たのは虹龍って言ってね。もう随分と歳なんだ。年老いた龍は新陳代謝も上手く行かなくなってるし、あの龍はもう自分が何なのかも忘れてる。満月の夜に月光を採取するついでに、たまにああやって古い鱗を剥がす手伝いをしているんだよ。その代わりにその鱗を貰うっていう約束を若い時に交わしててね」


 自分はその餌代わりにさせられたのかと、アランは気が遠くなったが、空を飛ぶなどもう一生ないかもしれない。龍に出会う事もだが。

 

 虹龍の鱗はお守りや結界に使われる。他にも様々な薬のベースや、防具にも使用される貴重な材料なのだと話すその姿は無邪気な子供のようだ。


「好きなんだな」

「普通だよ。妖精はね、基本やる事がないんだ。だから人間に悪戯したり、手伝ってみたり。私は特にやりたい事もなかったから、自分が出来そうな事を選んだだけ」


 妖精は碌な事をしない話ばかりが童話では残っている。実際にいた訳ではないだろうが。と、アランは国に残る数多の妖精に関する童話を思い返していた。


「それでも、すげー楽しそうに見える」


 ポイっと、ローストビーフを口に放り込んだアランに、ルルシュカはガブリとチキンに噛み付く。

 

「そう?ほれはひらなかったはそれは知らなかったな


 もぐもぐと動く口元にはソースが着いている。ルルシュカはナプキンで綺麗に拭うと、突然立ち上がった。

 

「私バーベキューってヤツをやってみたかったの忘れてた!」

「ばーべ……なんて?」

「キミの世界のどこかの国で今流行ってるんだって、最近聞いたんだ。せっかくだからバーベキューにしよう」


 いつも通りに鳴らされた指の音で、テーブルセットが焚き火に変わる。

 石が積まれたその上には、鉄で出来た網が置かれ、串に刺さった食材が網の上に並べられた。椅子も布と骨組みで出来たものに変わり、背の低いテーブルが椅子の隣にセットされている。


「これがばーべきゅー?」

「きっとね」


 今度は二人で火を囲むと、美味しそうに焼かれていく食材をしばらく眺めていた。


「どうやって取んだよ」

「……」


 残念ながらルルシュカはトングを知らなかった。仕方なく人差し指を振り、お互いの皿に取り分ける。

 グラスの中身もワインからビールに変わり、二人は初めてのバーベキューを堪能し始めた。


 時折、木の燃えるパチパチという音に混じり、遠吠えが聞こえてくる。

 熱々の串焼きに齧り付きながら、ふと、アランはずっと気になっていた事を投げかけてみる事にした。

 

「なぁ、俺が助けた黒馬いただろ」

「うん?」


 不思議そうにアランへと顔を向けるその口元には、ソースが付いている。

 

「あいつの他にも、俺の住んでる世界に妖精っているのか?」

「さぁね。昔は多かったけど、今は基本用事がない限りは居ないんじゃないかな。どうだろうね」


 魔法のない世界にも、妖精にとって魅力的な国や地域は勿論ある。

 

 アランの暮らすアルウェウス国は、一部が海に面しており、春と夏の二季がある。春の時期が一年の大半を占めており、普段は少し肌寒いくらいだが、短い夏季の間はグッと気温が上がる。

 

 南と西には妖精達に人気のビーチがあり、以前はバカンス先としてよく利用されていた。

 訪れた妖精達が羽目を外して遊んだ結果、魔法のない世界で、妖精に関する様々な逸話が童話として残されてしまうという事態が起きてしまったのだ。


 それを機に、数百年前からバカンスとしての訪問が禁止さてれいる事でも妖精達の中では有名となった国なのだ。

 

「じゃ、なんであの馬はいたんだよ」

「私たちは移動する時、妖精の小道っていう所を通る事があるんだ。そこは天気も道も、景色も時間も全てがあやふやでね。たまに、時空の穴がに落ちたり、変な道に迷い込んだりしちゃうと、予想だにしなかった場所へ出る事があるんだよ」


 アランが助けた妖精も、その小道を使い運悪く穴にはまり、アルウェウスに落とされたのだと続けるルルシュカは、何やらごそごそと作業をしている。


「甘いもの食べれる?」

「……食えるけど」


 手渡されたのは少し長い串に刺さったマシュマロ。網の取り払われた焚き火に、ルルシュカがマシュマロを近づける。

 指を差すルルシュカにならい、アランもマシュマロを近づけた。


「俺何やらされてんの?」

「これが美味しいんだって。焦げるから気をつけて」


 くるくると回るマシュマロを一生懸命に見つめる妖精に、アランは段々と可笑しくなって口元がニヤけていく。クソみたいな妖精も、この姿ならまだ可愛げがあるものだ。


「焦げてるよ」


 指摘され、マシュマロを少し回す。

 

「もう食べられんの?」

「でしょ」


 二人で熱々のマシュマロを、ふーふーと息を吹きかけて冷まし慎重に齧り付く。マシュマロの中はとろとろに蕩け、糸を引きながら口から離れていく。


「……うまい」

「おいひいね」


 満月の夜。空には満点の星が浮かび、焚き火で熱された額には汗が浮かぶ。美味い酒と飯を一緒に囲むのかが……妖精ではあるが、アランは久しぶりに誰かと過ごす夜を楽しいと感じていた。


 強めの風が吹き、髪と炎を揺らせば「ちょっとルル!なんでバーベキューしてるのよ!?」と、突如女性が姿を現した。

 ルルシュカに向かって苦言を呈しているのは、風の妖精シルフだ。


「シルフ! おかえりなさい」

「おかえなさい。じゃないわよ! なんで私を差し置いてバーベキューやってんのかって聞いてるのよ! 教えたの私じゃない!」


 ガグガクと前後に強く揺らされるルルシュは、乾いた笑い声をあげているが、揺らしているシルフは般若の顔をしている。

 突然のシルフの登場に、アランは呆然と二人のやり取りを見ていた。

 

「そう怒らないでよ。やりたかったんだもん。明日また一緒にやればいいでしょ。それよりも、どうだった?」

「絶対だからね! ちゃんと掴んできたわよ。可愛い魔術師君の為にね」

「ありがとう。紹介するよ、彼女はシルフ。私の友人。噂好きの妖精は彼女の事ね」


 そう紹介されたのは、淡い薄緑の長い髪が緩い波を描く、お姉さん系のシュッとした顔立ちをした女性だった。

 ルルシュカの強烈な瞳の色とは違い、透き通るエメラルドグリーンの瞳はぱっちりとしている。


「はじめまして、ではないんだけど。シルフよ。私今のあなたもまぁまぁ好みだけど、女装した時の方がもっと好きだわ」


 美しいものも大好きなシルフは、うっとりと赤らんだ頬に手を添えて、ジェラルド邸訪問の準備で女装したアランの様子を思い出している。

 

「……なんで知ってんだよ」


 流石にここは看過できない。アランは鋭い視線でルルシュカを横目に見る。

 

「シルフにはキミの行動を貰っていたからね。そんなに美人だったなら、私も見に行けばよかったな」

「おい、誤魔化すなよ。監視してたって事だよな?」

 

 茶化すルルシュカに、自然と低い声が出る。

  

「まさか。キミにそこまでの興味も執着もないない。蜂蜜酒ミードの行方を見てたんだよ。目的と違う使われ方をされると困るからね」


 アランが素直に言う事を聞くかどうか賭けだったルルシュカは、シルフに頼んで動向を見てもらっていた。

 結果的に蜂蜜酒はルルシュカの思惑通りにイザベラが飲んだ為、シルフの密偵は終わったはずだった。

 

「そうよー。ルルシュカはね、とぉっても真面目な面倒臭がりだから、問題が起きるのは避けたかったのよ。まぁ、その後もアルっちに着いていったのは、私が個人的に興味があったからよ」


 「真面目な面倒臭がりってどんな?」と、ルルシュカがシルフに聞き、それに答えるシルフ。キャッキャッと楽しそうな二人に、アランは改めて今関わっているのは碌でもない妖精だったと思い直していた。


「って、そうそう。これを渡しに来たのよ」


 出て来た書面はルルシュカではなくアランに差し出される。

 

「え? 俺?」


 紙を受け取れば、そこにはリチャードが居るギャング団が立てた銀行強盗の詳細が、三枚に渡り記載されている。イザベラが嫁入りした件の反応もしっかりと記載されていた。ざまーみろ、だ。


「敵討なんてロマンよねぇ。最近は滅多にないし。私応援してるのよ!」

「ロマンではないでしょ。確かに手伝うのは久しぶりだけど。戦争も随分と減ったしね」


 何やら物騒な話をする妖精を無視して、アランはその内容の精密さに唖然としていた。


「風の妖精って、マジでスゲーんだな……」

「シルフは、隙間さえあれば何処でも自由自在に行き来ができるからね」

「コソコソ話しを聞くのって楽しいのよ!」


 ふふふ。と上品に笑うシルフたが、言っている事は結構ゲスい。

 シルフはルルシュカが焼いたマシュマロを受け取ると、顔を綻ばせてふぅふぅ息を掛けている。


「そうそう。それと合わせて、今後の事を伝えておくね」

「金の方の件だよな? 今度は何するんだよ?」

「簡単だよ。キミがリュカ。ひいては世間を賑わす亡霊ファントムだって教えてあげれば良いんだ」

「……誰に?」

「キミが時計を、グレアムとエレノアの双子だよ」


 ルルシュカから出たのは、思いもよらない話だった。


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