愛娘の利き手
ダリルとの約束の期限まであと四日。
深夜二時、
何人かのブローカーや、関係者がウロウロと忙しそうに行き来を繰り返す。
倉庫に入る際に、アランは胸の前で十字を切った。
死者に会う時は必ず切る様にと生前ジャックに教わっていたが、全くもってジャックは何かの宗教の敬虔な信者でも何でもなかった。
アランもそうだったが、気分的にはいい気がしており、死体盗掘の際にも必ず行っている。
ジョシュアを見つけたアランは、いつもより少し声音を低くして声をかけた。
「
「あんたか。待ってたぜ」
積まれているモノとは別のところに置かれた遺体がそうらしい。布の一部が解かれると、血の通わない白い肌の腕がだらりと出される。
屈強な男の手には骨切包丁。華奢な手首に細い指は要望にピッタリのもので、「どこまで欲しい?」という素直に喜べないオプションまで付いていた。
切り立てほやほやの手と金を引き換えに受け取り、仮眠を取ると、紹介してもらった
叩いた玄関から出てきたのは、ボサボサのブロンドヘアにヘーゼルの瞳の中年男性。少し目が充血しており、髭も伸びかけている。
「ポールだ。朝からすまない。ジョシュアの紹介で来たんだ」
「あー、あんたがね。ジョシュアから聞いてるよ。イアンだ。死体修復の仕事をしている。それとは別で、解体に加工、
ソファセットの置かれた部屋に案内を受ける。招かれた部屋には蓄音機があり、並ぶレコードにはイヴの名前が書かれている。
向かい合って席に座るとイアンは早速本題をアランに促した。
「それで?」
「イヴ・アーデンの事で今ちょっと動いてるんだ」
眠そうだったヘーゼルの瞳が一気に鋭くなると、イアンは肘を膝に、組んだ手に顎を乗せた。
「続けて」
「右手を遺族に返したい。協力して欲しくて、ジョシュアに頼んでイアンさんを紹介してもらったんだ」
「見つかったのか?! その話し、ジョシュアは?」
一瞬上がった声のボリュームはすぐにトーンダウンする。その言葉にアランの眉間に僅かに皺が寄せられた。
「話してない」
「だよな……。持ち主を聞いても?」
「悪いけど、言いたくない」
ここで万が一にも横槍を入れられたくないのが本音だし、初対面の相手に言える訳もない。
「……計画は?」
「普通に回収するのもと思って、代わりの右手を用意した。これをイヴの手とすり替えたい。犯人と情報と合わせて遺族に渡す。持ち主を裁くかどうかは、遺族次第だ」
アランが布で梱包された右手をテーブルに置けば、イアンはそれを手に、中を開いて確認する。
用意された右手は少し浮腫んでおり、切断面には別の布があてがわれ、少し血が滲んでいた。
「なるほど。差し替えとは面白い計画だ。言っとくが、当時の犯人グループの
イアンの言い分は理解できた。その界隈にはそこだけの独自のルールがある。
今回はただのデザイナーだが、あの部屋の様子からして無関係ではなさそうだが、それが凶と出るか吉と出るか。
どうしようかと悩んだものの、修復師に知り合いはいない。イアンがダメならこの右手の人物には申し訳ないが、計画を変えるだけだ。
邪魔され入らない様に注意すればいい。
「……マーシャ・ロス。最近名前が知れ渡ったデザイナーだ」
その名に、イアンの纏う雰囲気が変わった。
「ポール。その情報には不足がある」
影を落とすヘーゼルの瞳。なかなか次の言葉が続かないイアンだが、アランは黙って続きを待った。
「マーシャ・ロス。あれは俺らの業界では有名な作家だ。それも超が付くほどクソの、な」
予想外というべきか、予想通りというべきか。表情を変えないアランとは逆に、イアンは心底楽しそうに悪い笑みを浮かべる。
「個人的に恨みがあるんだ。喜んで依頼を受けるよ。イヴと俺の為だ、報酬は要らん。だが、この話しが一つでも嘘だった時は、覚悟しておくんだな」
「分かった。留めておくよ」
それから、アランは部屋で見た、趣味の悪い
イアンは要望通りに下準備から丁寧に作業を始めて、手を希望の形に整えると、仕上げた右手に追加で親指の付け根に墨を入れた。
「こんな感じか?」
「すげー。こんな感じだったと思う」
ニヒルに笑うイアンに、同調するようにアランもニヤリと笑った。
「交換の際に、シルバーの細い指輪があったら一緒に持ってきてくれ」
「指輪? 分かった。見てみる」
一旦スクロールでヘイスにある宿まで戻ってもう一度仮眠を取った。スクロールを使う度に、なんて便利な紙切れなんだと凄さを実感していた。
昼過ぎ、蝶の案内で再度マーシャの家を訪れる。はずだったが、ドアの先は前回の部屋ではなく、どこかまた違う部屋に繋がっていた。
薄暗い部屋人の気配は感じられない。なんとも言えない臭いが鼻をつく。薬品と、少しの腐敗臭、それと血の臭いも混じっていそうだ。
明かり取りの窓がポツポツと天井近くに並び、どうにか明かりがなくても室内を歩ける、ギリギリの明るさがあった。
慎重に足を踏み入れ蝶の後を追っていく。保管場所を変えるとは、やはり先日の件で警戒されている証拠だ。
向かい合う様に並ぶ棚が何列か配置された部屋は、保管庫の様に使われているらしい。
蝶は少し進んだ先にあった、シンプルなシルバーの指輪だけが付けられた手の指先にとまった。
指輪があるのはありがたい。少し太さが違うが、フェイクの指輪をした手と慎重に交換し、スクロールを破って再びイアンの家を訪ねる。
「指輪ってこれであってる?」
「そうそう、これ! バッチリだよ。それにしても、凄く良い状態だな」
「俺でもそう思う」
これがあのイヴの手か。と言わんばかりに、イアンはまじまじと持ち帰られた手を色々な角度から見て眺めた。
「エンバーミングを長持ちさせるにはメンテナンスが必須なんだ。ムカつくけど、マーシャの技術は一級品だ。これなら形はどうにか変えられると思う」
形を直せる。その言葉に安堵したアランに、簡単な手書きの地図が描かれたメモが渡される。
「ここにいって、これくらいの木箱をオークで作って貰ってきてくれ。ああ、シルクの布も忘れずにね。それから店を出たこの通りに花屋があるから、ここに書いてある花を沢山買って来て。その間に作業しておくけど、出来上がるのには三日必要だ。てことで、また三日後にここに来てくれ」
シッシッと追い払われたアランは、家を出ると渋々指示通りにお使いをこなしに街へ出る。
なんだか最近こんな扱いをよく受けている気がするが、気にしたら負けな気がしたアランはランチの事を考えていた。
◇◇◇
イヴの手を預けて三日後。
ダリルとの約束まであと一日となった。
イアンの元を訪れたアランは、念のため蝶を飛ばしたが、アランの不安を笑うように蝶はきちんと修復された手にとまった。
頼まれていた買い物を手渡すと、あっという間に小さな棺桶が完成する。
報酬を支払い、泊まっていた宿へとスクロールを使って戻った。
どうにか間に合わせる事は出来たが、その為に嵩んだ必要経費は相場から考えると倍以上になっており、貯めておいた手持ちは半分以下にまで減っていた。
イアンが無償で協力してくれた事は本当にありがたかった。
手元に残る金はあと僅か。アランは深いため息を吐き遠い目になったが、まだジェラルドの稼ぎはほぼまるっと手元にある。
これで家が手に入るなら安いものかと、自分を納得させた。
◇◇◇
約束の期限を迎えたアランは、待ち合わせ場所であるロバートの事務所を訪れた。
後で聞いたが、事務所の一角をダリルも使っているらしい。
「……逃げ出さずに来たか」
「ひでー言い方。大切なお嬢様をお連れ致しましたよ」
アランは紳士の礼をすると、持って来た三十センチ程の大きさの木箱を差し出した。
「それと、これが犯人だ」
提出したのは
そこにはファッションショーを成功させた、新人デザイナーのマーシャ・ロスの写真が載る。
「この女が……?」
「ああ。なんでも界隈でら有名なコレクターらしい。こいつの家や他に持ってる部屋には、似たようなのが沢山保管さてる。どうやるかは知らねーけど、通報して捜査が出来るならすぐに捕まえられるぜ」
「前回も言ったように」と、アランにはマーシャが犯人だと証明する事はもう出来ないと付け足した。
「そうか」
ダリルはそれ以上何かを言う事はなく、神妙な面持ちで机に置かれた木箱をジッと、穴が空きそうな程に見つめている。
アランを信用してもいなければ、長年探し続けた右手も、その犯人も、たった一週間で見つかるはずがない。
箱の中身は全く違う人間の手が入っているかもしれないし、ガラクタか何かかもしれない。
だが本当にこの青年が見つけていたら?
ダリルは確かめる事が怖くなり、蓋を開けられずにいた。
ロバートは給湯室で紅茶を淹れる用意をしていたが、ダリルとアランのやり取りが気になりポットにお湯を注ぐとトレーに茶器を手早く乗せ、足早に事務所へと戻って来た。
茶葉をポットに入れ砂時計をひっくり返す。誰も何も言う事はなく、ただただ無音の時間が流れていく。砂時計の砂が落ち切ると、思い出したかのように、ダリルの手が木箱に伸びた。
ロバートはカップに紅茶を淹れ分ける事も忘れて、緊張した面持ちでダリルの様子を見守っている。
蓋が音を立てて隙間を開ける。ふわりと甘いフローラルの香りが溢れ出て来る。
(マグノリアの香り……か)
ダリルは中を見る前にその香りの正体が分かった。
恐る恐る取り払われた木箱の蓋がテーブルの端に置かれる。木箱には白い美しい右手が指を揃え、手の平が上になる様丁寧に置かれており、周りを紫と白のマグノリアの花が埋め尽くしていた。
親指の付け根の母指球に小さなホクロ、それに、親指の爪の形を見たダリルはたったこれだけで、この手がイヴのものだと確信した。
人差し指に光る銀の指輪は、首都の大舞台での出演が決まった際にダリルがお祝いに贈ったものだ。まさか一緒に戻って来るなんて思ってもいなかった。
ダリルは唇を振るわせ力強く瞼を伏せた。溢れ出る涙が頬を伝い顎先へと滑り落ちていく。
どれだけこの日を待ち望んだ事か。ハンカチで目頭を押さえ涙を拭う。
どうやって見つけて来たのかは皆目検討も付かないが、ダリルはアランの細やかな気遣いが堪らなく嬉しかった。
「これで、やっと終わりに出来る」
しわ枯れた声は震えており、俯いたダリルの表情は伺い知れないが、体が小刻みに震えている事は分かる。
「本当に……ありがとう。アラン」
イヴが活躍していた頃からの付き合いのロバートは、ずっとダリルの辛い姿をすぐ近くでもどかしく見ていた事もあり、その姿に目頭を押さえていた。
一方のアランは顔を歪めると、奥歯を強く噛み締めていた。固く閉じられた瞼の裏に浮かぶのは、水から引きあげられた冷ややかな遺体。
その胸には何発もの被弾した痕が痛々しい。
幸か不幸か引き揚げが早く、その表情はきれいな寝顔にしか見えなかったが、当然その体に温もりは戻らない。
集合墓地に入る遺体は、例外なく盗掘されて売られていく。アランはジャックの遺体が収集家の変態共に渡るのだけは許せなかった。
ぱちりと開かれた紫目に感情は乗ってない。
「また来る」
アランはその場を後にした。
◇◇◇
世も更け始めた頃、アランはルルシュカの店を訪ねていた。
今回の件を簡単に報告すれば、話の途中「どうせキミは知らないだろうから教えてあげる」と、イアンが用意させたマグノリアは、生前にイヴが愛した花と香りで、オークは最高級の棺に使われる樹種だとルルシュカが補足する。
相変わらず、どうでもいい事まで知っている妖精は「紹介先の修復師が、趣味の割には良識人で助かったんじゃない?」と、ニヤニヤと顔。
「それで、キミは
「まぁな」
あの後、時間を改めたて再度事務所に訪れたアランは、ダリルが所持するアパルトマンのワンルームの中で、一番いいワンフロアの部屋を報酬として貰った。
アランは何だか嬉しそうな妖精をつまらなそうに眺めながら、この一週間の事を思い返している。
拝借したペンを返しに、マーシャの家に入ったアランは、今回掛かった必要経費をついでに貰うことにした。
部屋にあった貴金属や箪笥預金は、使った私財から考えるとむしろプラスになった。リフォームを安くサービスして貰えたお陰もあり、軍資金の半分程度は手元に残せたので結果オーライとする。
あと二週間もすれば鍵が貰える。もう宿暮らしからおさらば出来ると思うと、内心楽しみでしょうがないのは妖精には秘密だ。
「これで一つはクリアだ。あとは毎月のお金と復讐だね」
「なんか割の良い仕事でも紹介してくれんのかよ」
「まさかキミ、まだちゃんと働く気があるの? と、まぁそれはまた今度ね。こっちは忙しいん――いや、どーせ暇でしょキミ。折角だから一緒においでよ」
今日は満月だ。魔力が一番満ちる日であり、月光の採取に最適な日でもある。
「一緒にって、どこに?」
「今日は月の光を取りに行くんだ。まぁ、すぐに分かるよ」
急な大口注文に、月光の採取と他の用事を済ませたかったルルシュカ。無料の労働者を見つけると、珍しく慈愛に満ちた女神の如く、優しくアランに微笑みかけた。
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