交渉


 四回ノックして開けた先。店内はガランとしておりルルシュカの姿はない。

 

(……チャンスだ)

 

 ここぞとばかりに、普段あまり見れていない戸棚に並ぶ商品を拝見しようと、カウンターまで寄れば背後でベルが鳴る。

 

 その音に反射的に背筋が伸びる。

 恐る恐る振り返れば何を勘違いしたのか、腕を組む妖精の姿があった。


「空き巣は関心しないな」

「……人を泥棒みたいに言うなよな」


 自慢じゃないが空き巣はした事がない。アランは日頃の行いを棚に上げて苦情を呈せば、ルルシュカからは誰が言ってんだ。と呆れた視線でアランを見る。

 

 カウンター横の通路から作業スペースへ入ると、アランも備え付けの椅子を引く。

 クルリと回された白い指にティーセットと、たっぷりのクロテッドクリームに、ジャムが添えられたスコーンの皿が並んだ。


「要るかい?」

「金かかんの?」

「キミの心次第かな」


 茶化す様に話すルルシュカは、アランの返事を聞く前にカップとスコーンを一セットずつ追加した。

 

 芳醇な花の香りが紅茶の湯気を介して漂ってくる。ルルシュカの手によってミルクをたっぷり注ぎ込まれた紅茶は色を変えた。蜂蜜を加え混ぜるその口元は楽しそうだ。

 

「キミが訪ねて来たって事は、良い住まいが見つかったって事かな。でも、残念だけどキミの考えは却下だね」


 美しい所作で持たれたカップが持ち上げられ、口元で傾いていく。アランはルルシュカとは反対にカップを持つ手を止めた。

 

「まだ何も言ってねぇんだけど」

「どーせ、予算オーバーの物件を気に入ったからもう一本蜂蜜酒ミードを売れば良いって思ってるでしょ。そう顔に書いてあるよ」


 顔に書いてある訳がない。何故分かるのだ。恐るべし妖精。

 もしかして、考えが読めるのか?アランは物言いだけに相変わらず得体の知れない妖精を見遣るが、当然何も分からない。

 

「何でだよ」

「キミはそれを誰に売るのさ。もしかして露店でも開くつもり?それとも、価値を知ってるあの貴族の所?」

「……それは」


 アランは考えた内容を言おうと口を開く前に、ルルシュカが先に話を続けた。

 

「キミの世界でそう易々とこちらの商品が流れる様な事は出来ないよ。だから、薄めて小分けにするのもダメ」


 本当にこちらの考えが読めるかもしれない。アランは真偽を確かめる事はしなかったが、口を尖らせ「ケチ妖精」と小さな声で抗議した。

 

「ケチじゃない。そんな事を考える位なら、あの売主の紅茶王に交渉を持ち掛けておいでよ。キミの引きの強さにはちょっと関心してるんだよ」


 紅茶王こと、ダリル・アーデンは当初ルルシュカのリストに載っていた。

 彼もジェラルド同様に、普通では解決出来ない悩みを持っている。だが、資金の取り易さとイザベラの状況を加味した結果、選ばれたのはジェラルドだった。


「交渉? 知らねーの? あのオッさん値下げはしねーって。それに何だよ、引きって」

「キミはもう少し頭の回るヤツだと思ってたけど、買い被り過ぎだったみたいだね。残念ざんねん」

「何が言いたいんだよ」

「あの紅茶王のお嬢ちゃんが誰か知らないの?」

「(お嬢ちゃんて……)イヴ・アーデンだろ。もう何年も前に亡くなってる」

 

 むしろなんで知ってるんだよ。と相変わらず疑問は浮かぶが、どうせ聞いても碌な回答など戻ってこないだろう。

 

「そうそう。ちゃんと知ってるじゃない。彼女の右手はね、実はまだ見つかってないんだよ」


 ルルシュカは上機嫌でスコーンを割った。

 

 イヴ・アーデンといえば、有名なオペラ歌手だった。

 当時十八歳だったイヴは人気絶頂の中、熱狂的なファンの手により非業の死を遂げている。

 強姦に遭い、酷い暴行を受けた彼女の遺体は発見当時顔の原型が無くなり、いくつかの内臓が破裂、四肢も可動域を超えていた。

 

 事件に関与した青年らは数日で特定され、全員彼女のファンから私刑リンチに合っている。

 犯行グループ死亡で幕を閉じた事件だったが、余りにも残酷な死を迎えた娘に、遺族は悩んだ末、当時最新の技術だったエンバーミングを施す事を決意する。

 

 生前の姿を取り戻したイヴの葬儀は、事件の事もあり近親者のみで執り行われひっそりと埋葬された。

 だが、どこから情報が漏れたのか、イヴの遺体は墓荒らしに連れ去られてしまうと、綺麗に戻された遺体はバラバラにされ、収集家の元へと売られたという。

 

 更なる衝撃的な事件の報道は、アルウェウス国だけでは留まらず周辺国も巻き込む騒動となり、警察にファンに市民と、血眼でイヴの遺体を捜索した。

 

 隣人が隣人を疑い、彼女の遺体を見つけ出そうと、空き巣が横行するという異様な事態となり、続々と逮捕者を出した。

 しかし、その甲斐あってか遺体は全て集められ、火葬され海に撒かれたと当時報道されていた。

 

 アルウェウス国では、幼い子ども以外は全国民が知っている程に有名な事件の一つとなっている。

 

「紅茶王はね、ずっと最後の右手を秘密裏に探してるんだよ。見つけてあげる代わりに値段交渉でもしてみたらどう?キミは値下げして貰えて嬉しい。紅茶王は娘の右手が見つかって嬉しい。皆幸せ。私も幸せ」


 クリームとジャムをたっぷり乗せ、一口に割られたスコーンを頬張るルルシュカは、文字通り幸せを噛み締めている。

 一方のアランは苦虫でも噛み潰した様に渋い顔をする。頬杖を付くとスコーンを口に放り込む。

 

「どーやって捜すんだよ」

「その約束が取れたら、話を聞いてあげるよ」


 口の端に付いたクリームを指で拭い取りながら、マゼンタの瞳が怪しく細められた。


 ドアのベルが来店を知らせる。訪ねて来たのは若い女性だ。ケットシー同様に茶色のローブを羽織っているが、普通の人間に見える。


「わー! アンじゃないか! いらっしゃい。ちょっと待ってて。――じゃあ、交渉頑張ってね」


 アランはルルシュカにまた強制退店させられた。



 

 戻されたのは宿ではなく、昨日の不動産屋の目の前。気が効くのか、なんなのか……。大きな窓ガラスから中を覗くもロバートの姿は見えない。


「ちわー」


 適当な挨拶と共に店内に入るアランに「ロバートなら居らんぞ」としわがれ声が返って来た。店内には昨日と同じように、ラジオが掛かっており雑音の混じる音楽が店内に流れる。

 

 誰だ?従業員だろうか?


 アランは接客スペースの奥、事務所の出入り口から中をそっと覗き込む。

 そこには葉巻をふかす――ダリルの姿があった。まさか探し人があっさりと見つかるとは。

 そういえば仲がいいとか何とか言ってたか。

 

 ヘーゼルの瞳と目が合った。


 白髪をビシッと整え、スーツの着こなしが洒落た中年の男性。たが、纏う雰囲気は今さっき人を殺して来たと思わせる程に殺伐としている。

 

 アランの登場に少し顔を顰めたダリルは、口の中で燻らせていた葉巻の煙を吐き出した。


 「こんにちはー」と挨拶をしズカズカと奥に足を進めると、アランはダリルが座るソファの向かいに腰を降ろした。


「初めまして、アランです。ダリルさんが売りに出してるアパルトマンが買いたいんですけど」

「聞こえなんだか?ロバートなら居らん」


 こちらに見向きもしないダリル。

 机には首都の地図が広げられており、マルやバツに何かのメモと沢山の書き込みがされている。

 アランは煙草を取り出すと、誰に許可を得る事なく火を点けた。


「俺はダリルさんと話をしたいんだ。ダリルさんのお探しのモノを俺が探して見つけたら、今売りに出してるアパルトマンの部屋、700リタで譲ってくれません?」


 ジジジ……とジャズが雑音で消された。ラジオはそのままニュースに切り替わると、緊急速報を伝るアナウンサーの声が流れる。


「……お前が持っておるなどあるまいな?」

「まさか!僕にそんな趣味はありませんよ」

「……どこから調べたか知らんが。ひっよこに見つけらるはずもないわ」


 物凄い殺気を纏わせるダリルは、広告で見かける優しい好々爺の面影はどこにもない。今ならギャングの親玉だと言われたら間違いなく納得できる。

 

「小僧じゃなくてアランです」

「良いだろう、その度胸買ってやる。明日にでも、と言ってやりたい所だが、世間知らずの餓鬼に情けを掛けてやろう。一週間だ。それまでに犯人を見つけてこれたら金は要らん。好きな部屋を譲ってやる。だが、期限を過ぎても見つけられなんだら、お前も同じ目に合わせてやる。よいな」


 奥でドアが開かれる。窓から風が滑り込み、葉巻と煙草の煙で澱んでいた空気が入れ替わっていく。


「戻りましたー」


 ロバートの声だ。何処かに外出していたらしい彼の足音は段々と近づいてくる。

 

「ありがとうございます。でも、それが本物かを証明する術が無いかもしれません」

「見つかってから考える事だが、心配するだけ無駄だ」

「分かりました。この一週間でボケないで下さいね」

「小僧こそ、尻尾を巻いて逃げるなよ。泣いて謝るなら今のうちだ」

「ポックリ逝かない事を祈ってますよ」

「親しい者との別れの準備をしておくんじゃな」


 バチバチと火花を散らしそうな二人の睨み合いに「……え? ダリルさんと、アラン君!? ……どういう状況……?」


 オロオロと二人を慌てふためいているロバート。アランは「あのオッさんの売り物件、全部売り止めで頼むよ」と春の快晴の様な笑みを浮かべて、小声でロバートに耳打ちすると背中をポンと叩いた。


 ◇◇◇


「ちゃんと取り付けて来たけど、どーすんだよ」

「……キミのそう言う所、嫌いじゃないかもしれないな」


 カフェへと寄り、腹ごしらえをしたアランはすぐにルルシュカの店を訪れていた。今日だけで訪れるのは二回目だ。

 

 ツンツンしてる割には何だかんだで素直な一面があるアランに、ルルシュカは可愛い奴だと密かに肩を震わせた。

 カウンターに頬杖を付くアランは、先程から不満気な顔をしている。

 

 陳列棚の下、備え付けの引き出しからいくつかの道具を手に戻って来たルルシュカ。その手からカウンターに広げられたのは、簡易的な魔法円が描かれた五センチ角の紙に、鉄の鋏と纏められた赤い糸。


「これは失せ物を探してくれる道具だよ。使い方は何通りかあるんだけど……。今回は試しにこのペンを見つけようか」


 ルルシュカの手には、マゼンタの色をした派手な一本の万年筆。彼女の瞳にそっくりの色のそれを、アランに覚えさせる。アランの視線が万年筆から外れるのを確認し、ルルシュカは万年筆を一振りしどこかへ移動させた。


「まずはイメージしながら見つけたい物の名前を紙に書く。今回は万年筆だけど、実際は被害者の名前と体の名称ね。紙に書ける物は一つだから気をつけて」

「今回は万年筆でいいのか?」

「いいよ。ちゃんとさっきの万年筆をイメージしてね」

「……書けた」

「いいね。そうしたら紙を丸めて、赤い糸を中央に回して蝶々結びで留める」


 言われた通りにアランは紙を丸めて糸で括ると蝶々結びをする。


「最後に呪文を唱えて、鋏を刃先に向かって撫でてから赤い糸の端を切る」


 色付いた唇が小さく動くと、声にならない位の小さな声で呪文が唱えられる。

 揃えられた二本の白い指が刃先に向かって鋏を撫で付けた。

 

 ルルシュカから鋏を受け取ると、ちょきり。赤い糸を切り離せば、蝶々結びされた紙はパッと光ると、半透明の赤い蝶へと姿を変えた。

 

 アランは驚きに目を丸くし、空を舞う蝶を凝視した。


「このまま案内してくれるよ。着いて行こう」


 手招きされると、慌てて鋏をカウンターへ置き席を立つ。「気にしなくていいから」と、カウンター横の通路を過ぎ、そのままバックヤードへと抜けて行く。

 

 初めて見るバックヤードには陳列棚が部屋を囲う様に並び、商品とも分からないものが所狭しと置かれている。

 部屋の中央には作業台が置かれ、試験管やフラスコにアルコールランプと並びまるで実験室のようだった。

 

 ゆっくりと室内を見て回る事は叶わず、ルルシュカの後を着いて外へ出る。柔らかな日差しが落ちる中庭の奥には小屋が建てられていた。


「ほら、追う」

「あ、ああ」


 蝶は庭の端にある井戸の石積みに停まっており、その足元には先程の万年筆が置かれている。

 ルルシュカが万年筆へ手を伸ばすと蝶はゆらりと歪んで姿を消す。

 

 白い指がパンチと音を鳴らすと、アランはカウンター越しの椅子に腰掛けていた。


「見つけたら、鋏にお礼を言って終わり」


 ルルシュカは鋏に声を掛けるが、鋏は何の反応も見せなかった。

 この妖精が言うのなら必要なんだろうが、アランは意味わかんねーと、その光景を眺めていた。


「今回は近くだったけど、これ隣の地区とかだったらどーなんの?」

「この紙はスクロールの要素も持ってるんだ。その時は蝶が何処かのドアに停まるから、その先に探し物がある。ドアを介してここに来るみたいに最短距離で移動出来るよ」

「地味にすげーのな。これって人も探せんの?」

「凄いでしょ。もちろん探せるけど、条件によっておまじないの手順が変わるよ」

 

 ふふん。とまたもや妖精は得意げだ。それからルルシュカは、いくつかの人探しの方法と、呪文、探し物を紙に書く際のルールを教えた。


「鋏は返却してくれればその分の金額は返金出来るからね」

「へいへい」

 

 アランは専用の万年筆と鋏のセット、予備の紙と糸、数枚のスクロールの金額を嫌々ルルシュカへ支払った。

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