消えた売上
この期間の苦労を考慮すれば、
約束の日。どうしたものかと考える余地もなく、アランは泊まっている客室のドアを怒りに任せて四回叩いた。
ドアを開ければベルが乱暴に揺らされ来店を知らせる。勢いよく開けられたドアに、ルルシュカと客の視線がアランへと向くと、美しいエメラルドの瞳とパチリと目が合ったが、すぐに逸らされた。
「順調みたいで安心ッス」
「まぁね。はい、お釣り」
「どもッス」
支払いを済ませて商品を受け取る黒い癖っ毛の少年の頭には、ピンと立つ三角の猫耳が見える。
初めて見るその姿に怯んだアランは、退店していく青年に道を開けた。
青年はアランを一瞥するも、特に何かを言う事もなく、店の外――街へと繋がっているらしい――へと出ていく。その背中を目で追うと、それ羽織る茶色のローブの裾からは細長いシッポが伸びていた。
「あいつ、何?」
入店したアランは、怒っていた事を忘れて、先程の青年が何者なのかを確認する。
「うちのお得意様の所の子。ケットシーのトムだよ。問題児の兄弟子とは似ても似つかない、凄い良い子なんだ」
彼の兄弟子を思い出したルルシュカは、苦虫を噛み潰したように顔を歪めている。
兄弟子を知らないアランは、ふーん。と先程自身が入ってきたドアの先を見つめていたが、「遅かったね」というルルシュカの言葉に、
「どーしたの?」
入店時乱暴に叩かれていたドア。ルルシュカはアランの怒っている理由に心当たりしかないが、素知らぬ顔をしている。
「俺の金どこいったんだよ?!」
ぺちゃんこの皮の巾着袋をテシッ!と乱暴にカウンターへ叩きつけるアランの表情は怒りに満ちている。
メモと一緒にトランクに忍びされていた皮の巾着袋。バカ正直に金を入れれば、小銭一つ残さず綺麗さっぱり売り上げが無くなってしまっていた。
こちらをジッと睨みつけるアランは、怒っているはずなのにどこか拗ねている子猫の様で、ルルシュカは可笑しさに笑うのを堪えて肩を震わせる。
「ちゃんとあるよ」
指を鳴らすとカウンターに小さな山を築いて現金が現れる。自身の金があった事に安堵するアランだが、ルシュカに向けられる視線はまだ鋭い。
「説明しろよな」
鼻息荒く椅子に座るアランは、ちゃんと満額あるかを確認をしている。
(凄い疑ってる)
ルルシュカはその様子にウンザリすると、艶やかな唇から盛大にため息がこぼれた。
「この袋に入れた物は、うちの店の倉庫に入る仕組みになってる。キミは銀行口座なんてもってないでしょ。だから気を遣ってあげたの。安全に保管できたんだから感謝して欲しい位だよ」
アランの暮らす国で、銀行口座を作るのには二つの条件がある。
身分証の提出と、決められている最低額以上の入金が出来る事だ。他に口座開設に手数料が掛かる上、毎年口座維持費も必要になる。
そもそもアランは身元を証明出来るものが何も無い為、どれだけ金があっても門前払いとなってしまう。
いつも稼ぎを保管するのに苦労していたのは間違いない事実ではあった。
「……なら先に言えし」
本来は出す事も可能だが、ルルシュカは出されては意味がないと制限を掛けていた。それで大金が姿を消したと錯覚したアランは、一人宿で大慌てしていたのだ。
「言う訳ないでしょ。知ってたらキミ、お金を入れずに下らない事に散財するかもしれないし、また来店もするかも怪しいし」
(……ぐうの音も出ねぇ)
「つか、早速減ってんだけど」
「商品代と調査費。成功報酬で貰うって言ったでしょ」
出されたのは明細書。蜂蜜酒とスクロールの数量、トランクの虫の調査費の金額、合計額がご丁寧に記載されている。
書類はルルシュカの世界の言語で書かれていたが、指輪のお陰でアランはそれを難なく読む事が出来た。
勝手に鞄の調査をして金を取るなんてとんだ詐欺だが、抗議するのも面倒になり口を噤む。
「これはキミの家の代金になるんだからね」
「ちょっとくらいよくね?」
「余ったら好きにすれば良いよ。それか、キミがこれで恩返しは終了でいいなら渡すけど。どーする?」
それもいいな。ルルシュカは名案だと言わんばかりに、嬉しそうに笑顔を浮かべる。
アランは「それは無し。しょーがねーから暫くあんたに預けておいてやるけど、ネコババすんなよな」と案外あっさり身を引いた。
「はいはい(キミとは違うからしないけどね)」
また指が鳴らされると、売り上げは綺麗さっぱり無くなる。跡形もなく消えたお金に、暫くその場所を眺めてアランは頬杖を付き、ルルシュカを見遣る。
「で?」
「なに?」
「勿論、答え合わせしてくれるよな?」
「キミはちゃんと蜂蜜酒を売って来たからね。その疑問に答えてあげるよ」
ルルシュカ側、カウンターから一段下がって作られた作業台には、一枚の紙が置かれている。
「あのお嬢さんの事は単純に調べたからだよ。貴族、もしくは上流階級の中で、解決し易い問題を抱えていて、一番こちらの条件に合致したのがあの一家だったってだけ」
「調査も魔法で出来んの?」
「流石に無理だよ。他の妖精に協力して貰ったんだ。知り合いに噂好きな子が居るからね」
ジェラルドの情報が書かれたそれは、ルルシュカの友人である
書面には、家族構成は勿論、複数の愛人に麻薬の販売、それによりギャングと拗れた事件の内容から箪笥預金の額まで。大小あらゆる情報が纏められている。
アランが720リタで蜂蜜酒を売ってきた事も、ルルシュカは一昨日シルフから報告を受けている。
「俺が住む世界の噂なんて興味ないだろ」
「それはキミの物差しでの話しでしょ」
風の妖精は噂好きだ。それが何であれ。
大抵知りたい事はシルフに聞けば分かる。逆に言えば、シルフに聞いても分からない事は、諦めるか実地調査するしかない。
シルフがいなければ、今回の計画が立つ事もなかっただろう。
「じゃ、あの売値は?」
「あの貴族の屋敷にある箪笥預金のギリギリの金額だよ。これもその妖精が教えてくれた。あとは、今後の計画の撒き餌、みたいなモノかな。リュカって名乗らせたのも、スクロールで姿を消す演出も」
「撒き餌?」
「そう、撒き餌。ちゃんと引っかかってくれたみたいだから、あとは上手く事が運ぶのを待つだけだ。そうしたら、キミのこの数週間は無駄じゃ無かったって事になるね」
「良かったよかった」と一人で完結する妖精に、少しだけ関心する。行き当たりばったりの計画かと思っていたが、どうやらきちんと自身の願いを叶える為の布石は打たれているらしい。
その中には勿論アランの行動も含めての計画ではあるだろうが。
「それはそうと、キミはどこに居を構えるつもり?」
振られた話題に、アランは背筋を伸ばすとポツリ、「考えてなかった」と呟いた。
「だろうと思ったよ」
ピッと縦に振られた白い指。パサリ、と大判の紙が宙に現れカウンターに落ちる。
そこにはアルウェウス国の地図が記されていた。
(なんでも出てくるな)
「大金を手にしたと言っても、高級住宅地は無理だろうし。キミがここに来た時には、確かルーナス州のヴェルデ領に居たよね」
「ああ」
首都は国の中央北よりに位置している。そこから東にグンゼ州、南にルーナス州が位置し、反対の西側にジェラルドの納めるオルヴィス州がある。
「どーすっかな。けど、首都周辺がいいよなぁ」
首都に隣接する州はあと二つあるが、どちらも訪れた事はない。オルヴィスも今回の件で初めて訪れたが、まぁ悪くは無かった。
首都の近くとなると高級住宅地になってしまうのが残念だ。
とはいえ、ここで地図と睨めっこしていても実際の家の価格相場は分からない。
「なぁ、煙草吸いたいんだけど」
アランの希望に、すかさず白い指がドアを指差した。
「外で吸ってきて。無いとは思うけど、誰かに話しかけられてもキミが魔法のない世界の人間だってバレない様にね」
アランは初めて見る妖精の国だと足取り軽く店を出たが、そこは自身の暮らす街並みと何ら変わりない景色が広がっていた。
煙草を加えて一服。店の前の通りは蜂蜜酒にも書かれていた異国の文字を掲げた店が並ぶ。
道を行く殆どが人の形を象ってはいるが、人間でない事は一目瞭然だった。
煙を燻らせながら、アランは改めてここが自分の知る世界とは違うのだと実感していた。
◇◇◇
ルルシュカに相場と街並を見て来いと、ルーナス州のヘイス領内に送られたアラン。荷物を置く為宿を取ると、早速いくつかの不動産屋を回っていた。
ルーナス州には十七人の領主がおり、ヘイス領はその中でも一番首都に近い場所に位置している。
物件の詳細を見たが、どれもピンと来る部屋はなかった。
ただ、ワンルームタイプのアパルトマンなら、稼いだ予算内で購入出来そうな所がある事が分かって安堵する。
まだヘイスに決めた訳でもない。メイン通りを見てみようと、買い物客や観光客で賑わう大通りに足を運んだ。
人混みに紛れるアランだったが、会いたくない人物を発見した。この前の双子だ。
思えば最初に会ったのは、ここの隣の地区だ。こちらに居ても不思議ではない……か。普段は覚えてもないが、あの騒動が有ったお陰で双子の事は覚えている。
また目の前で転けられてもしたら面倒だ。その場を離れると適当に進んだ先で一旦足を止めた。
大通りから二本外れたストリートは人の姿はめっきりと無くなっており、黒や白と野良猫の姿がチラホラと伺える。
ふと目に付くのは小綺麗なアパルトマン。一階にはテナントとして不動産屋が入っていた。
大きな窓ガラスにはいくつかの物件資料が貼られており、チラと見える店内には趣味の良いアンティーク家具が配置されている。
カラン。
ルルシュカの店とは違うベルの音が鳴る。「お待ち下さーい」と店の奥から男性の声がかかった。
ラジオだろうか。店内に流れる音楽は少しくぐもっており、時折特有の雑音が混じって聞こえる。
アランは大人しくソファに座って待つ事にした。
「お待たせしましたー」
出て来たのはツーブロックにパーマを掛けた、南部でよく見られる赤毛の中年男性。
男はこの国では主流の重厚感のあるジャケットではなく、なめらかで丸みをおびた流行りのシルエットのジャケットを合わせており、事務所の家具同様に趣味の良さが伺える。
どこぞの貴族とは大違いだ。
男は営業スマイルを浮かべアランに名刺を差し出した。
「初めまして、店主のロバートだ、宜しく」
「アラン。アパルトマンの一室を探してんだけど」
「アパルトマンね。賃貸?購入?」
「出来れば購入で。リフォームなしなら700位までならって感じ」
向かいに腰掛けるロバートはいくつかアランの希望を確認すると、席を外して店内の奥の部屋に資料を取りに行きまたソファまで戻って来る。
「今、条件に合いそうなのはこの辺りだね」
ロバートは持って来た物件資料を一枚ずつアランに提案していく。
丁寧に説明をしていく内容に、アランは真剣に耳を傾けていたが、やはりピンと来る物はなかった。
別の地区を見ても良いかもしれない。と考えていると、「あまりお気に召してない感じだね。予算はオーバーするけど……」とロバートは今までとは違う物件資料を差し出して来た。
築六十年の七階建てのアパルトマンの六階。増築でエレベーターが完備されており、ロの字に作られたアパルトマンはバルコニーが中庭に面した作りになっていた。
三十平米と単身者にとっては十分な広さもある。
だが、水周りのリフォームが必要で売値も1,050リタ。ロバートの言う通り予算オーバーだが、何となく悪くない気がする。
何がと言われれば難しいが、アランは初めて内覧してみたい気持ちになった。
「内覧って出来たりする?」
「もちろん」
それからロバートに連れられ内覧をした。予算オーバーではあるが紹介された一室は実際に見るとより良く感じる。
水回りはリフォームも必要だ。ここに即決する訳ではないが、アランは手元の金を増やせるかを考える。
あの妖精に言ってもう一本蜂蜜酒を買った方が現実的だろうか。あの現金な妖精なら喜んで売ってくれる気がする。だが、買えたとして誰に売りに行く?
あの妖精は数ある中の貴族からピンポイントでジェラルドを指定した。確か一番条件が良い。と言っていたか。
なら奇跡の化粧水と称して小分けにして売るのはどうだろうか。年老いた貴族がこぞって買いそうではある。
何となくそれがいい気がする。そうだ、そうしよう。
それならここを買えるし、何なら他の物件だって検討出来る。
今までピンと来なかったのは、自分のイメージと金額が合ってなかったのだとアランはロバートのお陰で気づく事が出来た。
「すげー良かった。予算オーバーだけど」
「ははは。ここは、あのダリルさんが売主なんだよ」
「ダリルって……紅茶の?」
それはアルウェウス国内でも一位、二位を争うシェアを誇る紅茶ブランドの経営者の名前だ。
紅茶缶と一緒に、ダリルの顔が印刷された広告がいつも貼られている。
「そうそう。残念だけど、値段交渉は受けない人なんだ。でも価格は結構良心的だから、気に入ってるなら早めの検討がいいと思うよ。ここのアパルトマンもダリルさんの持ち物なんだよ。昔からの付き合いでよくしてもらってるんだ」
ローンも手伝えるからね。と親切心を出すロバートだが、身分証のないアランには無縁の話しだ。
内覧から店の前まで戻ると、店内に
(げ!? なんでいんだよ……)
アランは店の少し前で立ち止まった。なんとなくだが、顔を合わせたくはない。
「とりあえず予算も含めて考えてみる」
「そうだね。他に物件が出たらまた紹介するよ」
宿暮らしのアランには固定電話が無い。代わりに宿泊先の名前を伝えておくと、そそくさとロバートに別れを告げる。
想像以上に良かったアパルトマン。翌日ルルシュカの店を訪れる事にした。
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