商人リュカの訪問


「こんにちは。わたくし商人をしております、と申します。こちらのご主人様が幻の秘薬をお探しとの噂を耳にしまして。お役に立てるのでは、と参った次第です」


 平凡な容姿をした青年は、少し高めの声音で挨拶をした。


 片耳を彩るにはお門違いの青灰色あおはいろのピアスが印象的な青年リュカ、ことアランは、人のいい笑みを浮かべると恭しく首を垂れた。


 うんざりとした様子を隠す事なく、従僕の男は顔を顰めてアランを睨み付ける。

 ここ最近、商人や霊媒師・ヒーラーといった自称を名乗る怪しげな輩が数日に一人は訪れているのだ。

 


「なんのお話しか存じませんが、お約束がないのでしたらお通しは出来かねます」

「そうですか……。それはそれは。誠に残念です。では、私はこれにて……おや?その手、どうなされたのです?」


 男の右手の甲は赤く腫れ細かい発疹が現れている。


 作日買い物に出掛けた先、紫目の美しい女とぶつかり、よろけた彼女を支えた後に出来たものだ。


 手の甲はヒリヒリと痛み、痒みを伴うが、人生であんなに美しい女性と接触できたのだ。男に後悔はなかった。


「ちょっと失礼」


 アランはすかさず男の手を取ると、用意していたハンカチで手早く手の甲を撫であげた。


 流れるその所作に、従僕は一瞬固まったが「何するんだ!?」と声を荒げ勢いよく手を引いた。ヒヤリとした皮膚の感覚に腫れ上がる手の甲を確認する。

 

「……ぇえ?!」


 自身のものとは思えない絹の様に滑らかな肌に、発せられた音そのままに口を閉じる事なく、男はまじまじと手の甲を見つめる。


 角度を変え、陽に照らし、撫で上げて。どれだけ確認しても湿疹の一つどころか皺の一つも見当たらない。


 その様子を見届けたアランは、胸に手を当て大袈裟に声を上げる。

 

「ああ……お時間をお取りさせてしまいました。では私は「お、ぉおお待ち下さい!!」」


 男は勢いよく顔をあげると、思わずアランの腕を取り引き留めた。だが、すぐに慌てて手を離すと咳払いをする。

 

 何が起こったのかは理解出来ないが、今ここでこの男を返すのが得策ではない事だけは分かる。


「本日ご主人様は昼にお戻りの予定です。客室にご案内させて頂きますのでどうぞこちらへ」


 あっさりと主人の予定を告げた従僕は、アランを屋敷へと招き入れた。


 ――――

 

 室内に滑り込んだ風がサラリと髪を撫でる。


「お待たせしましたな」


 案内された応接室は趣味の悪い調度品が並ぶ。

 登場した屋敷の主人、ジェラルドの姿にアランは(ああ……)と納得の声を心の中で上げていた。


 ここの調度品と勝るとも劣らない品の無さが一目で伺える。


「こちらこそ突然の訪問にも関わらず、この様な機会を頂き感謝致します。私、商人のリュカと申します」

 

 小一時間程待たされたものの、お目当ての主人がお出ましした事に安堵する。


 部屋には他にも執事だろう眼鏡を掛けた男に侍女が二人、扉を挟む様に控えている。


 帰宅直後に慌てて報告に来た従僕。その手の変わり様には驚きを隠せなかったが、どんな商人だと聞けば従僕は何処にでも居そうな青年だと話した。

 

ジェラルドは青年を見るや、従僕が言っていた事が理解出来た気がした。


 リュカと名乗る青年はオーラもなければ、身につけている物も平々凡々。商人ではなく靴磨きだと言われた方が到底納得が出来る程には地味なのだ。

 

 革のトランクから出て来たのは、白い布に包まれ、中からハーフボトルが取り出される。


「こちらがご紹介のお品です」

 

 ボトルに貼られたラベルを正面にして、アランはジェラルドによく見えるように誇示する。


 ラベルには通常、名称や産地が記載される。しかし、そこには初めて見る異国の文字が刻まれており、手の込んだ仕掛けだとジェラルドは鼻で笑った。

 

 だが、すぐにそれがただのハーフボトルでは無い事に気がつく。


 アランが手をゆるりと動かす度、中の琥珀色がゆらゆらと揺れ、煌々と光を落とすシャンデリアの下でもボトルは淡い光を放っている。

 

 ジェラルドは目の前の青年がいかにちんけな靴磨きでも詐欺師でも、今この瞬間だけはどうでも良くなった。

 どのような仕掛けであっても、宝石以外でこの様な美しいモノを見た事がなかったのだ。

 

「手に取って見ても?」

「勿論でございます。とても貴重なものですので、取り扱いにはご注意を」


 手渡された小瓶は変わらず淡い光を放ち、手元からジェラルドの顔を照らした。


「こちら、塗布又は服用することにより、如何なる病も怪我も治すことができる、霊薬の酒エリクサーにございます」


 如何なる病も怪我も治す。そんなものは子供に読み聞かせる童話や御伽話の世界ものだ。

 実在する訳がない。


 ジェラルドはたっぷりとハーフボトルを鑑賞してから、「して、貴殿はこれが本物とどう証明されるのだ?」と、歯を出してリュカを嘲笑した。


 乱暴に手元に戻されたハーフボトルを開け、飲みかけの紅茶に少量注ぎ入れる。

 

 侍女に用意をお願いしていた果物ナイフを受け取り、ナイフともう片方の手を上げ、ジェラルドや他の人に手首を回して視線を集める。

 

「本日、この場の皆様に奇跡をご覧入れましょう」


 まるでこれからショーが始まるような口ぶりだ。


 アランは少し声を張り十分に視線を惹きつけると、テーブルに広げた自身の手に躊躇なくナイフを突き立てた。


「ひっ……」


 侍女が短い悲鳴を上げる。ジェラルドも小さく体をビクつかせ息を呑む。その行動は予想外だった。

 

 周りの視線は変わらずナイフと手に集中している。

 良い調子だが、手の痛みに顔が歪む。アランは激痛に歯を食いしばった。


 蜂蜜酒の注がれた紅茶を飲み干し、再びナイフの柄を握り徐々に刃を引き抜き始める。

 時折鈍く光を反射させながら、ナイフの刃が徐々に刀身をあらわにしていく。


 最後に、またその場の全員に見える様に手を上げ、ナイフを引き抜くと、一滴の血も落とさず手の皮膚がピタリと閉じ切る。

 声こそ上がらなかったものの、皆が息をのんでアランの手を見つめているのが分かった。

 

「この様に、刺し傷も無かった事に」


 表に裏に手首を回して傷がない事を確認させる。

 

 ガチャンッ!

 

 強く叩かれた机に茶器が揺らされ音を立てる。

 

「買った! いくらだ?!」


 先程までとは打って変わって、ジェラルドの目は異様なまでにギラつき、少し血走ってさえいた。


 アランは内心でほくそ笑む。


「この出会いも何かの縁。今回は特別価格にて……720リタにてお譲り致しましょう」

「セバスチャン。直ぐに支払いの用意を。それとイザベラを連れて来い」


(マジかよ!?)


 上流階級の年収と変わらない金額を即金で払うなど、貴族の資産など知る由もないアランには想像も出来ない。


 自信満々に言ってみたものの、心臓は今にもはち切れそうだ。


(……俺この後、殺されねーよな?)


 焦りを見せまいと気丈に振る舞うも、追い討ちをかける様に妖精の声が思い起こされる。


『商品を売ったら何を言われても、すぐにあげたスクロールを使うんだよ』


 途端に嫌な汗が吹き出し止まらなくなる。

 

 どれ位の時間が経ったのか。五分か……はたまた一時間か……。気がつけば目の前には札束と硬貨を交えて現金が積まれていた。


(本当に……出て、来た……)


「ご確認宜しくお願い致します」

「――失礼致します」

 

 飛んだ意識を呼び戻し、コグリと生唾を飲む。偽札か否かの見分け方は、ジャックと、賭博場とで習っていたお陰で卒なくこなせた。

 

「確かに720リタ。頂戴致しました。お買い上げありがとうございます」


 丁寧に腰を折り、ハーフボトルを差し出す。ジェラルドはハーフボトルを手に取ると、先程よりも注意深く観察していた。

 

 あとはトンズラするだけだ。せっせと売り上げを鞄に詰め込んでいると、車椅子に乗せられた――娘のイザベラだ。


 性別すらも分からないその姿は、昨夜の少女が話した通りで、確かに生きていたのが奇跡だと思える程の有様にアランの頬が自然と引き攣る。

 

 彼女の側に控えるのは、メイド……ではなく、雰囲気と服装からして母親だろう。


 スッと伸びる背筋に、くっきりとした目鼻立ち。一見キツそうな印象を持たせるが、イザベラを見つめる瞳は哀愁に満ちており今にも泣き出してしまいそうだ。

 

「恐れ入ります、リュカ様。こちらは紅茶に混ぜれば宜しいのでしょうか?また、量に決まりはございますか?」


 先程金を用意した執事のセバスチャンが、柔らかい声で質問を投げかけてきた。


(やっべ、知らねーわ)


 ハーフボトルの中身は残り三分の一程度。丁度ワイングラス一杯分相当になる。残っても面倒だ。


「そちら、味は蜂蜜酒ミードと似たものになります。そのままでも、紅茶や水で薄めても効果は同じです。お嬢様のご様子ですと、そのボトルにある分全てで宜しいかと」


 教わっていた情報をそのまま伝えつつ、全部飲めばどうにかなるだろうとタカを括った。

 ダメならさっさとスクロールを破いて逃げるだけだ。


 セバスチャンはそれならばと、蜂蜜酒ミードをティーカップにそのまま注ぎ入れるようにメイドに指示し、イザベラの口元に運ばせる。


 ゆっくりと、どうにか一口を飲み込むと、先程の動きが嘘の様にゴクゴクと軽快に酒を喉へと流し込んでいくイザベラ。全て飲み切ると体中が淡い光に包まれ、たちまち美しい少女の姿が現れた。


「……イザベラ?!」

「お……お母様、私……」


 自身の脚でしっかりと立ち上がったイザベラは、母親と強い抱擁を交わしている。わっと部屋中に声が上がり、母親は勿論、侍女達も涙を流して喜び彼女を囲んだ。


「イザベラお嬢様……なんと……」


 セバスチャンも眼鏡を外して顔を手で覆っている。目をギラつかせていたジェラルドですら、今では目を潤ませている。


「本当に……なんと……なんとお礼を申し上げたらいいか……」


 とうとうセバスチャンの様に、手で顔を覆ったジェラルドの声は震えている。


「リュカ殿……。我が屋敷を訪れたてくれた事、心の底から感謝致します」

「私めには、もったいないお言葉でございます。では、私はこれにて失礼させて頂きます」

「まさか?! お帰りにはまだ早い。是非ともおもてなしをさせて下され!」


 その言葉に、ジェラルドだけではなく妻とイザベラも同意するように声をあげ、アランを引き留めようとするが、色々な意味で長居する訳にはいかない。


「そのお気持ちだけで十分でございます。これからまた別の場所で、お嬢様の様なお方が私を待って下さっております。良いご商談が結べました事心より感謝致します。では皆様、お元気で」


 挨拶を述べると、ジャケットの内ポケットから一枚の紙を取り出し二つに破る。


 瞬く間にリュカの体は風になりその場から煙の様に消え去った。

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