まだやるとは言ってない
翌日、アランは猛烈な痒みに飛び起きた。
腕や首、足周りには発疹が出来ており、久しぶりに見るその症状に頭を抱える。
清潔さのある見た目と裏腹に、金額が安かった宿に変更した自分の判断を恨んでも仕方ないが……、寝る前にシーツの下などの確認はしたものの、寮生活もあり気が緩んでいたらしい。
これだから宿暮らしは嫌なのだ。
(最悪だ……)
アランはガックリと肩を落とす。
随分前に買ってそのままだった薬が残っていないだろうか。今すぐにでも全力で掻きむしりたい気持ちを精一杯に我慢して、二つあるトランクの中を探る。
「……ねぇよなぁ」
薄々分かってはいたが、塗り薬は見当たらない。
南京虫は、平滑面を苦手とすることから平滑な脚の付いた台の上に荷物を置く事で混入を防ぐ事が有効とされている。
幸いにも荷物は備え付けの机の上に乗せていた事が不幸中の幸いだった。
項垂れていると昨夜の指輪がはめられている事を思い出す。夢ではなかったらしい。
薬を買いに行くか迷ったが、まだ店はやってない。
とりあえず本当にまたあの店に行けるのか試してみたくなり、半信半疑で宿の扉を四回ノックした。ドアを開ければチリンとベルの音が落ち、昨夜と同じ風景が広がる。
「いらっしゃい。ちゃんと来たじゃない」
カウンターの奥に腰掛けるルルシュカは、ティーセットを広げて紅茶を楽しんでいた。
「っ〜〜〜〜〜」
アランは痛痒い体を触らない様に、歯を食いしばって我慢しながら歩みを進める。
「なぁ……ここ、薬とかねーの?」
「え? なに?」
その言葉の意味が理解できずにルルシュカは顔を顰めた。
アランから話を聞くと、「そう言った薬は無いけど、いいのがあるよ」と、ルルシュカは陳列されている商品の中から、ハーフボトル程度の小振りのガラス瓶を紹介する。
「ミード? ……蜂蜜酒って事か?」
「そうそう。
小瓶は淡い光を放っており、中には琥珀色の少しトロミの付いた液体が入っている。
ワイングラスに適量入れれば三杯でなくなりそうな程の量だ。
蜂蜜酒は貴族が嗜む高級品だが、まさか
アランが興味深々にボトルを眺めているのを横目に、ルルシュカが指を上下に短く振れば、ことん、とカウンターにショットグラスが登場する。
アランから取り上げたボトルを開けると、琥珀色の酒を少量注ぎ込んだ。
「どーぞ」
差し出されたグラスとルルシュカの顔を交互に見遣るアランの瞳は、疑いの色で一杯だ。
「体、痒いんじゃないの? キミ」
別に飲まなくてもいいんだけど?そう続けるルルシュカだが、痒みで気が逸れて話が進まないのも困る。
猛烈な痒みには勝てないアランは、渋々ショットグラスに半分もない酒を飲み干した。
思いの外甘くない酒は、さっぱりとしていて奥の方で蜂蜜の独特な香りが感じられる。
どことなくビールにも似た味をしており、なかなかに美味かった。
喉が焼ける、と言うには程遠い強さだが、カッと全身が一気に熱を持ったかと思えば、スッと跡形もなく熱が引き、強烈な痒みが消え去った。
所々に出来ていた発疹は綺麗になくなっており、何ならちょっと肌艶も良くなったん気がする。ささくれていた指先も綺麗になっていた。
「スゲー」
「でしょー」
ふふん、と妖精は得意げに笑う。
「じゃ、昨日の補足からね。まずは敵討ちの件。私が手伝える事は二つだよ。情報提供。それから、呪いで殺す」
呪い殺す。とは何とも非科学的な発想ではあるが、提案者は妖精だ。既にこの話を素直に受け入れている自分が嫌になるが、一々気にして居ては話は進まない。
「それって、デメリットとかないわけ?」
「通常はあるよ。だから今では殆ど使われる事はない。でも、今回使用するのはキミの世界だ。相手は魔法にも呪いにも縁の無い人間だから、防がれる事は考えられないし、私のような協力者がバックにいるっていう情報もない」
ルルシュカとアランの暮らす世界の他にもう一つ、魔法のある――魔術師のいる――世界がある。
魔法は妖精や精霊が自在に扱うもので、魔術は道具や術式を介して人間が使用するもの。お
アランの世界には魔法の概念がない為、妖精や精霊であっても魔法は使えない。
使用する際には、媒介する術式の書き込まれた道具が必要になる。
アランの世界には当然呪いを返せる技術者がいない為、相手がどう足掻いても呪いは必中する仕組みとなる。
そうルルシュカは補足した。
「呪いの条件は?」
「なんでもいいから、呪いたい相手の体の一部を用意する。髪の毛や爪、皮膚に血液一滴でも。なんでもいいよ」
「万が一にも向こうにあんたみたいなのがいた場合は?」
「プランは変わるけど、対策はできるし居ても関係ないかな。私は優秀な妖精だからね」
ルルシュカの事を全く知らないアランは、彼女が本当に優秀なのかは分からないが自身満々なのは伝わってきた。
「とりあえず接触が必須なら当然自分で殺る。けど呪いは保険で用意する。どんな手でも、あいつをぶち殺したいからな」
不運にもギャング団の抗争に巻き込まれたアランとジャック。関係ないと逃げ出すも、始まった銃撃戦に仕方なく応戦した矢先、潜伏していたリチャードに何の理由もなくジャックは撃たれた。
今でもあの時の事は鮮明に思い出せ、自然とアランの手が強く握られた。
「分かったよ。それは時期が来たらまた話すね」
「情報提供ってやつか?」
「そうだよ。これに関しては今すぐどうこう出来る物ではないからね。それで、ここからがお試しの話しね」
ルルシュカは、簡単にアランに自分の用意したお試しの内容を伝える。
オルヴィス州に居る、普通では解決出来ない悩みを持つ貴族を探す。
見つけたら、その悩みを
解決したら、すぐにスクロールでその場を去る。
「どお? 簡単でしょ?」とルルシュかは楽しそうに首をこてん、と倒して笑った。
簡単だと言い切ったルルシュカだが、アランの記憶が正しければ、オルビス州にはニ十六人の領主がいる。
領地を持たない貴族を合わせれば、更にその母数は増えるだろう。
その一人一人を調査するなど考えただけで、アランのやる気は地に落ちた。
「……あんたさ、その貴族が誰か知ってんだろ」
「何が恩返しだお試しだ。しかも助言にすらなってねー」と、アランが不満気に言えば、途端にルルシュカの瞳がスン、と据わる。
「ぜーんぶ教えてお膳立てしたらつまらないでしょ。もしかしてキミ、推理小説は犯人を見てから読む派?」
そう馬鹿にした様に言う妖精に、アランの顔が引き攣る。
ルルシュカの顔には、何言ってんだコイツ。つまんねーヤツ。と書かれているのがアランにはハッキリと分かった。
「それと成功報酬ね。ちゃんと上手くいったら、その蜂蜜酒の代金も払ってよね」
「あ゙? んでだよ?」
「そりゃそうでしょ。今飲んだ分もあるし、ここは商店だよ。まぁ商品をまともに買った事がないキミには、難しい概念かもしれないけど」
訳、大概欲しいものは盗んでるみたいだから、代金を支払うなんて事、キミには分からないかな?と言う事だ。
ルルシュカの言葉の意味を理解したアランのこめかみに青筋が浮かぶ。
「代金なんて今まで死ぬほど(人の金で)払っとるわ! ……あんた、マジでいい性格してんな」
「それはどーも。キミに言われても嬉しくはないけどね」
「褒めてねーよ!」
「因みにそれ、1.88ダリルね」
急に飛び込んでくる聞きなれない通貨単位、だろう言葉に眉間に皺が寄る。
「んだよ、ダリルって」
「この国で使われてる通貨だよ。キミの暮らす国では確か……リタが今は主流だったかな?」
なんでこっちの通貨を知っているのか。疑問は浮かんだが、面倒だ。スルーしよう。
「なら、リタだといくらになんだよ」
何処からか取り出した使い古された本を手に取ったルルシュカは、目当てのページを見つけると上から下に指でなぞり、書かれた文字を目で追っていく。
「1ダリルは今のレートで約1.2リタだから……ミードは、2.26リタになるね」
「……」
パンは最小単位である1ペスから購入出来る。と言う事は、これ一本でパンが二百二十六個も買える計算だ。
決して安くはないが、めちゃくちゃに高くもない。むしろ効果を考えれば安いくらいだが……。
「蜂蜜酒はそのまま飲んでもいいし、紅茶や水で薄めたり肌に直接掛けても効果はあるよ。それと、これは移動用の道具ね」
別で出て来たのは手の平サイズの小さな紙切れ。これがスクロールという物らしい。『ダグラス地区八番通りの路地裏』と書かれた文字と、星のマークに似た図形が書かれている。
オルビス州は首都の南側に位置しており、州境の地区は、首都に負けず劣らずの繁栄ぶりで有名なエリアがある。
「なんでこの紙の字が読めんだ?」
「その指輪のお陰だよ」
「この指輪の?他にも何かできんの?」
「魔術やお
急に何の話だ。名前なんて何でもいいだろう。
その貴族とは何回も会う予定はないだろうし、その日出会う人物はどうせ名前だけが残されて、誰もアランがどんな人物だったかなんて覚えていない。
「そんなの適当なヤツにすんじゃね? その日の気分だから今聞かれても分かんねーよ」
「ダメダメ。当日のキミは”リュカ”だよ。ちゃんと守ってね」
何故その名を――以下略。それはもうそう言うものだと受け入れて諦める。
リュカは賭博場で使っていた名前だ。他にも偽名は腐るほどあるが、何故敢えてそれなのか。まぁどうせ聞いても理由は言わないだろう。
「んだよ……それ」
「上手くいくお
(お
いまいち乗り気ではない表情のアラン。
「まぁまぁ。とりあえずやってみなよ。きっと楽しいよ。それと、さっきも言ったけど、商品を売ったら何を言われてもすぐにあげたスクロールを破るんだよ。インパクトが大事だからね」
表情の変わらないアランに、面倒臭くなったルルシュカは、勝手に話を纏めると指を鳴らした。
◇◇◇
「どこだよ……ここ」
突然の青空と頬を撫でる風。
まばらな人通りのストリート。両手には宿に預けていたはずの鞄が握られており、ご丁寧に蜂蜜酒も小脇に抱え込まれている。
「ぇあ゙!?」
驚きと気持ち悪さに両手の鞄を落とすも、どうにか蜂蜜酒を落とさなかった事は賞賛に値すると思う。などと自画自賛したアランは、蜂蜜酒をカバンに詰め込もうとひとまずトランクを一つ開けた。
「なんだ?」
中には何やら見覚えのない紙と皮の巾着袋が入っている。
「トランクには南京虫がいなかったから安心して大丈夫だよ。因みに調査費用はオマケして1リタにしてあげるね。――蜂蜜酒の価格は720リタだ。その、売り上げはここに。安全に管理出来る魔法の袋だよ」
いつの間に仕込んだのだ。
読み上げたメモは、どうやらあの妖精のものらしい。怒りや疑念、気持ち悪さに頭がパンクしそうだ。
もしかして虫はあの妖精の仕業ではないのか?なんて事まで過ぎるが、問い詰めない限り一人で考えても答えは出ない。
アランは怒りのままにグシャリとメモを握りつぶし、事務的にトランクの中に隙間を捻出すると蜂蜜酒を詰め込んだ。
辺りを見渡すと地区を表す看板が確認できる。どうやらここは、オルビス州のダグラス地区八番通りらしい。
アランはそのストリートの脇に立っていた。
スクロールを破るとここに戻ってくる仕組みのようだ。
「マジかよ…………」
感情が怒りを通り越すと、ガックリと項垂れ盛大なため息を吐いた。
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