アラン
ファーガス家が治める地区から二つ西のとある地区。その三番通りにある賭博場が、アランの初めての就職先だ。
勤め始めてようやく半年が経とうとしている。いつも通りの時間に出社したアランは、支配人を目の前に固まっていた。
この男は今なんと言ったのだろうか。上手く聞き取れなかったのか。それとも、聞き間違えたのだろうか。
混乱するアランは返事ができずにおり、支配人の男は再度端的にその言葉を告げる。
「クビだね」
「は?」
やはり聞き間違いでは無かったらしい。間抜けな声が出たが気にしてなどいられない。見開かれた美しい紫の瞳は動揺に揺れる。
「可哀想だけど、そういう事だから。今すぐ寮の荷物纏めて出てってね。いいディーラーだっただけに、とっても残念だよ。短い間だったけどお疲れ様。
心底残念そうに偽名を呼ぶ支配人だが、その態度とは裏腹に問答無用で店を追い出された。
バタン!
けたたましくドアが閉じられる。音に驚いてか、ゴミ箱の上で昼寝をしていた黒猫が驚き飛び跳ねる。
アランは閉じられたドアをしばらくの間呆然と眺めていた。
オーナーの愛娘(43歳)を誑かし襲いかかった。その不名誉な話しに、弁解する事も叶わず仕事をクビになったらしい。
(ぜってぇ許さねぇ)
足早に借りていた寮に戻り荷物を纏めると、革のトランク二つを手に近くの宿に部屋を取り荷物を置いた。
そこから必要最低元の荷物を手に、何軒か店を経由すると石畳で綺麗に舗装されたメイン通りを進んで行く。
辻馬車を捕まえ行き先を告げ前金を手渡す。客車に乗り込むと繋がれた馬が御者の合図でゆっくりと走り出していく。
目的地まではここから二十分程度掛かるらしい。街を出た馬車が畦道に入ると、客車は所々で大きく上下に揺れてはアランのお尻を座面に叩きつけた。
(あんのクソアマ、マジで一発……いや、どうせならフルボッコにしときゃよかった)
昨日仕事終わりにオーナーに呼び出されたかと思えば、部屋にいたのはそのオーナーの娘だった。
黙っていても女など向こうから勝手に寄ってくる。にも関わらず何を好き好んで二十以上年上のババアに襲い掛からねばいけないのか。
何が誑かされただ。ふざけるのは存在だけにして欲しい。
(思い出しただけでも胸糞悪ぃ……)
黒い少し長めの短髪にこの国では珍しい紫の瞳のアラン。
容姿も何処にでも居そうな平々凡々な顔へと様変わりした。
この不思議な力のあるピアスが手元にある限り、今後の生活は何とかはなるだろう。
街を離れ郊外の景色がすっかり自然豊かになると、馬車はゆっくりと停車した。到着したのは賭博場のオーナーであるサミュエルのカントリーハウスだ。
夫妻はいつもこの時間外出しており夕方まで戻って来ないのは仕事で把握済み。
(俺の生活を奪ってコケにした代償、キッチリ払って貰うぜ)
サミュエルの趣味は美術品の収集。屋敷には当然コレクションが数多く収容・展示されていると言うのは、職場の日常会話で知った。
ジャケットの中のホルスターから銃を取り出し、屋敷へ向かって歩き出す。腰には先ほど購入したペイント弾がぶら下げられている。
戦闘の準備は万全だ。
復讐心から始めた報復行為は、後日発行された新聞の一面を大々的に飾る事件となった。
◇◇◇
仕事を無くしたアランは就職前の生活に戻っていた。
不名誉な噂に、暮らしていた地域で同じように住める訳もなく、仕方なく元いた地域から南下し違う州の地区に入ると適当な街に腰を降ろした。
賭博場の客から貰ったものや、以前の街で
この街にも賭博場はあるが経営は勿論貴族がしている。サミュエルとも繋がりがあるかもしれないと思うと、また賭博場で働きたいとは到底思えなかった。
街の住人や店の配置と種類、主要の通りなど十分な下見は終えた。まだ蓄えはあるが増えるに越した事はない。
新しく出たブランドの洋服も買いたいし、久しぶりに時計を見に行くのも良いだろう。
簡単に身なりを整えると、
この地区は上流階級が多く住んでいるのも確認済みだ。
多くの人が往来する中、ドンッと避けきれなかったのか若い女とぶつかった。
「……すみません」
端的に発せられた謝罪の言葉に顔を向ければ、強い違和感を感じる。
だが、ぶつかったのはどこにでもいそうな平凡な女で怪しい点など一つもない。
耳元を飾る鮮やかな赤い宝石の小粒のピアスに既視感を覚えるが、どこにでもあるデザインだ。
違和感を振り払うと、遠ざかっていく背中をそれ以上追う事はしなかった。
気を取り直し身なりの良い人物を次々にロックオンしていく。
自然に軽くぶつかる。
ポケットから財布を抜き中の札を数枚抜く。
財布を元の場所へ戻す。
一連の流れを秒単位で、自然に慣れた手つきで繰り返し行っていく。
(結構溜まったか? 良い感じだな)
内ポケットには二十枚ほどの札が詰め込まれた。
この国の通貨はリタと呼ばれ、一番身分の低い労働階級の平均月収はおおよそ十三リタ程度だ。
切り崩した分も合わせれば、しばらくは遊んで暮らせるだろう。今日の収穫に満足したのか自然とアランの口元が緩む。
ふと、目の前から歩いてくるのは品の良い雰囲気を纏う女。トレンドのワンピースに身を包み、左手首には若者に人気のブランドの腕時計が手首を彩る。
身なりもいい女は二十代前半くらいか。年齢も考慮すると貴族の可能性がある。
上流階級と貴族とでは捕まった際の罪の重さが天と地の差ほどに違う事に、アランはどうするか思案する。
ベルトのタイプは手を通して外す必要がない。足元は高めのピンヒール。連れは……無し。悩ましくもあるが、格好のカモが歩いてくるのは見過ごせない。
アランは自然を装い女に近づくと足を掛けてバランスを崩させた。
「おっ……と。大丈夫ですか?」
すかさず女の左手首を掴み腰に手を当て体を支えると、心配そうに眉根を寄せて声を掛ける。
「私ったら……ごめんなさい」
女は何かに躓いて転んだと勘違いしている。いいスタートだ。女の腰にある手を離し、手首を掴む手を変え、背後に回ると再度腰に腕を回す。
「足、怪我してないですか?」
背後から確認する様に問いかければ、思い通りに女の視線と意識は足元へ移する。片手で時計のベルトをバックルから外しておく。
「え?ええ「あれ?怪我してるじゃないですか!?」」
「え?どこかしら?」
周りの目が集まらない程度に声のボリュームを上げて言えば、女の意識は完全に足元に落ちる。
同時に腕を掴んだままスルリと腕時計と手を細い手首から外す。素早く獲物はジャケットのポケットへ。
「……あ。あーすみません。見間違えてたみたいだ」
バツが悪そうに決まり切った口上を述べると、パッと女から離れて自然な距離を取る。
「そうよね。特に痛みもないし、怪我はないわ」
改めて大丈夫だと伝える女は、足元を見てからアランへ視線を戻すと両手を広げて「ね」と肩をすくめた。
「そのようですね、良かった。お足元にはお気をつけて」
「ありがとう」
ニコリと簡単な挨拶を交わして、本来向かっていた方向へとお互いに歩き出す。
女性が完全にこちらに背中を向けた事、周囲の視線が特にこちらに向いてない事を瞬時に確認して、青灰色のピアスを外す。
上着のポケットからサングラスを取り出し耳に掛けると、セットしていた髪を崩した。
数秒後、人混みの中を女の悲鳴が駆け抜けていく。
彼女が出会ったスリの男の姿は既にいないが、背後からガツガツとピンヒールが石畳に当る音が鳴り響いては近づいてくる。
間隔の短いそれに走っているのだと分かった。
段々と大きくなってくる音に様子を伺おうとチラと後ろを振り返れば、後ろまで来ていた女が石畳の溝にヒールを引っかけ短い悲鳴を上げた。
視線が集まる中で無視を決め込む事は流石に出来ない。アランは渋々転びそうになっている女の左腕を力強く掴むと、グッと持ち上げ転倒を阻止する。
綺麗に纏めたブロンドのポニーテールを振り乱しながら、女はバランスを取り戻す。
こちらを見上げる女とミラーレンズ越しに目が合った。
「あ……りがとう、ございます」
「んな靴で走んなよな」
どんくせーヤツ。と続いた台詞に、女は先程と同一人物とは思えない形相で顔を歪め声を上げた。
「なっ!? スリよスリ! アイツ絶対許さないんだから!」
「スリ? なら、早くしねーと逃げられるぞ」
「もう逃げられたわよ! あーっもうムカつく!」
今にもピンヒールを忘れ、地団駄を踏みそうな女の手はギュウっと力強く握られている。万が一にもバレる事は無いとは思うが、早くここから立ち去りたい。
その気持ちを知ってか知らずか、居ないと思われた女の連れがやって来た。
「エレノアー?」
人混みをすりぬけ現れたのは、ブロンドの髪にサファイヤの瞳をした――エレノアと呼ばれた女と瓜二つの青年、双子の兄のグレアムだ。
短髪のブロンドは無造作にセットされており、流行りのファッションを着こなしている。
「グレアム! スリよ! 私の大切な時計が盗られたの! マジで許せない!」
相変わらずの言葉使いに、グレアムは短いため息を吐くが、注意する事はなかった。
何があったのかとアランをチラと見遣るが、関わりたくないアランは素知らぬ顔をしている。
「エレノア落ち着きなよ。どんなヤツだったの?それにこの人は?」
エレノアは先程出会ったはずのスリの顔を思い出せないでいた。男というのは分かるが、どんな顔だったか、背格好や髪の色すらも思い出せないでいる。
「どんなって……男だったけど……。こいつは転びそうになったのを助けてくれた知らないヤな奴よ」
ヤな奴、と指を差されたアランだが、まぁ間違いではないな。と、どうでもいい事を考えつつも、トンズラ出来そうなタイミングを覗っている。
「……お礼は言った?」
「うるさいわね! 言ったわよ」
「エレノアがご迷惑をお掛けしました」
「気にすんな。じゃあな」
案外早く訪れたタイミングに、アランはすかさず手を振り双子に別れを告げ、その場を後にした。
――――
少し早めの夕食を済ませて、宿の階段を上がり廊下を進むと、借りている部屋の前で立ち止まる。
鍵穴に鍵を刺せばピタリとアランの動きが止まり、上機嫌に緩んでいた表情はトーンダウンした。
(……?)
何やら小さな違和感にを感じるが、辺りを見渡しても特に怪しい気配はない。
(気のせい……か。疲れてんのか?)
鍵を回しハンドルを下げドアを手前に開くと、ベルの音が上から落ちて来た。
そんな訳がない。開けたのは借りている宿の客室のドアだ。だが、その先が見知った客室ではない事は一目瞭然だった。
どうしたものか。開けたドアの先に広がるのは一見パブのバーカウンターを思わせる内装をしている。
違うのはカウンターの奥、天井まで伸びる陳列棚には酒瓶以外にも何やら雑多に物が陳列されている点だろうか。
カウンターに頬杖をついた人物がこちらを見ていたのが分かると、一旦ドアを閉じる事にする。
一呼吸置いてから開けたドアは少し勢いづいたのか、チリンッ。と、先程よりも大きく揺れたベルが小気味よく音を奏でた。
「何回やっても一緒だよ。早く入って来てくれる?」
パチン、と鳴らされた指の音が聞こえると、アランの視界はぐにゃりと歪む。
視界が戻ると、カウンターに備え付けられた椅子に腰掛けていた。
突然の出来事に目を白黒させたが、幅広のカウンターを挟んだ先、古ひだ黒のローブを羽織る女のその姿に、アランはヒュッと息をのんだ。
女は有名な童話集の一つに出てくる妖精と同じ特徴をしている。
「遅かったね。待ちくたびれたよ」
頬杖をついた女――ルルシュカは、赤ほど強くなく、かと言って淡いピンクほどの柔らかさもない赤紫のマゼンタの瞳を細めて笑った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます