第6話 義兄と私とゴールデンウィーク

 「梨紗、晩御飯の支度手伝って」と母が声をかける。

 「はーい」と答えながら、私は母のそばに立ち、野菜を切り始める。


 ゴールデンウィークが始まり、私は久しぶりに実家へ帰省している。先日リフォームして若々しくなった実家は、この家に引っ越してきたあの日を思い出させる。


 ***

 

 幼稚園に入ってすぐ、父は家に帰らなくなった。

 それ以来、母は口数が減り、次第に笑わなくなる。幼稚園で書いた母の日のプレゼントの似顔絵を渡しても、まともに見ず、テーブルに重なる雑誌の上にぽいっと置く。母の変化に戸惑い、私も次第に心を閉ざしていった。


 夜、トイレに行こうと目が覚めた時に、隣で寝る母が泣いていることに気付いた。初めて見る大人の泣いているところに罪悪感を覚えた。母の悲しみは私のせいなのかと、いつも心に靄がかかっていた。

 

 小学校に上がるころ母の笑顔が増えてきたが、昔の母の影響か、私の笑顔が無くなっていた。元気な同級生たち、暗い私。休み時間も1人で過ごすうちに、私はクラスで透明人間になった。友達を作ろうとする気力もなくなっていた。

 

 下校途中の10分間が私の泣く時間だった。声は出さず、ただ涙を流しながら、一人で歩く。心の中に溜まった寂しさと孤独感を、涙で流していた。


 ある日、引っ越しをする。引越し先は今まで住んでいたアパートと違い、大きな一軒家。母が再婚したのだ。お城のように大きく見えた家に入ると、おじさんが話しかけてくる。


 「梨紗ちゃん。これからよろしくね。」


 優しい声だけど、私は母の後ろに隠れる。

 

 「ほら、奏斗。ちゃんと挨拶しなさい。今日からお兄ちゃんになるんだから」

 「俺、奏斗。よろしく」

 

 私は目も合わせなかった。

 母は毎日笑顔で幸せそうだ。わたしもいつか笑えるようになるのだろうか。実際、転校先でも、わたしは変わらなかった。


 結局、1ヶ月たっても友達はできず、また、泣きながら下校する日が始まる。

 下校時刻、皆が教室を出るのを待ってから1人で下駄箱へ向かうと、そこにはお義兄ちゃんが立っていた。

 

 お義兄ちゃんはわたしに手を伸ばす。

 

 その手を握ると、家に向かって歩き出す。温かい手のひらに、安心感が広がる。

 学校と家のちょうど真ん中くらいまでのところでお義兄ちゃんが口を開く。


「もう、泣きながら帰らなくていいからな。俺がずっと手を繋いでやるから」


 お義兄ちゃんの笑顔はとても優しかった。

 わたしは、声を出して泣き出した。今までの寂しさが堰を切ったように一気に溢れた。なだめるようにわたしの頭を撫でてくれるお義兄ちゃん。


 それから、下駄箱での待ち合わせが待ち遠しくなる。

 あんなに嫌だった下校の時間は、いつしか私の大切な、愛おしい時間になっていく。

 

「奏斗っていっつも妹と一緒にいるよな! 恥っずかしい〜」

「うっせえな!」


 繋いでいた手をパッと振り払われる。

 でも、お義兄ちゃんの友達がいなくなると、またそっと手を繋いでくれる。

 

 

 それから私は笑顔が増えていき、次第に友達も増えていった。でも、下校するときは友達と帰らない。だって、お義兄ちゃんと帰るんだもん。

 

 私の涙を止めてくれたお義兄ちゃん。

 私のヒーローのお義兄ちゃん。

 私の初恋の人。

 

 だから、お義兄ちゃんは誰にも渡さない。


 ***

 

 母の声が思い出から私を現実に引き戻す。

 

 「そろそろ奏斗がこっちに着く頃だわ」

 「私、駅まで迎えに行ってくるね」


 笑顔で家を飛び出した。

 駅のホームで待っていると、お義兄ちゃんが現れた。

 

 「お帰りなさい、お義兄ちゃん」

 「ただいま、梨紗。久しぶりだな」


 お義兄ちゃんは優しく微笑む。

 私たちは並んで歩き始める。そっと手を繋ぐ。


「わっ。なんだよ! 子供の時みたいで恥ずかしいだろ」

「いいの! うふふ」

 

「ねぇお義兄ちゃん」

「ん?」

「彼女できた?」


「……できねぇよ」


 ――これからも彼女ができないように頑張らなきゃ!

 覚悟しておいてね。お義兄ちゃん。

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