第2章
しかし、そんな哀れな少年のもとに一通の吉報が届きました。読者の皆さんは想像がおつきでしょうか…そうです、相樂悠が彼氏と別れたのです!これを小耳にはさんだ私は、過言ではなく天昇の心地でした。恋敵が消えたのです。男子としてこの機を逃すわけにはいきません。しかし、私としたことが肝心の女性との話し方がまるでわかりませんでした。
私がどれぐらい女性に対して無知であったかというのは、私の中学生の頃のお話を聞いていただければ良くお分かりいただけると思います。準備はいいですか?いきますよ?
ここで一つ注意書きなのですが、私の「初恋」は確かに高校二年の夏です。しかし、中学時代に惚れた女性がいなかったのかというと、そんなこともありませんでした。何なら小学校から中学卒業まで一途に恋をしていた人さえいました。落ち着いてください。どうせ皆さんは、じゃあ高校が初恋ではないだろと仰るんだ。翌々考えてみてください、高校一年の時点で女性とまともに話す術を持ち得ていなかった少年が、それの一年前はどうだったと言われれば想像に易いでしょう。私の義務教育期間を全て捧げたこの長い片思いは初恋と呼ぶにはあまりにお粗末すぎたのです。あれは、中学三年の冬だったような気がします。木枯らしがびゅうびゅうと吹いていて、みんなマフラーやら手袋を身につけていた寒い時期でした。当時私が一目ぼれしていたのは、武藤真凛という女性でした。とてもかわいらしいお名前でしょう。名前だけでなく顔も絶世の美女と言ったところで、とにかく私は彼女の顔に惚れていました。色白で身丈もクラスでは大きい方でした。手足はほっそりとしていて、けれども健康的で、その美しさを形容するとしたらまるで白鳥を思わせるようでした。顔の形はきれいな卵型で、白く艶のある頬はとても柔らかそうでした。ただの一度も触れたことはありませんが、きっとカシミヤのマフラーやシルクでできた織物なんかよりも重厚で、繊細な感触であったに違いありません。こう彼女の外見ばかりをつらつらと書いてもただ気持ちの悪いだけですが、中学を卒業して4年ほど経つというのに未だに彼女の輪郭の線から髪の揺れる情景、はにかむ笑顔などまるで目の前にいるかのように描写できてしまいます(まずそんなもの一見たことはありませんが)。中学三年冬に私はそんな彼女をデートに誘おうと決心したのです。今思い返しても無謀だったと言わざるを得ません。まともに会話したことすらないのにデートなんて正気の沙汰ではありません。もし、あの時慎重に、もっとうまくやれていたなら私の義務教育を全て捧げた大事な大事な恋は実ったのでしょうか。結論から言うとそれはどだい無理な話でした。結局無謀かと思われた少年の作戦は見事に成功して一緒に勉強することになりました。よくやったと自分を褒めてやりたいです。こうして私たちは市役所の勉強スペースで勉強することになりました。その時の事は緊張と幸福感のごちゃ混ぜになったわけのわからない心境だったのであまりよく覚えていません。ただ、彼女は芸術大に進学したいのだが、金銭面で難航しているという事、そしてその大学は県外なので今後中学を卒業してから彼女と街中で偶然肩がぶつかり合って再会するロマンスは期待できない事がわかり、数学の二次関数の問題を開いていたページをぼんやりと眺めていました。あまり会話が続かず気まずいという気持ちもありましたが、初めて彼女と正面で対峙してまじまじと顔を見たのも初めてだったので息苦しさというよりも幸福感の方が多かった気がします。本当に彼女は素敵です。終始彼女を観察してしまいます。時たま僕が分からない問題を彼女に質問すると、彼女は頭脳明晰でもあった為、私に分かり易くそして丁寧に整理された解法を授けてくれたのでした。あのペンを持った彼女の指の細部に宿る美しさは熱烈で、静かに、そして確実に僕の心をかき乱したのです。あの手に触れ得ることができたら、僕はもう何もかも投げ出してしまっても構わない気分でした。その時分、私は高校受験を控えていたということもあって塾に入り勉強をしていました。この日も夜の七時から英語を習いに行かなければならなかったので武藤さんとは早めのお別れになってしまいました。今考えると、やっとの思いで意中の人と二人きりになる機会が巡ってきたのになぜ。ああもすんなりとお別れできたのかと不思議に、というか阿保らしくさえ思います。しかも、私の塾と彼女の家は市役所をはさんで反対方向だったので、現地解散という流れになりました。厳寒極まる十二月の夜道を女性一人で帰らせるというのはどうも男子として大切なものが大きくかけていたように思えます。でした。所謂玉無しでしょう。嘲笑していただいて結構です。ああ、塾などほったらかして、武藤さんを家まで送っていれば、去り際に連絡先を聞くことだって、次あう約束を取り付けることだって可能だったはずなのに、どうもその頃の私は、意気地がないというより男として人として何か不足しており、そんな具合で私の初恋(?)は幕を閉じました
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