白い帽子をかぶった農婦の顔(1885)

 カルテには、二十三歳、女性、既往歴なし、手術歴なし、とある。

 しかし目の前にやってきたのは、五十代にも見える患者だった。


「そう、そう。最近このあたりが気になって」


 どこで買ってきたのか、大きな白い帽子で顔を隠しながら来院した女性は、どうしても頬にボトックスを打ちたいと言った。


「最近、本当に嫌なんです。鏡を見ても、はあ、って感じで」


「そうですね。ここに一本、それからここにもですね。そうすれば、このくらいの皺であれば、ある程度は改善が見込めると思います」


 美容整形外科医の私は、このように悩みを持つ患者の話をじっくり聞いて、医学と望まれる美の妥協点を探すのが仕事だ。


「えっと、それから眉毛が強くなってきたのも気になって。なんか、強いってかんじじゃないですか。キリッとしてるっていうか」


 眉くらい手入れをすればいい話、と思われるかもしれないが、面倒をレーザー脱毛で解決することだってできる。


 私の丹念な説明に、女性は納得したようだった。


 医者を前にすると望むことが増える人もいるし、逆に黙ってしまう人もいる。


 この女性は前者だから、うまくコミュニケーションがとれていい。


 安心したように頬を緩め、少しうつむきがちにリラックスした様子の彼女に、私は最後の質問をする。


「他に、何か気になっていることはありますか?」


「いえ、特にないです」


「では、少しお顔の状態を見ていきますね。帽子をとっていただいても?」


 患者は子犬のような目をして、それはできないんですと、まるで普通の会話の続きのように、ほがらかに語を継いだ。


「えーっと、これだとお顔がよく見えないので」


 私はもう一度、今度は彼女の目をしっかりと見て言った。これはお願いの形をとった、職務の履行なのだ。


「これ、この白い帽子ですよね。これ、とれないんです。呪いの帽子らしくて」


「はあ」


 思わずため息に似た返事をしてしまったが、プロとしてこれではいけないと思い直した。


 しかし、とれない。


 帽子は柔らかく、頭蓋に沿った丸みも感じられるほどなのだが、どうしてもとれない。


 髪の毛はひっぱると抜けることもあるが、この帽子はまるでピタリと接着したように、彼女の頭に張り付いている。


 生え際に指を入れようとすると、第一関節までしか入らない。それ以上はまるで、布の縫い目にでも指をつっこんでいるように、しっかりと固定されて、行き止まりを思わせた。


「なんだこれは」


 患者は申し訳なさそうに笑った。


 なんでも、海外のオークションでふざけて落札したこの帽子を、仲間内でやはりふざけて被って以来、とれないのだと言う。


「一応、呪いの帽子って書いてあったんですけど。みんなでイェーしてて、負けて、被ったらとれなくて、ほんとだー! みたいな」


 それから、帽子を被ったその日の写真も見せてくれた。


 そこには、細めの眉に二十代そこそこ、といったほどの、目の前の彼女とは似ても似つかないギャルが写っていた。

 それがものすごくかわいい。切れ長の目にブルーのアイシャドーが映えて、ひょっとこのように変顔した表情でさえ天使のようだ。


 写真を夢中で見ていると、彼女は吹き出しながら言った。


「なんかこれ被ってから顔まで長くなってきちゃったんですけど、さすがにこれは許せないっていうか。わかります? さすがに、これ」


 そう言いながら、眼前の五十代はほうれい線を指でなぞってみせる。


 ……そういう問題だろうか?


 とにかく、私は決意した。なんとしてもこの呪いを解いて、彼女を可愛いギャルに戻してみせる。



おしまい!

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