第29話 水族館の思い出

水族館の中は家族連れやカップルでいっぱいだった。

水槽の中で優雅に泳ぐ魚を見ているカップルの女の子は、一様に彼氏にピッタリとくっついて歩いている。

そんな中、わたしたちは、少しばかり距離を空けて歩いていた。


「今日で2回目だから、後1回」

「何が?」

「3回の約束」

「それ、間違ってる」

「どこが?」

「僕は『3日』って言った。つまり、72時間ってこと」

「3日って、3回って意味じゃないの?」

「ちゃんと『3日』ってメッセージにも送ってるし、館山さんもそれを了承している」

そう言われてスマホを確認した。

確かに「3日」と書かれている。


「つまり、1日1時間ずつなら、約2ヶ月ちょっと僕たちは恋人同士ってこと」

「そんなの詐欺みたい! 無効です」

「もう1週間経ったから、クーリングオフはきかないよ」

「わざとわたしの間違いを指摘しなかったってこと?」

「ちゃんと確認しなかったのが悪い」


上椙さんの指が、わたしの指先にそっとふれて絡んだ。


「何?」

「何も……」

「行こう」


上手く言いくるめられたことも、手をつながれたことも、嫌じゃない自分がいる。


順路に沿って歩いていると、「瀬戸内海の水槽」というコーナーの前で、上椙さんがまじめな顔をして言った。


「僕は刺身の中では鯛が好きかな。館山さんは?」

「わたしは……アジ」

「じゃあ、アジを見に行こう」


アジの水槽に向かう途中、大きな水槽の中をイワシの群れがぐるぐると回っている横を通った。


「イワシは、梅煮がいい」

「小イワシなら天ぷら?」

「いいね」


これでいいのかな?

これ、水族館の楽しみ方なの?


「アナゴの刺身を食べたことある? 美味しいんだ」


それを聞いて、もう我慢できなくなった。


「食べることばっかり」

「どうやら僕は水族館を別の意味で見てしまうみたいだ」

「水族館は久しぶりって言ってたけど、以前もこんなふうだったの?」

「どうだろう? 最後に来たのは小学生の時だったから。シャチのショーにはちょっとした思い出があって」

「何?」

「間近で見たくて、一番前の席に座ったんだ。そしたら、ショーが始まると同時に、シャチがジャンプして、最前列にいた僕をずぶ濡れにした。隣を見たら、両親はちゃっかりビニールみたいなものを被ってた」

「それで、どうしたの?」

「僕だけ服を着たままプールに入ったみたいな状態で、その後を過ごしたよ」


まじめな顔でそんな話をするから、ずっとわたしは笑っていた。

そんなわたしを見て、上椙さんも笑っていた。


「何かの雑誌に書いてあったけど、恋人同士で水族館に行った時、魚を見て『美味しそう』って言うのを聞いたら、一気に気持ちが冷めてしまうんだって」

「館山さんは笑っているから、そんな話は迷信だね」


その後も、魚の美味しい食べ方の話ばかりで、水族館の楽しみ方が他の人とは全然違ったけれど、あっという間に時間が過ぎてしまった。

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