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ファミリーレストラン。夏休みのランチタイム前の時間帯。客もスタッフも、モーニングから入れ替わる。
「二名サマですか?」
おじいさんと孫という組み合わせでの来店は珍しくもない。シフトに入ってすぐのフロア担当のアルバイトは、悟朗と文月を笑顔で出迎えた。
「三名よ」
答えようとした悟朗をさえぎり、人数を変える一人のラウンドボブの女性。身長は悟朗よりも高く、スレンダーな身体に白衣をまとわせている。
「女神サマ!?」
文月にとっては、夢の中で出会ったばかり。驚きと同時に、恐怖心から身をこわばらせて悟朗にしがみつく。本来ならば空いている席へと誘導しなくてはならないフロア担当は、このファミレスという場所ではなかなかお目にかかれないような美女の登場にハッと息をのみ、女神サマから微笑みかけられて硬直した。
「初めまして、アザゼル」
その表情を、女神サマは悟朗に向けてくる。女神サマは“第四の壁”からすべての世界を観測しているので、悟朗の正体を知っていた。十二歳の春に
「ふむ?」
総一郎が亡くなってからは、悟朗をアザゼルと呼ぶ者はいない。妻の早苗にも明かしていない本名である。
「詳しい話は、席でしましょう。案内していただけるかしら?」
「は! はいっ! 三名様、こちらのお席へどうぞ!」
自身の仕事を思い出したフロア担当が先導し、女神サマはついていく。悟朗は「知り合いか?」と文月にだけ聞こえるような声で訊ねた。
「もふもふさんが、もふもふさんの姿になったのは、あの『女神サマ』の力だって聞いています。桐生くんのおじいちゃんに相談しようと思ったのは、女神サマが夢に出て、もふもふさんの未来を教えてくれたからです」
修羅の熱気、餓鬼の腐臭、天上にてもふもふさんにまとわりつく怨念たち。その光景を思い出して、めまいがしてくる。
「文月ちゃんに
「うん……」
「話は聞いてみるかの。自称女神サマの言葉を信ずるかは、その次じゃ」
悟朗は文月の背中を軽くさすった。女神であるか否かに関して、半信半疑である。
もし文月が自分の意見をうまく整理して伝えられるのならば、移動中の車内でも話はできた。同性の女神サマが同席することで、悟朗とスムーズに相談できるかもしれない。
「うん」
文月は女神サマを追いかけていき、案内されたボックス席では女神サマの向かいに座った。その隣に、悟朗が腰掛ける。
「相談は終わったかしら?」
ふたりが座るなり、女神サマは問いかけてきた。文月が悟朗にしたかった相談は、できていない。
「桐生くんのおじいちゃんだけじゃなくて、女神サマにも、聞いておきたいことがあります」
「なあに?」
「わたしは、もふもふさんに、あんな目に遭ってほしくありません」
悟朗は目をそらしてメニューを開き、女神サマが「ふふっ」と笑い飛ばした。文月だけが真剣な表情をしている。
「もふもふさんは、今は、優しくていい人です! だから、わたしが、もふもふさんにあんなことを言わせないようにすれば、もふもふさんだって、きっと!」
「ずいぶんと信頼されているのね?」
「そうじゃよ」
「桐生くんのおじいちゃんも、女神サマも、もふもふさんと一緒じゃないからわからない……」
どちらが伝えるべきかを牽制し合うように、悟朗と女神サマは視線を交える。先に口を開いたのは女神サマだった。
「彼の所業の一部を、見せてあげてもいいのよ?」
女神サマの不思議な力であれば、過去に起こった出来事を、映像として見せられる。しかし女神サマの提案は「文月ちゃんには見せぬほうがよかろう」と、悟朗が即座に却下した。
発明家として生計を立てている悟朗には、独自の人脈がある。
「教えてもらえないの?」
「その、なんというかの、文月ちゃんには刺激が強すぎるのじゃよ。じゃから、ワシとしては見てほしくない。どれか一つでも目の当たりにすれば、彼奴は真に悪人で、改心する余地もないのがわかるじゃろ」
「……善いことをたくさんして、人間に戻れてから、地獄みたいな場所に送り込まれるぐらいに?」
「死でも償いきれぬ、人間として
確認するように、悟朗は女神サマと目を合わせる。
「私は、あなたが彼の所業に気付いたあと、即刻、彼を排除しに動くかと」
文月は『
「おぬしにも目的があるのじゃろ? ワシは神とは対立したくはないのでの」
「賢いのね」
「伊達にこちらの世界で生きとらんよ」
女神サマは『二〇一二年、侵略者による人類の滅亡』のシナリオを回避するべく『人生をやり直す』というニンジンを釣り下げて、隆文を二〇〇七年の四月に送り込んだ。スタート地点はオオカミの姿だが『善行を積めば元の姿に戻れる』の条件付きだ。
実際は違う。侵略者を倒し、シナリオを回避したとしても、隆文には次の世界が待っている。次の世界が修羅か、餓鬼かは、そのときの女神の気まぐれである。
すべては女神サマの手のひらの上にあり、そのすべてには『記憶』も含まれる。
「この話を聞いても、鏡文月は彼を信じるのね?」
「……どうかなあ」
「さすがに揺らいだかしら?」
「もふもふさんが、わたしを助けてくれたことも、ほんとうのこと。でも、だからって、もふもふさんが助かるためにわたしと入れ替わるのは、違うと思う」
「鏡文月は鏡文月。彼とは違う、一人の人間だもの」
「わたし、もふもふさんに『昨日の夢』のことを話してみます! もふもふさんはわたしより頭がいいので、人間に戻れたとしても、その次にどうなるかを前もって知っていれば、何か考えてくれる!」
「ダメよ」
女神サマは白衣のポケットから杖を取り出して、その先端を文月の鼻先に向けた。ピカッと光って、女神サマにとって都合の悪い『記憶』が消去される。
「あ、れ?」
「こんにちは、鏡文月」
「こんにちは?」
文月は向かい側に初めて見る美女が座っていて、目を丸くする。さらに、隣には『桐生くんのおじいちゃん』がいることに気付き「え!?」と立ち上がった。
「えっ、えっと、ここ、どこ?」
混乱している。もふもふさんと代わって、戻ってきたときのような『記憶』のスキップ。文月の主観では『誕生日の前日の自室』から『ファミレス』に瞬間移動している。
女神サマとの交流は、なかったことになった。当然、もふもふさんの行く末も知らない。
「なんで桐生くんのおじいちゃんが?」
「桐生くんを呼んで、ここで誕生日会をするのよね?」
困惑する文月と、対応に困っている悟朗に対して、女神サマが助け船を出す。そういうことにするらしい。
「……そうじゃな。文月ちゃん、好きなものを頼むといい。そのうちキー坊も来るじゃろ」
「え……っと、わたし、払いますよ?」
「文月ちゃんの誕生日祝いと言っておるじゃろ。そうでなくとも、子どもには払わせんよ」
「では、ごゆっくり」
女神サマが席を離れる。見覚えのない人ではあるが、おそらく、悟朗の顔見知りであろうと解釈して、文月はぺこりとお辞儀しておいた。それから、メニューを開く。美女の正体を知るよりも、食欲が
「待て」
文月の興味関心の先がずれたので、悟朗は女神サマの後を追う。呼び止めた。
「何かしら?」
「おぬしが忘却魔法の使い手なのはわかった。じゃが、なにゆえ文月ちゃんを傷つけた?」
悟朗に相談を持ちかけた文月が泣いていた。なおももふもふさんを信じたい気持ちと心ない言葉をかけられたショックが涙の原因である。
いずれにせよ、女神サマが、文月に対して、もふもふさんへの疑念を持たせるような行為をしなければ、発生していない。
「作中の謎は、その作品の中で説明されていなくてはならない」
「……ほう?」
「もふもふさんが白くてもふもふのオオカミに変えられてしまった理由に触れなくてはならなかったから。この部分の説明がないまま、物語が進行していくのは読者に対しての不義理じゃないかしら? そうは思わない?」
「どうじゃろうな?」
「私としてはね、彼にはミッションを完遂してほしいの。苦難を乗り越えた先で、絶望にたたき落とされたときの姿が見たい。だから、鏡文月には忘れてもらった。――あなたも、どう? 読まなかったことにする?」
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