ランチタイムはふたりきりで
運動会の午前のプログラムが終わった。低学年の出番はここまでになる。上級生に兄や姉のいる児童は、教室に戻って帰りの会を終えてから、家族席へと移動するケースが多い。環菜も例に漏れず、両親と弁当を食べるそうだ。
「このまま白組優勝、だもんね」
今は白組が優勢となっている。午後の大一番は六年生による全員リレーだ。
「それはどうかな?」
赤組にも逆転のチャンスはある。四年生以上は各教室でランチタイムとなるので、文月はそう言い残して教室へと移動した。午後のプログラムの開始までに自分の席に戻ればいい。
「桐生くん!」
廊下で手を洗って、教室に入る。先に帰ってきていた貴虎を見つけて、声をかけた。
「おう!」
貴虎も貴虎で文月を探していたようで、文月から声をかけられて左手を挙げる。そして、ふたりで学習机を合わせて、弁当を広げた。教室で食べる昼食は、いつもならば給食なので全員同じメニューだが、弁当となると各家庭の個性が出るものだ。
「わあ、オムライスのおにぎり?」
「そう! おかずはからあげに、ハンバーグと、ポテトのベーコン巻き! おれの好きなものを入れてもらったぜ!」
「おにくばっかり……もふもふさんが見たら怒っちゃいそう……」
「犬なのに?」
「食事は栄養バランスが大事、ってよく言っているから」
今回の弁当はもふもふさんのお手製ではなく母親の作ったものだ。最近の文月の手料理から、母親も“料理好き”として刺激を受けているようで、栄養バランスだけでなく彩りも重視されている弁当となっている。
「そんな、おかずをちょこっとずつしか入れていない弁当じゃ、午後の途中でおなかが減っちゃうぜ」
貴虎の目にはそう見えたらしい。弁当箱のサイズも一回り以上違う。
「給食と同じぐらいだと思うけど……」
文月の言うとおり、計測すると給食よりも品目は多くて量は同じぐらいになる。貴虎の『これぞ小学生の男の子の弁当』のボリュームがありすぎるだけだ。
「鏡がリレーまでにへばらなければいいか。頼むぜ!」
「う、うん!」
あの徒競走での走りを目撃してしまったからには、全員リレーでの活躍を期待してしまうのも無理はない。貴虎からの熱い言葉に、二回うなずく文月である。
徒競走では名簿順だが、全員リレーでの走る順番は前日までに体育委員が決めている。なので、あの“韋駄天”と再びの対決になるかは並んでみなければわからない。
体育の授業では、バトンのスムーズな受け渡しの練習しかしていない。予行練習もなく、本番の一発勝負。
「今日の鏡の走りはすごかったぜ」
「そうなの……?」
「みんな大盛り上がりだったぜ。あの“韋駄天”の児玉より速いなんてさ」
と言われても、文月には実感が湧かない。覚えているのは、振り向いたひかりの、こわいものを見てしまったかのような、驚きの表情のみ。
もふもふさんとの特訓では、動画を撮影していたから、自分が昨日よりも速くなっていることを映像で確認できた。はたして父親は娘の本番での走りを撮影できているだろうか。
「そうだ、桐生くん」
貴虎が付けっぱなしにしている金色のリボンを見て、自分もまた同じ金色のリボンを持っていることを誇らしく思いながら、文月は『例の件』を切り出す。この徒競走で一位になるべくして努力する原動力となっていたのに、今朝もふもふさんに言われるまで忘れていた『例の件』である。
「わたし、ウォータースライダーのあるプール、行きたいな」
「お! ……ほんとうに? 無理していない?」
一瞬喜んだ貴虎だが、気遣う言葉が出てくる。文月は少し胸が痛んだ。
「あのときは断っちゃってごめんなさい。環菜に教わって、泳ぐ練習をしたから、今なら平気!」
「なら、行こうぜ! じいちゃんが車に乗せてくれるから、電車の心配はしなくていいぜ!」
じいちゃん。貴虎のじいちゃんというと、午前中に会ったあの人。なんだかこわいことは言われたけれども、タコさん公園の不審者を倒したというし、悪い人ではない。何よりもこの貴虎の祖父だ。悪い人のはずがない。
「来週の土曜日は、環菜のダンス発表会があるから……」
「おいおい、鏡、気が早いぜ。プール開きは、七月に入ってからだぜ?」
「あっ」
太陽はさんさんと校庭を照らしていても、まだ五月。春季の運動会である。早とちりしてしまって、文月は水筒からお茶を飲んでごまかす。
「だから、夏休みに入ってから行こうぜ」
「うん!」
文月の夏休みの予定が一つ、追加される。昨年までの夏休みは、涼しい部屋でごろごろしたりゲームをしたりしていたら新学期になっていた。ろくな思い出がない。環菜とふたりでタコさん公園の夏祭りに行っても、文月は失敗ばかりで楽しめず、環菜は途中で離れて友だちと巡っていた。この夏祭りに関しては、今年はもふもふさんがいるのでひとりにはならない。学校に犬を連れてくるのは問題でも、祭りに連れて行くのは問題ない……と思いたい。
「夏といえば、仮面バトラーの夏映画を観に行かないと!」
「夏映画?」
観に行こう、ではなく、観に行かないと、ときた。仮面バトラーフォワードから仮面バトラーを見始めた文月にはなじみのない文化だ。
「夏映画は中間フォームが出てきたり、作中の謎が解き明かされたり、物語を追っていく上でも絶対観たほうがいいぜ。でも、何より、映画館の大きなスクリーンと大音量で仮面バトラーが観られるのがいい!」
「おおー!」
「いっしょに観に行こうぜ」
「行く!」
もう一つ、追加された。母親や環菜も毎週『仮面バトラーフォワード』を見ているので、母親や環菜もともに観に行くかもしれない。貴虎がここまで言うのなら、かもしれないではなく観に行ったほうがいいだろう。みんなで映画を観に行くのは何年ぶりか。昔、ジブリの映画を家族で観に行ったきりのような気がする。
「やばい、話してたら食べている時間がなくなりそうだぜ」
「わわわ! いただきます!」
「いただきます!」
この後、全員リレーの際にフォワードの主題歌『Go forward!!』が流され、ふたりのテンションが爆上がりした。
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