第8話

 もふもふさんによって髪型を変えられて、落ち着かない気分になっている文月だったが、母親からは好評である。思い出せる範囲で、小学校の入学式以来の「かわいい」をいただいた。なので、このまま登校しようと思う。

 環菜は目も合わせてくれない。姉としてはさみしいが、昨日の今日だ。――そのうち、もふもふさんとも仲良くなってほしい。

『服は、順番に買い揃えて行きたいすね。文月のおこづかいの範囲でどうにかできないか、考えておく』

 朝食を終えて歯を磨き、クローゼットから服を取り出す。その服のラインナップを見てのもふもふさんの言葉に、文月は反論する。

「買いに行かないとダメ?」

『この服って、文月のママが買ったものすよね』

「おばあちゃんが買ってくれたのもあるよ。これとか、これとか、そう」

 文月の祖母は『趣味が買い物』の人で、本人が「欲しい」と思ったものは値札を見ないで買い物カゴに入れてしまう。買って満足してしまうので、タンスの中には値札がついたままの状態の服がたくさん詰め込まれている。長期休みで帰省した際には、この趣味により購入されたお高めのブランドモノの子ども服を山ほど持って帰らされるのだ。

『……』

 似合うか似合わないかの二択なら、文月には似合わない。文月の財力を考慮すると、できることならば配られた手札で勝負したいのに、完璧な組み合わせが思い浮かばなくて、もふもふさんは黙りこくってしまった。一枚のカードのパワーはそれなりに高い。値段なりに、生地もいい。ただ、ファッションというものは上下のバランスと本人のキャラクター性、もとい、相手からの見え方を考えなくてはならない。下手な取り合わせは、小学校という閉鎖空間では命取りだ。一発ネタをしに行く場所ではない。一回のミスが一生擦られる。

「どうしたの?」

『今手に持っているのは?』

「今日着ていこうとしている服」

『……そうすか』

「えぇ? ダメ?」

『ダメじゃないすけど、よくもないというか。それと、服を脱ぐのなら外出るんで、扉開けてもらえないすかね。着替え終わったら開けてもらえれば』

「よくもないならダメなんじゃ? そんなに言うなら、もふもふさんが選んでよお」

『今日の最高気温は』

 服を指定されると思っていたら気温を聞かれた。文月の部屋にテレビはない。テレビはリビングに一台のみ。天気予報を見るべく、文月は目覚まし時計を持ち上げる。アラーム以外にも、電波を受信して正確な時刻に調整してくれる機能と、目覚まし時計を使用している場所の天気予報を表示する機能があった。

「15度」

『なら、長袖に、カーディガンがあるといいんじゃないすか? 自分で調整できるようにしておいたほうがいいすよ。予報は予報なんで。暑かったら脱げばいい、寒かったら羽織ればいい』

「じゃ、これと、これ?」

 ボーダー柄の長袖ティーシャツと灰色のカーディガンを選んで、もふもふさんに見せてみる。

『あとはスカートかズボンか。どっち派?』

「どっち派ってことはないかな。服は着られたらいいかな、って思っているから、こうしていろいろ考えるのって初めてかも」

『文月はかわいいので、何を着ていてもまあそれなりにはなるんすけど、どうせならもっとかわいいほうがいいじゃないすか』

「うん……」

 面と向かって「かわいい」と言ってくれるのは祖父母ぐらいなものだ。その「かわいい」という評価への肯定ではなく、照れによる受け流しだ。そこまで自意識過剰ではない。

『そうは思わない?』

「パパもママも、環菜にはよく『かわいい』って言っているけれど、わたしが『かわいい』って言われるのって、あんまりないなって」

 よくできる妹と、そうでもない姉。両親が文月に対して何もしてこなかったわけではない。文月にも幼児教育から小学校六年生となる現在にいたるまで、一般的な親がそうであるように、愛情を注いできた。ただ、姉は、三歳年下の妹と違って要領がよくない。一つの物事をしている時に別の物事を平行してやり遂げることができない。それでいて、集中力が続かずに、中途半端なところで諦めてしまう。新しいことへのチャレンジ精神はなく、現状を維持していきたい。消極的で、引っ込み思案。長所といえば『手のかからないいい子』という点だ。

 三歳年下の妹は真逆だった。積極的にいろんなことに取り組み、やりたいことを尻込みせずに大人たちに伝えて、様々な経験をしている。特に、昨年まで毎日通っていた水泳教室での成績は優秀で、ただの水泳教室に通っている小学生に留まることなく、強化指定を視野に、より専門的なスイミングクラブへの転属を勧められたほどだ。両親も、これといって目立った実績のない姉よりも、賞賛の的となっている妹に入れ込むわけである。

『なるほどなるほど。文月と環菜はタイプが違うだけで、どちらもかわいい』

「そうなの?」

『好みの問題すね』

「なら、パパもママも、わたしより環菜のほうが“好み”なのかな」

『比べられるものじゃないんすよ。子どもにはわからないものなんすけど、両親は、どちらの子どもも大事に想ってくれている。だから、文月は環菜と比べるんじゃなくて、環菜みたいになるのを目指すんじゃなくて、文月らしくがんばっていけばいい』

「そっか……わたしらしさ……」

 朝から落ち込んでいる文月を励まそうとしたつもりが、より深みに落とし込んでしまったような気がして、もふもふさんは後頭部を掻いた。文月が「かわいい」のは客観的に見ても事実だと、もふもふさんは思っている。どうにかして本人に自信を持ってもらうのが今後の課題になりそうだ。

『文月には俺がいるから、いくらでも相談に乗るんで。ふたりで“ヒーロー”になるためにもね』

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