第6話

 風呂上がりの文月は、眉をひそめている母親と敵意がむき出しの環菜に行く手を阻まれた。その後ろからひょっこりと、もふもふさんが頭だけを出して様子をうかがっている。

「おねえ! 犬の話、ママにしていないでしょ!」

 文月はもふもふさんを見る。もふもふさんはしょげたように耳を傾けて『文月が風呂行ってから、環菜が文月の部屋に入ってきたんすよ』と告げ口した。

「ママ! ほら! 犬がしゃべっているでしょ!」

 もふもふさんを指さす環菜だが、あいにく母親にはもふもふさんの姿が見えていない。文月に助けを求めるような目線を送ってくる。

「い、いないよ! 犬なんて! だって、このマンション、ペット禁止だし!」

『犬じゃなくてオオカミすからね』

 母親としては、環菜をまったく信じていないわけではない。だが、指さした先にはフローリングの床しか見えていない。そして、文月はと主張している。ペット禁止なのもその通り。この辺は野良犬がうろつくような街でもない。捨て犬も見たことがない。

「おねえ! ウソつかないでよ!」

『環菜、諦めろ。オトナにオレの姿は見えないってわかったろ?』

「スポセンでも、おねえの様子がおかしかった! 頭に変な耳の、ディズニーランドのカチューシャみたいなのを付けてて! お料理作ってるときも!」

「でぃずにー……らんど……?」

 とぼけているのではなく本気でわかっていない。文月がもふもふさんにカラダを預けるとき、文月の意識はシャットダウンする。頭に耳が生えているとは知らない。

『今度写真撮っておこうか』

 文月は言葉ではなくうなずきで返答した。自分の頭に変な耳。風呂で洗い、洗面台でドライヤーを使って乾かした髪の毛を触る。

「環菜ちゃん。疲れているようなら、今日は早めに寝なさいね」

 母親は、主張が食い違う娘ふたりのうちの姉を信じたようだ。もふもふさんの姿が確認できないので、環菜には分が悪い。

「もうっ!」

 負けを認めて、環菜は自室へ入っていく。母親は肩をすくめて、台所に戻っていった。

『なんとか切り抜けたすね』

「環菜には、悪いことしちゃったな……」

『自業自得すよ。オレは何度も言ったのに』

 もふもふさんは後ろ足で耳を掻いている。文月が手を伸ばして、その掻いている箇所をなでた。子どもには、その姿が見えるし触ることもできる。

「となると、学校には行けないか」

『さっきの比じゃないぐらいの問題になるんじゃないすかね』

 犬を連れてきた時点で何か言ってくる子はいるだろう。先生に密告されようものなら、さきほどの母親とのやりとりの繰り返しだ。原則、犬は学校に連れて行けない。

「もふもふさん、頭いいから。もふもふさんを連れて行って、先生に当てられたら、もふもふさんに聞きたい。そしたら、すぐに答えられるし」

 文月は心底残念そうにつぶやいた。風呂に入る前の会話から、文月の頭の中ではもふもふさんが知識人キャラと位置づけられていた。先生に指名されると、答えがわかっていてもしどろもどろになってしまってうまく答えられない。わかっているのに、である。自信が持てない。もふもふさんが背中を押してくれたら、心強い。

「それか、もふもふさんが学校に行く?」

『学校、行きたくないんすか?』

「行きたくないわけでは、ないかな……勉強は難しいし、運動も苦手だけど、給食は美味しい! あっ!」

 給食の流れから、文月はまだ夕食のお礼を言っていなかったのを思い出す。

「さっきの夕飯、美味しかった。ママもすっごく褒めてた」

『お口に合ったならよかった』

「でも、わたしのお皿にピーマンが多かったのは良くないと思う。ピーマンは苦手だからやめてほしい」

『多かったすかね?』

「うん」

『次は気をつける』

 もふもふさんは平等に取り分けている。しかしながら、苦手なものは目についてしまうものなのである。

「あと、あれをわたしが作ったことになっちゃっているのは、なんだか……その……手柄を横取りしている感じが、する」

 思っていたことを口にできた。褒められるべきなのは、自分ではなく、もふもふさんだ。料理の知識だけがあって作り方を知らないのなら、運動の話と同じなのだが、文月は元から料理の知識があるわけではない。

『文月は、変身ヒーローが好きなんすよね?』

「仮面バトラーフォワード」

 変身ヒーローにも種類がある。文月が好きなのは仮面バトラーだ。

『フォワードにも、変身する前の人がいるじゃないすか』

「変身者は望月もちづき勝利しょうり……」

 演じているのはさきがけ泰斗たいと。アイドルとしてデビューして、オーディションで望月勝利役を勝ち取った新進気鋭のイケメン俳優である。

『要は文月は変身者のほう。オレだけじゃ、何もできない。いうなれば、オレの力を借りて“変身”しているようなもんすよ』

「そっか……そうかも……?」

 言いくるめられたような。とはいえ、文月としては、美味しい料理を食べられるのは嬉しいので、今後も料理を作ってくれるのなら作っていただきたいところではある。今のところは、自分に取り分けられたぶんのチンジャオロースのピーマンが多かった点しか文句はない。

「そうだ。体育のときだけとか、料理を作ってもらいたいときだけとか、必要なときだけ変身するのは?」

『……手柄を横取りしているみたい、と言っていた子の言葉とは思えないすね』

 少しばかり怒っているように聞こえた。調子に乗りすぎたかもしれない。文月は口をつぐんだ。

『文月がそうしたいのなら、オレはいくらでも変わっていいんすけど。神サマ曰く、あんまり交代し続けていると、カラダを奪い取ってらしいすよ』

「それは……やだな……」

『オレも嫌』

「嫌なの?」

『文月が嫌って言うものは嫌。あと、オレは元の肉体に戻るために“善行”を積んでいるんで、文月になりたいわけじゃないすからね』

「じゃあ、ほどほどに……よろしくお願いします」

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