キラキラと輝くもの2

 せめて、最後に――。

「んちゅ」

「むっ」

 瞳に千香が映っている。無表情。そして柔らかい。薄い唇羨ましい。

 ここに来てどういうつもりだろう。最後の晩餐というやつか。考える間もなく離れていった唇が再び触れる。今度は長く。そういえばキスって久しぶりだなあと気付き、そこで始めて違和感を抱いた。何にって自分にだ。はて。

 唇から割って入れられた舌ははじめて出会った時の貪るようなそれじゃなく、ちろちろと啄むような、遊ぶような動きだ。千香の鼻先にすーっと冷たい空気が通り触れた。この感覚がMDMAというやつか。冷たい空気というのはそれっぽい。麻薬をアイスと言うのを聞いたことがある。そうして直後に柑橘系。そう、柑橘系。……柑橘系?

「あの……」

 離れていく富美に千香も合わせて起き上がった。富美は正座と女の子座りの半々になったような座り方をしていた。千香はいつぞやしたマーメイドの格好である。

「これは一体どういう」

 鼻で嗤われた。

 カランと音がなった。

「あぶなっ!」

 出刃包丁を投げてきた。スローを描く包丁と千香との距離は500ミリと離れていて、傷つけないようにと気遣ってくれているのは伝わるが、それでも刃物だ。いや、そういう問題ではない。では一体どういう問題か。

「ばーーーーーーーーーーーーーーーーーーーか」

「はあ。ばかですけど?」

 ばかだから突貫したのだ。それは否定しない。できない。後先など考えていなかったことは確かだ。しかしなんだろうこのゆるい雰囲気は。直前までのあれは何だったんだ。

 富美が立つ。投げた包丁を四つん這いして持ち立ち上がり――また取るんなら投げなければいいのに――台所の所定の場所へと戻した。何がしたいんだこの女。

「あの……」

「なに? あ、夕飯でも食べてく? 積もる話もあるだろうから」

「積もる?」

 この女も夕飯を食べるんだと思いながら、富美のケツから視線を外し部屋を見る。先程富美がいた場所に何か落ちている。あれは一体なんだろう。今、自分はどういう状態なんだろう。

「MDMAは?」

「後ろに落ちてるよ。食べたいなら食べれば? ああ、でも残り少ないから一粒にして」

 つと立ち上がり、先程富美が座っていた窓辺に寄ってみた。手のひらくらいのケース。これはコンビニで見たことある。買ったことはないが。

 この手の物は好かない。スースーするのは嫌いだ。辛いのも嫌だ。そう、さっきのミントみたいな感覚は。

「最近は、MDMAをミ○ティアのケースに忍ばせるのがプロの作法なの?」

 だから、香りが移ったの?

 そういうことってあるんだ?

 言外に忍ばせた問いに相手は気付いたかどうか。最も、これ自体無理くり捻り出した問いであることは否定しない。ここに来てもう理解し始めている。これは、間違いなく――

「知らない。そういう人もいるんじゃないの?」

 ――馬鹿にされている。

 ばったんばったん冷蔵庫を開け閉めする音がした。見ると、富美がごぼうを持っていて、蛇口で水を出し、丁寧に洗っていた。なんてごぼうが似合わない女なのだろう。

「……わたしも手伝おうか?」

 とりあえず言ってみた。

「千香ちゃんはー何ができるの?」

 喉奥で発したような甲高い声。甘い口調。

 はじめて会った時のそれ。

 つまりは子供扱い。

「……なにも?」

「そう。そこに台拭きあるからテーブル拭いといて。あとさっき崩した本片しといて」

「……何つくるの?」

「きんぴらと肉じゃがとポテトサラダ」

「……面倒くさそう」

「実際時間掛かるからママにでも電話しておけば?」

「さっきからずっと馬鹿にされている気がする」

 千香は素直に従った。友達の家に今日は泊まると。母には「男か」という半笑いの言葉を頂戴した。背後で「女だあ!」と富美が声を上げて、それを聞いていた母が、「なんだー」と、がっかりしていた。

「相手のお家に迷惑掛けないようにね」

「うんわかった」

 頷き、千香は電話を切った。

 ディズプレイには『ママ』と表示されている。

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