いつか夏の木陰の下、少女は、お姉さんに。2

「ちゅーしたことある?」

「ともだちと。あそびで」

「こういうの?」

 言うが早いか、お姉さんがキスをしてきた。触れるか触れないかという、キスとも呼べない弾みのようなキス。立ち止まり、振り向き様で突然だった為、千香が身を引いてしまったからだ。

 すでに心臓はばくばくと鳴っていて、自分がひどくとんでもないことをしているという気になっている。我に帰っていて、逃げ出したくなっていた。泣き出したくなっていた。

 その表情を見逃さなかったのだろう。お姉さんは千香の背中に手を伸ばすと、柔らかく抱きしめた。そのまま背中をさらさらと、上から下へ撫でた。ぞくりと怖気が走る。その手付きは安心という言葉とは無縁だ。

「こういうのは?」

「んっ。くふ」

 背筋を擦っている右手とはべつの左手で千香の頬を持ち上げると、お姉さんは舌をねじ込ませてきた。舌は挨拶するみたいにして、千香の舌の先をつついてくる。拍子に千香が口をほんの少しばかり開く。受け入れたと勘違いした――のではないだろう、単純に隙を見逃さなかったのだ。千香の唇が吸われ、啄まれる。その間今の今までつついていたささやかだった舌の動きが激しくなり、冷凍庫の奥で固く凍ってしまったアイスクリームを融かすみたいにして、千香の短い舌をぐにゃぐにゃにした。「あ、あえ、え」と千香が苦しげに呻くと、時折思い出したみたいに唇を放してくれる。息を吸う間に唇を塞がれ、その間、頬を持ち上げていた指が今は、千香の耳の穴に突っ込まれている。かさ。こそ。と、触れたり触れなかったり、塞がれたり出したり入れたりなぞったり、脳髄で音がする。脳を侵されている。千香は知らず、自分でも意識せずお姉さんに縋り付いていた。お姉さんが千香の背中をぎゅうっと押さえつける。互いの体の違いを、互いの体の凹凸を、否が応でも意識する。肩、は上。お姉さんのふんわりとしたワンピース上では分からなかった、思いの外大きな胸は、千香のおっぱいの上あたり。その千香の小さなおっぱいは今下着の下でつん、とその先を尖らせていて、お姉さんの下着下部の固く細いラインで千香は勝手にひとり気持ちよくなっている。上はユニクロの、柔らかいブラキャミソールを着ていた。下は――

 脳が、脳が侵されている。

 じゅ、るるる、

 と、音が立った。お姉さんが唇を放してくれたのだ。引いた糸をしばらく眺め、つと、疑問の眼を向けた。木漏れ日で見えにくい。けれど線を引いたみたいに瞳は嗤っていて、唇は全然嗤っていなかった。足りない、と云われているみたいだった。

「どうしたの? そんな風に立って」

「わ、わかんない。お姉さん。わたし、わかんない。ねえ」

 せがんでいる自分がいた。

 次を求めている自分がいた。

 わざと彼女の求める少女の姿に身を貶し、でき得る限りのはしたない格好をしている自分がいた。

 内股で。左手でスカートの裾をぎゅうっと握り皺を寄らせて、右手は己の腕を抱いて、上目遣いで彼女を見上げる。震える唇に涎を滴らせた様は、自分が自分じゃないみたい。

 バン!

 という音が、そんな千香の体を震わせた。

 エンジンが切られる音。それから中年男性と思しき声とふたりばかりの子供の声が続く。園児、或いはそれ以下か。そう、このすぐ向こうが駐車場になっているのだ。

 千香は己の姿を改めて意識し、顔を真っ赤にしながら熱い息を吐き、いつまでも向こうに行かないもたついている家族連れを隣にし、それでもお姉さんの、

「言って」

 という、囁く声に従うことしかできない。

 千香は握っていたデニム生地のスカートさらにもう一方の手を掛けた。流石に躊躇われた。息が止まった。着用しているぴったりとしたショーツに、じんわりと昂りと困惑を示す愛液が滲んでいる。手を掛けたその瞬間に分かってしまった。いやだ。いやだ。どうしよう。でも。でも。でも! 射殺すようなその蛇を思わせる視線に耐えられない。

 ゆっくりと、ゆっくりと。

「もっと」

 吐き出す息と共に囁き、

「きもちくして」

「やって」

「おねがい」

「お姉さん」

 一言一言区切り丁寧にスカートをたくし上げ哀願した。

「…………」

「…………」

 沈黙。沈黙。

 いくら待っても返事がこない。あれ。おかしいな。だめだったかな。ちがったかな。なにせこんなのはじめてだし、あれわたしなにやってるんだろ。と、スカートのたくし上げたまま俯いていた千香の潤んでいた視界が次第にはっきりとしてくる。

「へ」

 遅れたように反応を返すお姉さんの「へ」は直前まで求めていた千香の期待するそれじゃない。

「あっ!」

 と、驚く千香のはっきりした視界の先、朧げだった視界の先にある、それ、『下』を千香はようやく思い出した。

 ユニクロで買ったブラキャミソールとおそろで買った下着、パンツ、だったらまだ良かっただろう。バレなかっただろう。不審に思われなかっただろう。

 それ、下、本日のパンツ。

 本日千香は随分と大人っぽいデザインのパンツを着用していた。だってそう。脱がされることまで想定していなかったのだ。晴天の下、子供っぽい姿を晒そうとはしていたが、木陰の下で己が下着まで晒そうとは思ってもいなかったのだ。

「お名前、なんていうの?」

 変わらず突っ立ったまま、けれど先までとは雰囲気の全く違う『お姉さん』が尋ねてきた。千香はたくし上げたままの姿勢で応える。顔が上げられない。上げることができない。

「千香」

 遅れて、

「です」

 付け加えた。

「千香ちゃんは何歳なのかな?」

 わざわざ幼児言葉で云わなくても。

 頭をツインテールで結った、ぼんぼんの付いたヘアゴムで結った、洗濯し過ぎて色あせたデニム生地のスカートをたくし上げた自称十歳の少女は言う。

「二十三歳……」

「おない年じゃん」

「う、う……」

 情けなくて泣きたくなった。いや泣いた。

 よりによって千香は本日、ピーチジョンセレクトの全面にレースのあしらったとんでもなく大人っぽいショーツを着用していた。腰回りは紐同然、フロントの股周りなどは生地がひらっひらで薄い。それに愛液を滴らせた千香の陰毛が透けて見えて張り付いている。

 お姉さんは、下着と、その十歳にしては……、という、陰毛の生え方で千香が実年齢を疑ったらしい。偽っていると判断したらしい。

「ちなみに、平成」

 お姉さんの言葉に千香は従う。素直に告白する。

「……年」

「年上じゃん……」

 まさか、年上だとは思わなかったようだ。

「うう」

 そのお姉さんも顔を覆っていた。蹲って耳まで真っ赤だった。己のとんでもない性癖を同年代の少女に知られた恥ずかしさからか、何なのかは知らない。けれど、そう遠くはないであろう。

「なにやってんのよ」

 それは誰に向けた言葉だったのであろう。千香か、自分か。両方か。

 夏風がふたりの間に吹いた。ぶる、と千香は体を震わす。湿りを帯びた女陰への風は、昂ぶった気持ちを存外冷ますことなく弄ぶ。わたしはどうすればいいのだろう。スカートをたくし上げた姿勢のまま、千香はその手の下げ時を見失っていた。いつの間にか親子は消えている。蹲るお姉さんのつむじの辺りを見、なら、もういっそこのまましてくれないかな、とか、投げやって思っていたところで、

「なにしてんの。行くわよ」

 お姉さんが千香を一瞥して投げ放った。身を翻し正に颯爽とその場を去る。けれど後ろから見えるその耳とうなじは未だ真っ赤っ赤。

 ああ、付いて行くしかないな。と、千香はようやくスカートから手を放し、この人のことをもっと知りたいという、この場ひと時ではない感情が生まれた。


 かわいい――、なんて、思ってしまったのだ。

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