ジョークか、マジか。3

 暑い夏であった。

 とはいえ、連日の酷暑が続いた中では些かマシな日であった。七月半ばの三十一度は、昨今の常識に照らせばマシな方であろう。

 そう考える人は多いのか、目につく子供たちの数、連れ添う大人の数は、千香が思っていたよりもずっとずっと多かった。公園の入り口に立った瞬間、恥ずかしい気持ちが芽生えるも、己が姿を見下ろし、走りやる子供たちに目をやり、なあに却って紛れられる、と深呼吸し自分を落ち着かせた。胸板をげんこつで軽く二回叩き鼓舞し、入口にある車止めを超えていく。

 街の公園。

 千香が通う大学とも離れ、また家とも離れている、この周辺では二番目くらいに大きな公園である。一番大きな公園は、広場遊具は元より動物園が隣接されている観光地といっても良い程の公園で、二番目であるここは、遊具広場にプラスして勾配のあるトラックコースとマレットゴルフ場が整備されている、近隣の人たち以外はやって来ない場所だ。

 千香はまず公園を一周しようと考えた。

 ゴム製の細いトラックは避け、その脇辺りを歩こうと。

 ゆっくりとした歩調で足元の感触を確かめるように歩き、少し手を広げて必要以上に脚を上げたりして、世界名作劇場のヒロインになった気持ちでゆく。

 脇を通り過ぎていく仲睦まじい様子の年配の夫婦や、サングラスをして黒髪を風に靡かせるスマートな男性、恐らく千香と同年代くらいであろう女性。皆が千香を追い越していく。

 今の千香が今年二十三歳になる成人女性だと映ることはないであろう。

 きっと、一人で遊ぶ小学生くらいの女の子に見えているはず。

 肩にフリルのついたオフホワイトのトップスに、デニム生地のミニスカート、真っ赤なコンバースのスニーカー。てんでばらばらな服装は、押入れの奥から引っ張り出してきた千香が子供時代のものだ。髪は左右で纏めてツインテールにしている。

 近くで聞こえてくる子供たちの甲高い叫びと笑い声につられて頬がゆるんだ。

 いいものが浮かんできそう。

 天気は晴れ。日焼け止めを塗ってきたが、今後を考えると少し焼けているくらいがちょうどいいかもしれない。わんぱくな女の子。千香はますます子供になれる。


 千香は小説家だった。

 とある地方誌で主催されている新人賞を取ってデビューした。幸か不幸かその年の新人賞を受けデビューしたのは二人。一人は売れて注目されて本屋大賞候補作なんかに引っかかったりして、一人はさっぱり売れなくて評判も芳しくなく、二作目はここ一年以上出ていない。

 後者が千香だ。

 困ったことに。

 そう、千香は困っていた。

 もう一人の方はデビュー作の実写映画化が決まったらしい。今朝ニュースで知った。千香はニュースを反射的に消した。見ていた両親から文句を言われた。

 彼はもう三作目の出版が決まっている。千香は二作目が決まるどころか、最近は編集とも連絡を取っていない。三ヶ月前が最近といえるかどうかはだいぶ微妙なところだが。

「はあ~」

 気落ちしてくる。

 天気はこんなに晴れやかなのに。

 昔から、それこそ子供の頃から小説を書くのが好きだった。千香は筆の早い方で、早い時には一月で八万文字くらいの長編を一本書ける。だが筆の早いのが問題で、プロットも構想も書けない――書かないんじゃなく書けない――千香は手癖で話がどんどん似通ってくる。

 感覚派なのだ(言い訳)。

 そうして、千香の感覚で書くお話は、暗く、じめじめしていて、救いがないらしい。

「それが受けたと思ったんだけどなあ」

 そう。それが受けて審査員たちの目に留まってデビューできたのだ。賞を貰い、出版させて貰えたのだ。少なくとも良い評価をくれた人もいた。ついったーだとか読書メーターだとかブログだとかのーとだとか、一応、一応いたのだ。少ないなりに。千香はネットに載せられた己が評価を一時期調べに調べた。検索し尽くした。

 悪評は目に入った瞬間、ブラウザごと消した。

 今までとは変えてみましょうと言う。デビュー作のアレは一旦忘れ、明るく希望がもてる話なんてどうでしょうか、そうだあ、連作短編なんてどうですかとか担当は適当言ってくる。

 あんまりだと千香は思った。

 立ち止まって、風に靡く草木を見やった。

 幸せってなんだろう。明るいってなんだろう。希望ってなに。それは今、自分の周りを走り回っている子供たちのことか。象徴。そんな言葉が浮かぶ。

 その象徴たる子供へ忍び寄る魔の手――。

 ぶんぶんと首を振る。だめだ。一旦忘れる。一旦忘れる。呪文のように唱えて、なんとすれば破滅へ至らんとする思考を忘却しようとする。

 疲れる。疲れた。勾配が思ったよりもきつい。まだ一周すらしていないが。コンバースのスニーカーはぺったぺたでウォーキングには向いていない。今後を考えると。専用のシューズは大げさ過ぎるし、何より今の子供スタイルを崩すのはいやだ。中敷きでも買おう。

 考え、視線を彷徨わし、少し行った先に四阿を見つけた。

 そこは子供たちが遊ぶ遊具広場から一段下がった場所にあって、恐らく古くからそこにあるのだろう、遊具や、公園内にある他の目につくオブジェと比べてみても、随分年季が入ってるように感じられた。

 誰もいない。

 遊具広場からは目に付かない位置にあるし、ランニングコースの人たちは前を通り過ぎていくだけだ。近づく。影に入る。葉っぱと枝と土と泥で汚れたコンクリートをずりずりと気にせず歩く。四方に設置してあったベンチの中でも奥へと腰を下ろした。

「よいしょっと」

 ミニスカートから出した脚に触れるひんやりとした木の感触が心地いい。

 千香がこんなことをしているのには理由がある。こんなこと――コスプレめいたこの子供の格好のことだ。

 小説のアイディア出しをする為、屋外の開放的な場所に赴きそこで頭をひねる。自室で延々唸っているより、よっぽどアイディアが出る為、そうする。そんな作家は多いのだと思う。千香も日常の何気ない瞬間、不意に頭に浮かんだりする。すると、良いのが書ける。千香がアイディアを浮かぶ場所トップ3は、本屋への行き来、トイレに立った瞬間、ご飯を食べているときだ。

 要は限られているのだ。一日の中でそれらの時間は。本屋への行き来は往復三十五分で終わってしまうし、トイレはトイレだ。浮かばないからと云って、四六時中トイレに立つわけにもいかないし、意識的にやったらそれこそ自室にいるのと変わらない。アイディア出しの為に、ご飯を延々食べていたら太る。ちびででぶなんて目も当てられない。

 その時間を増やそうと考えた。

 開放的で、気持ちがリラックスしている時間を。とにかく。いっぱい。

 次作の為。今作の為に。

 作家だ。プロなんだ。本を出し、お金が入ってきている。今までみたいになあなあでなんとなくじゃだめなんだ。だからこその行動。違うことをやってみようと思った。

「……」

 右、左、もう一回、右、視線を左右へやる。なにか、視界に走った気がするが……、気のせいだろうか? 千香は息をつく。体力ないなと俯き足を揉む。

 千香は気にしぃだった。実際にこの服を着てはしゃぎ回っていた時代から。

 人からどう見られているか気になる。というよりも、あまりひとりでいるところを、知り合いに見つかりたくないという、たぶん誰しもがもっている感覚。それが強い。

 田舎である。

 都会ならば、そんなこと気にする必要もないのだろうが、長野の地方となってくると、千香くらいの年の女性がひとりで散歩しているだけでも奇異に映る。

 少なくとも千香はそう思っている。

 ご近所は特に。考えたくもない。道っぱたなんか、この田舎の車社会、「千香さんだ」「歩いているところ見たよ? 土曜。あんなとこ歩いてどうした?」「デート? どっか行くとこだったの?」なんて、友人知人たちからの質問を想像するだけで鳥肌が立つ。

 だったら――。

 そう、ならば公園。公園……それも、ここだったら。けれど、もしそれでも誰かに会ったらと思うと……、だめだ、こんなことを考えていて良いアイディアなんか浮かびっこない。

 だったら、だったら、

 そう、そうだっ。

 変装? 変装をすれば……。それも、

 公園にいて、違和感のない格好――自分の容姿――を――考慮し――。

 これしかないであろう。

 子供だ。子供になる。子供に戻る。そうすれば誰から見られたところで分かりっこない。今の千香が知っている千香と同一人物だとは映らないはず。どこか、そのへんの子供。お母さんと一緒に来たか、友達と来たか、ひとりで来たか、流石に小学校低学年ということはないであろう。けれど、ちょっと背の高めな小学校高学年くらいには見えるんじゃないか。いやきっと見える。出かける前、千香は姿見を見て確信した。そうと見られるはずだ。絶対そうだと。

 もちろん、ここまでは車で来た。自分の。

 この格好は到着してから、車の中で着替える徹底っぷりだ。これでご近所にも、誰にも見咎められることはない。

 開放感。

 真夏の晴天の下でテンションは異様に上がっていたかもしれない。今思うと。

 腰を下ろし、落ち着いたところで、ふと冷静になった。

 目の前、コースをたったったと先のサングラスが駆けていく。周回遅れでおじいさんおばあさんが雑談しながらその後を追った。

「ランニングしてる人に紛れればよかった」

 冷静になるとこっちの方が見つかったとき恥ずかしい気がしてきた。

 気がしてきたではなく、ふつうに恥ずかしい、いや、わかりっこない、でも、だめだ、うーん……

 唸っていたところで、


「だいじょうぶ?」


 声を掛けられた。

 きれいなお姉さんに。

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