番外編 スパダリな恋人

「本当に、水と酒しかないんですね」

ペットボトルを手に戻ってきた耕輔が言った。

「設備とか器具だけ見たら、すっごい料理してそうなキッチンなのに…」

キャップをはずし、孝明に差し出す。

「したことないなぁ…。ありがと」

孝明はシーツにくるまったまま、事後の余韻で気怠い体を起こし、水を受け取った。

「したことがない」というのは、料理だけでなく、孝明の場合は家事全般に言えることだ。独り暮らし歴はそれなりにあるが、ホテル暮らしだったり、必要に応じて自宅に家政婦や清掃業者を手配したり、食事は外で済またり、自ら家事をすることはほとんどない。そう孝明が話すと、

「上流階級の発言だなぁ…。ああ、本物だった、そう言えば」

と、耕輔が苦笑した。孝明からペットボトルを受け取って自分も数口飲み、キャップを閉めてサイドテーブルに置く。ベッドに上がって、孝明の隣にくっついて座った。上流階級、なんて言葉を遣いながら、ちゃんと恋人として扱ってくれる耕輔に、孝明もすり寄った。

「…君だってほぼ外食だろ?」

鍛えられた耕輔の胸板を横目で見ながら、孝明が言うと、

「俺?俺は、自炊もしますよ?」

「え?嘘…ほんとに?」

「そんな驚くとこですか?」

耕輔は、孝明が驚いたことに驚いた顔を見せた。

「高校出て、そこからずっと独り暮らしなんで…。まあ、確かに最近は、あんまりしてないですね。忙しいし、何よりうまいものご馳走してくれる人がいるから…」

そう言いながら耕輔は、シーツごと背中から孝明を抱きしめ、首筋に顔を寄せる。

「…もしかして、お腹空いてる?」

孝明が尋ねると、

「まあ、気持ち…。だって事後って腹減りません?」

逆に問われ、どうだったかな?と考えて、あまり覚えがなく、

「ん~、僕は、あんま…、…ん」

イエスかノーかはあまり重要じゃないらしく、話の途中で、首筋や頬、肩に唇が触れ、ぬるりと舌が、這っていく。

「ああ、気絶しちゃいますもんね、いつも」

勝手に納得したように、耕輔が笑った。むっとして、

「そういうことじゃ…。…っ!」

孝明が反論する間もなく、ベッドに押し倒され、シーツが剥がされる。自分を組み敷く耕輔の喉仏がごくりと動き、孝明も息を呑んだ。白い肌に残る情交の痕跡に、また昂ってきたらしい。耕輔の欲望を孕んだ瞳に、孝明は少し怯んで、

「あ、何か頼む…?…ん、あっ」

気持ちばかりの抵抗を試みるが、なんの効果もないようだ。

「…もう一回戦したら…」

「あ、あ…あぁ…!」

鎖骨や胸の尖りに吸い付かれて、声が出てしまう。

年齢差があるので、ある程度は予想していたことではあるが、耕輔の体力はその予想をはるかに上回っていて、一度や二度では終わらない。おまけに「明日は二人とも休み」なんて夜にはと、それはもう、無遠慮に攻め立てられるのだ。

(う…、やっぱり気を失うかも…)

結果としてその予想は正しく、「もう一回戦」では済まずに何度も挑まれて、孝明が目を覚ましたのは、翌日、外がすっかり明るくなってからだった。


カーテンの隙間から差し込む陽射しで目を覚まし、孝明はぎしぎしと重怠く軋む体を、ゆっくりと起こす。

(?いない…)

その体はさっぱりと清められ、パジャマも着せられていたが、いつもなら、孝明が目を開けると、隣で微笑んでいる恋人は、その姿も温もりもすでにそこにはなかった。

ベッドルームを出て、リビング、バスルームと覗いてみるが、どこにもいない。

リビングに起きっぱなしだった携帯電話を見ても、メッセージもない。

「…え、帰っちゃった?」

耕輔が自宅に泊まるようになったのはこの一ヶ月程だが、黙って帰ることはなかった。

急に一人法師にされたような気がして、鼻の奥がツンとなり、孝明は自分で驚いた。

(これはちょっと…かなり引く…)

良い大人がこんなことで感傷的になっている。誰も見ていないのに、羞恥で顔が熱くなった。

その時、玄関チャイムが鳴った。

モニターを見ると、そこに映っていたのは耕輔だった。

自分でも引くくらい、嬉しくなって、孝明は慌てて玄関に向かい、ロックを解除する。笑顔でドアを開けると、耕輔も笑顔を見せ、

「ただいま…」

と、ドアから入りかけて、片手で顔を覆った。

「って、ちょっ…」

「おかえり!」

孝明のパジャマは上半身のみで、白い素足が剥き出しだった。もちろん下着は穿いていたが。

「そんなカッコで、ドア開けたらダメでしょう?!」

耕輔は慌ててドアを閉めた。

(冬彦に似てきたな…)

世話焼きの幼馴染みを思いだす。

孝明も、耕輔の姿に軽く目を見張る。

「…え?なに?買い物?」

目元を覆う耕輔の右手には車のキー、左手には布製の手提げバッグ。バッグの中身は食材のようだ。一息置いて、改めて孝明を見ながら、

「はい。好きに使っていい、って言われたんで…って、まず服。服、着替えてください」

そう言うと、耕輔は勝手知ったると言った様子でリビングに向かって歩き出した。孝明も、その後に続く。

耕輔がキッチンに入っていく。その顔は耳まで赤い。

耕輔は、夜はあんなに好戦的なのに、明るいところではこうやって照れを見せる。

(仕返し…)

孝明は、大人げなくそんなことを思いながら、「着替えて」と言われたことなどお構い無しに、カウンターの椅子に座った。

耕輔は「やれやれ」とでも言いたげな視線を向けはしたものの、それ以上何も言わなかった。

キッチンの作業台に買い物バッグを置き、慣れた手つきで中身を冷蔵庫に移していく。

「好き嫌いもアレルギーもない、って言ってましたよね?」

「う、うん」

どうやら、耕輔が今から料理を始めるつもりらしいと言うことは、家事経験のほとんどない孝明でも分かる。

『ちゃんと片付けてくれるなら、好きにしていいけど…』

昨夜、確かにベッドの中でそう言った。翌朝、すぐに取りかかるとは思わなかったが。

「朝飯、…早めの昼飯にしましょう。今から作りますから」

耕輔が、濃いグリーンのエプロンを広げて、腕を通し、後ろでクロスさせた紐を前に持ってきて結ぶ。シャツの袖を捲り上げ、丁寧に手洗いをするエプロン姿に、孝明は思いがけず胸が踊った。

(え、やばい…かっこいい)

耕輔はグラタンとサラダ、スープを作ると言う。

「コンソメは顆粒とかキューブとか使いますけどね」

そう手の込んだことはできない、と言いながらも、レタスを千切ったり、玉ねぎを刻んだりと、耕輔は休むことなく、調理を進めていく。刃物の扱い方も様になっている。ホワイトソースの作り方は始めて見た。孝明は子どものようにじっと見入ってしまった。

耕輔が一口大の鶏肉に、高い位置から塩を振った時には、「わあ」と感嘆の声をあげ、

「すごい…シェフみたい…」

と、孝明は目を輝かせたが、耕輔が恥ずかしげに目を伏せ、

「すいません、今のはただのパフォーマンスです…」

と言ってその後は普通に塩コショウを振っていたので、ちょっとした冗談のつもりだったらしい。そんな年下の恋人を微笑ましく思い、

(いいなぁ、料理男子…)

と、うっとりしながらキッチンの様子を見守っていると、オーブンにグラタン皿を入れ、調理器具を洗い終えた耕輔が、エプロンを外した。孝明の隣に立ち、空いている椅子にエプロンを置くと、

「焼けるまで時間あるんで…」

「っ…!」

耕輔は孝明を横向きに抱え上げた。反射的に耕輔の首に両腕を回し、孝明は耕輔に尋ねる。

「え、焼けるのにどのくらい?」

「二十分くらいですかね?」

「そんなに時間ないじゃない…」

「大丈夫、孝明さん猫舌でしょ?」

何が大丈夫なのか。耕輔は、孝明を横抱きにしたままリビングのソファまで歩き、ゆっくりと腰を下ろした。

(ほんと、力持ちなんだよね…)

自分を抱き上げる恋人の、涼しい顔をまじまじと見つめ、孝明が感心していると、

「こんな格好で、そんな顔して…。俺を煽ってること自覚して、責任取ってくださいね…」

「ひゃ…」

剥き出しの膝小僧にチュッと口づけられる。思った以上にくすぐったい。気を良くした様子の耕輔が、更に孝明の膝を攻める。

「や、くすぐった…ひゃ」

耕輔の愛撫は、膝から脛、足首、そして、内腿へとおよび、最終的には下腹部にたどりついて、孝明はかなり喘がされ、結局、二回ほど上りつめた。

責任をとれ、と言われたが、達したのは自分だけ。

正直、食事どころではないと思っていたが、耕輔はてきぱきと事後処理と食卓の準備を済ませてしまい、ダイニングでも、くたっとなっている孝明を膝に乗せて、食事を取った。適温になったグラタンやスープを、孝明の口に運ぶ姿はやたらとご機嫌だった。されるがまま、給餌のように食事をとる。素朴なホワイトソースのグラタンに思わず、

「おいしい…」

と孝明が呟くと、

「よかったです。やってみたかったんですよね、これ」

そう言って耕輔はにっこりと笑う。その目には先程までのぎらついた感じはなく、そのギャップにまた、孝明の胸は踊る。

「あとで、コーヒーメーカーも買いましょうね」

などと言いながら、甲斐甲斐しく自分の世話を焼く耕輔を

(この子、スパダリだったんだなぁ…)

そんな風に思い、まだ続いている倦怠感と甘やかしてくれる恋人に、孝明はゆったりと身を委ねるのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

大人の恋人 @migimi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ