十
「…」
洗面所の鏡を覗き込み、耕輔はこめかみを押さえる。
(…そう言えば…)
テレビで、台風が続けざまに二つ発生したとニュースキャスターが話していた。台風など大型の低気圧が発生するのとともに頭痛が起きるのは、耕輔にとって珍しいことではない。梅雨の時期もだが、台風の多いこの時期も、憂鬱になることが多かった。
「薬…飲んどくか」
そう呟いたとき、背後に影が見えたかと思うと、左肩にずしっと重みがかかる。耕輔の腰に両腕を絡ませ、肩口にグリグリと頭を擦り付けてきたのは、年上の恋人、孝明だった。
いつも爽やかな顔をしている孝明が、実は寝起きが悪いということは、こうして孝明のマンションで過ごすことが増えてから知った。しかも、昨夜は少し、いや、かなり無茶をした自覚が、耕輔にはある。
「まだ、寝てて良かったのに…」
と、今日は休日の恋人を気遣う。
「…もう、出るの…?」
「うん、朝一の飛行機だから…」
耕輔は今日から一ヶ月の出張だ。
孝明の両腕に力か込められた。
(あったかい…)
いつもそうだが、背中に孝明の温もりを感じると、頭痛が和らぐような気がするから不思議だ。腰に回された孝明の腕に、手を添えて、耕輔はぼやいた。
「…行きたくないなぁ」
「ふふ、冬彦が聞いたら怒るよ」
「…はい」
耕輔の右手と孝明の左手、指を絡ませる。
「ふふ…」
鏡越しに目が合ったかと思うと、耕輔は肩にちくりと突然痛みを感じた。
「っわ…!」
その痛みは、孝明が肩口に噛みついたことによるものだった。
「あ~…っ」
「キレイに付いた」
鏡の中の孝明は、耕輔と視線を合わせたまま、「僕にもいっぱいつけたでしょ?」
孝明はいたずらっぽく笑って、耕輔の横にたった。体を包んでいたブランケットを床に落とすと、裸の上半身が現れ、そこに散らばるなまめかしい鬱血痕が、鏡越しに見せつけられる。
「う、すみません…」
耕輔が言うと、孝明が首を横に振った。
「こんなにあっても、きっとすぐ、消えちゃう…」
切なげな声に、耕輔は孝明の肩に腕を回して身を引き寄せた。鏡越しではなく、瞳と瞳を合わせると、どちらからともなく唇が重なる。触れるだけでは終わらず、すぐに濃厚なものに変わって、お互いの舌や唇を吸ったり、甘噛みしたり、深く絡まり合う。
肩に置かれた耕輔の左手に、孝明も自らの左手を添えた。お互いの指と、指輪が触れ合う。
一緒に住むことを決めたとき、耕輔からお願いして作らせてもらったお揃いの指輪。やっとできあがり、昨夜お互いの指に嵌めたばかりだった。
(初めてのプレゼントが指輪とか…重いよな…)
自分でもそう思うが、孝明が予想以上に喜んでくれたため、昨夜は出張の前日だというのに、我慢できず、盛り上がってしまった。そして今もまた、我慢が効かなくなりそうで耕輔は自分から体を離した。
「そろそろ、着替えなきゃ」
「ん…」
身支度を整え、玄関に向かう。
「忘れ物ない?」
「はい。…あの、出張終わったら…」
「?」
耕輔は少し言い淀んで、
「…その、旅行いきませんか?新婚旅行」
耕輔は顔が熱くなるのを自覚した。孝明は目を見開いて、それから満面の笑みで答えた。
「うん…。『はじめて』のね」
「じゃ、いってきます」
「いってらっしゃい」
振り合う手には、二人で築く未来を約束した、その証が輝いていた。
ー了ー
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