二
「やあ」
男性が永井に笑いかける。
切れ長の目、すっとした鼻筋、赤く艶めいた唇。それらがバランスよく配置された、「美形」と呼ぶにふさわしい男性だった。
肩幅はそれなりに広いが、全体的に肉付きは薄く、緩いシルエットのパンツから伸びた足首や首から鎖骨に繋がるラインはほっそりしている。男性の年齢を、
(俺と同じか、少し下くらい…?)
そう予想し、この若さで「お得意様」と呼ばれる人の職業ってなんだ?などとどうでもいいことを考えていた。
「新人の顔、見せとこうと思って」
「ああ、四月に異動してきた人?」
二人の会話がどこか遠くで聞こえ、耕輔は永井の呼び掛けに反応するのが遅れた。
「伊川、自己紹介。…伊川?」
「あ、はいっ…」
我に返る。
「…い、伊川耕輔です。どうぞよろしくお願い、致します」
ぎこちない仕草で名刺を差し出すと、男性は立ち上がって、差し出された名刺を両手で受け取り、軽く頭を下げた。
「ご丁寧にありがとう。ごめんね、今、名刺を持ち合わせていなくて。廣田孝明です」
そう言ってにっこり微笑み、右手を差し出す。その自然な笑顔と洗練された立ち居振舞いに、一瞬見とれる。それから握手を求められていると気づいて、慌ててその手をとった。
「座れよ、孝明。伊川も」
「うん」
「はい」
廣田が腰を下ろしたのを確認して、永井と耕輔も向かいのソファーに座る。
「で、どうだ?肚決まったか?」
「う~ん、まだ」
廣田は、来年、車検を迎える今の車に乗り続けるか、新車に乗り換えるかで迷っているようだ。
(にしても…)
お互いに口調がずいぶんと気安い。
「…仲良んですね…」
思わず口にすると、二人が一斉に耕輔を見る。
「あ…すいません。お得意様と聞…うかがっていたもので…」
永井と廣田は一度顔を見合わせ、それぞれ同時に耕輔に視線を戻した。
「ああ、言ってなかったな」
「僕たち、幼馴染みなんだ。小学校、中学校ずっと同じクラスだったんだよ」
廣田が簡単に説明する。
「ああ、それで…」
と、気安さの理由に納得しかけて、
「え?ってことは店長と廣田さん同い年?!」
「…気になんのそこか?」
永井が低い声で問いかける。
「いや、だって…」
異動してきたばかりのとき、永井は「今年、三十六歳」と話していた。
その永井と同い年ということは、廣田も自分より十歳年上ということになる。
「廣田さん、俺と同じか、なんなら下かと…」
所長や客が相手だということも忘れて、耕輔は言った。
「…俺が老けてるってことか?」
「いや、所長は年相応だと思います」
フォローのつもりだったが、永井は不機嫌そうな顔を崩さず、
「…お前、後で説教」
「え?説教?!」
永井は、どかっとソファの背もたれに寄りかかった。その様子を見て、廣田が笑い声をあげる。
「ははっ」
愉快そうに笑う廣田に対し、永井は眉間に皺を寄せて睨んでくる。狼狽える耕輔が不憫になったのか、廣田が声を掛けてきた。
「あんまり苛めるなよ、冬彦」
「人聞きの悪い…」
まだ、不機嫌そうにしている永井に、
「ところで、僕、せっかくだから試乗したいんだけど」
廣田があっけらかんと言い放った。永井は、ふぅっとため息をつき、
「…そうだな、一回乗ってみるといい。伊川、同乗してこい」
「!…わか…承知しました」
「よろしく~」
「じゃ、こっ…こちらへ…」
駐車場に向かい、永井がお勧めしている車の前に廣田を誘導する。運転席に乗り、「やっぱかっこいいなぁ」と、嬉しそうにハンドルを握る廣田を、
(子どもみたいな人だな…)
と耕輔は思い、その整った容姿が、ツーリングワゴンとマッチして、
(絵になるな…)
と思った。
一通りの操作説明をし、エンジンをかける。
「…じゃあ、試乗のコースですが…。ここを左に行ってください。大きな道に出ましょう」
営業所を出て車を走らせ、廣田の隣で道案内をしつつ、その車の性能を簡単に伝える。
「…ワゴンなので、安定感があって…。加速もスムーズだと思うんですけど、どうですか?」
「うん、いいね」
「四駆だし、今日みたいな雨で、多少道が悪くても、乗り心地は悪くないと思います。ただ車のデザイン的に、この部分は死角になってしまうかもしれません」
「うん」
今日はなんだか、言葉がすらすら出てくる。廣田も心なしか楽しそうだった。
赤信号で停まる。
耕輔は人が運転する車に乗ることはあまりないが、廣田の運転は、なんだか安心できると思った。自然と思いが言葉になる。
「運転、お上手ですね」
「そう?」
「はい。車の性能は自信持って言えますけど、良さを引き出しているのは廣田さんの運転技術もあるかなぁ、と。…あと、かっこいいですよね、廣田さんて」
「え?!」
廣田が驚いたように声を上げ、耕輔ははっとした。
「あっ…」
(何言ってんだ、俺)
「すいません…!関係ないですね…つい」
(失敗した…)
車の性能を伝えればよかったはずなのに、客の運転技術や容姿にまで口を出してしまった。
「…あ~、えと、戻りましょう…。次の信号、左に曲がって…」
「あ、ああ」
気まずかった。お互い道案内と相槌位しか会話が続かない。そして、そういったときに限って何度も赤信号に当たる。
その気まずさを払拭してくれたのは、廣田だった。
「え~と…なんか、落ち込んでる?たぶん、自分で思ってるほど、悪くなかったよ、伊川くん」
「え?」
「説明も分かりやすかったし」
「はぁ…」
「けど、今の君、初対面の僕から見ても、ちょっと力み過ぎかなぁ」
「そう、ですか…?」
「うん。もう少し、素を出してもいいんじゃない?ま、冬彦は好き放題しすぎだけど」
あれは、見本にならない、と、廣田は笑う。
「…素の自分のかけ離れ過ぎると、疲れちゃうからさ。営業だし、言葉遣いとか、気を付けた方がいいことはあるけど、そこまで畏まらなくていいと思うよ。これ、大人からのアドバイスね」
廣田の淡々とした物言いが、すうっと心に染みた。少しだけ、気持ちが軽くなったような気がする。
(やっぱ、なんかかっこいいな、この人)
耕輔は思った。車は営業所に戻る。
「お疲れさまでした。あと、ありがとうございました」
「こちらこそ。…ねえ、伊川くん」
耕輔を見る廣田の目はとても優しい。
「はい」
「『かっこいいです』は、僕、ぐっと来ちゃった。久々に言われた」
そう言ってにっこりとした。耕輔も、
「やっぱり、言われたことあるんですね」
と苦笑いする。
「いいね、そんな感じ」
自然に返答ができた。
「まあ、『かっこいい』とか言っちゃうの、素直で可愛いけど」
「?」
「誰彼構わず、はダメだよ」
にっこりと笑った廣田の人差し指が、一瞬耕輔の唇に触れ、すぐに離れた。
(な、何、今の?!)
廣田の笑顔が、さっきとは違った色を孕んでいるように感じてしまい、顔に血が集まる。身体中熱くなって、心臓がドキドキと跳ねていた。
「は、はい」
耕輔はそう言うので精一杯だった。
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