大人の恋人
@migimi
一
「よく降るな…」
耕輔は窓の外を見てため息をついた。
昨夜からの雨は午後になってもまだ降り続けている。こめかみ辺りの軽い痛みも、じわじわと続いていた。
(薬…は、いっか…)
天候が崩れる時に頭痛を感じるようになったのはいつの頃だったか。一時期より症状は軽くなっているが、台風の時期など、キツい時期もある。
雨のせいか、勤務する自動車販売店は来客が少なく、今店内にいるのは一人で訪れている男性と、夫婦らしい男女のみ。そちらは別の営業担当が対応しているので、耕輔は一人で訪れている男性客のために、白いカップを用意する。
「彼」の目的は、一昨年購入した愛車の定期点検。はじめのうちは、点検やオイル交換に訪れた際、車を任せて外へ出掛けていったが、最近は店内で待つことがほとんどだ。今日のように悪天候の際は特に。
「彼」と出会ったのは、この店舗に異動して間もなくの頃。その時から、耕輔はこの男性に思いを寄せている。
耕輔はコーヒーを注いだ。
◇◇◇◇
ー二年前ー
「…いたた…」
朝起きたときから頭痛がする。というより、頭痛のせいで早く目覚めてしまった。時折、ズキンズキンと強い痛みの波がくる。
「うぅわ…」
鏡の中の自分は、顔色が良いとは言えず、目の下には隈ができている。とりあえず頭痛をなんとかしようと、耕輔は鎮痛剤を飲み下した。
二ヶ月前まで、耕輔は自動車整備工場の「整備士」だった。専門学校を卒業し、社会人になって以来、ずっと勤めていた整備工場だったが、親会社の経営改革により、そこが大きな自動車販売店に統合されることになった。そして、耕輔はその自動車販売店への異動を命じられた。ただし、「整備士」ではなく「営業事務」として。
業務内容が変わることに不安を抱えつつも、自動車に関われるなら、と無理矢理に自分を納得させた耕輔だが、今となってはその判断が「甘かった」としか言いようがない。
スーツも、ネクタイも、事務も、接客も…。今の状況には慣れない。慣れる気がしない。耕輔は息苦しさすら覚えていた。
数日前に梅雨入りし、頭痛が続いていることも追い討ちを掛けた。雨の日じゃなくても痛むのだ。異動から二ヶ月、耕輔はかなり疲弊してしまっていた。
「ああ、上手くいかない…」
ネクタイを何度か結び直し、なんとか身支度を整える。
「潮時か…?」
鏡の中の自分に問いかけると、耕輔は重い体を引きずるようにして職場に向かった。
午後になり、耕輔が二回目の頭痛薬を服用したところで、所長の永井冬彦から声をかけられた。
「伊川、今いいか?」
「はい」
お得意様に、耕輔を紹介しておきたいのだという。
「今後も、顔を合わせる機会があるだろうからな」
「わか…承知しました」
永井は高身長でがっしりしており、癖のある黒髪や彫りの深い顔、日に焼けた肌が精悍な印象を与える「イケメン」だ。無精髭のせいで一見強面だが、見た目に反して周囲への配慮がきめ細やかで、「そのギャップがいい」と、客からも社員からも慕われている。
耕輔も、一目見て「体育会系」と分かる体躯と、整った塩顔で、本来であれば爽やかな雰囲気の「イケメン」なのだが、今の耕輔は心身が疲弊し、無意識に背中を丸めることが多く、図体は大きくても、周囲からキラキラした目で見られることなどなかった。
「背筋伸ばせ」
お得意様に紹介すると言われ、普段から永井に言われていることを思い出す。
永井も整備士から営業事務に職種変更した経験があるとのことで、同じ境遇の耕輔のことも何かと気に掛けてくれる。所長を任される程有能で部下の面倒見も良い。耕輔にとっては尊敬する上司なのだが、だからこそ自分の至らなさを突き付けられる存在でもあった。
「あっちだ」
そう言った永井の視線の先を追うと、ソファに深く腰掛け、足を組む男性の姿が確認できた。
内ポケットの名刺入れを確認し、永井とともに男性のもとへと歩み寄る。
最初に永井の方から男性に声を掛けた。
「よう、いらっしゃい」
その声に、男性が顔を上げる。
男性を間近で見て、耕輔は思わず息を呑んだ。
(綺麗な人だな…)
それが第一印象。男性に対してそんな風に感じたのははじめてだった。しかし、自然にその言葉が浮かんだ。
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